ゲオルク・フィリップ・テレマン

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ゲオルク・フィリップ・テレマン
ゲオルク・フィリップ・テレマン(1745年頃)
テレマンの肖像画(1764年)
ソラウ(現在のポーランド領ジャリ)のテレマン像
テレマンのサイン(1714年と1757年)
ハンブルク市庁舎の記念碑

ゲオルク・フィリップ・テレマンGeorg Philipp Telemann, 1681年3月14日 - 1767年6月25日) は、ドイツ作曲家

目次

人物 [編集]

テレマンは後期バロック音楽を代表するドイツの作曲家で、40歳以降は北ドイツのハンブルクで活躍した。18世紀前半のヨーロッパにおいては随一と言われる人気と名声を誇った作曲家で、自身も オルガンハープシコードリコーダーリュートなど多くの楽器を演奏することができ[1]、特にリコーダーについては高い技術を有する名人であった。同時代の作曲家であったゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルとはライプツィヒ大学時代からの友人で頻繁に手紙のやり取りをしていた、ほか、ヨハン・ゼバスティアン・バッハとも親密な交友関係にあり、バッハの次男カール・フィリップ・エマヌエル名付け親にもなった。ちなみにテレマンは園芸の趣味もあり、ヘンデルは移住先のイギリスから手紙と一緒にたびたび珍しい植物を送ってテレマンを喜ばせていたという。また、1750年にバッハが死去した時には、バッハの業績を最大限に称える内容の追悼文を送っている[2]

彼の音楽様式には、フランス・イタリア・ポーランドの民族音楽、特に舞曲からの影響があり、ドイツの様式も含めてそれらを使いこなし、ロココ趣味の作風も示した[3]。彼は86歳と長生きだったため、晩年はハイドンの青年時代などと重なり、高齢でも創作意欲が衰えなかった。トリオソナタの編成で『ディヴェルティメント』と書かれた晩年の作品もあり、常に新しい音楽傾向の先頭に立ち続け、対位法を主体とする後期バロック様式からホモフォニーによる古典派様式への橋渡しをした作曲家であった。

生涯 [編集]

ハンブルク以前 [編集]

テレマンは1681年、マクデブルクの中流家庭に生まれた[4]。父ハインリヒは伝道師で、テレマンが4歳になる前になくなり、やはり先祖が牧師の家系であった母マリアに育てられた。テレマン家もバッハ家ほどではないが先祖に何人かの音楽家を出している。

マクデブルクの小学校ではバイオリン・フルート・ツィターなどを演奏して級友と音楽に親しんだ。10歳で同地のギムナジウムに出席するようになり、カントルからドイツの詩や文学について高いベレルの指導を受けるようになった。ラテン語・ギリシャ語の成績がよかったが、音楽については短期間で長足な進歩があったので歌唱指導を任せられた。その間カントルが作曲しているスコアを後ろから盗み見ると、なぜか興奮したと自伝に述べている[5]。やがてほとんど独学で楽譜の書き方を習得し、自分でも作曲を始めるようになり、12歳でオペラを作曲し始めた。テレマンの母は息子が音楽の道へ進むことには反対であったが、テレマンは楽器を取り上げられたり音楽活動を禁じられたりしても隠れて作曲の勉強を続けた[6]

1701年(20歳)からライプツィヒ大学法学を学ぶと同時に、学内では学生と市民からなる楽団コレギウム・ムジクムを統率した[7] (この頃にヘンデルと知り合う)。1704年(23歳)でプロムニッツ伯爵の宮廷楽長になると、伯爵が好むフランス風管弦楽組曲を作曲した。しかし、大北方戦争の影響で職を辞さねばならなくなり、1708年(27歳)で、アイゼナハ宮廷楽長に赴任、宮廷礼拝堂楽団を組織した(バッハとはこの頃に出会った)。

1712年(31歳)に自由都市フランクフルト・アム・マイン市の音楽監督、2つの教会(Barfüßerkirche-現パウロ教会カタリーナ教会)の「教会楽長」に続けて就任した。

ハンブルク時代 [編集]

テレマンの最大の転機は、1721年(40歳)にハンザ自由都市 ハンブルクに移住したことである。その後亡くなるまでの46年間、彼はハンブルク市音楽監督・兼・「ヨハネウム」学校のカントル(Cantor Johannei)として、オペラ、コンサート、教会音楽や出版を行い、高い名声を得た[8]。1722年、ライプツィヒ聖トーマス教会の楽長クーナウが亡くなった時、ライプツィヒ市当局はクーナウの後任としてまずテレマンを招聘しようとしたが断られたため、仕方なく当時は中程度の知名度に過ぎなかったバッハを招聘したという。しかし、そのような一般民衆の評判とは何ら関係なく、テレマンはバッハの音楽の良き理解者であり、前記の通りテレマンとバッハは生涯にわたって深い親交を結んでいた。

テレマンは、裕福な市民層を相手に作品の予約販売という方法で成功を収めたほか、隔週の市民向け音楽雑誌忠実な楽長Der getreue Musikmeister」を刊行、毎号、新作楽譜を掲載し、必ず続きは次の号に載せることで継続して買ってもらうという、新手の商法を生み出した商売上手であった。

しかし、音楽の世界での成功とは裏腹に、彼の結婚は失敗続きであった。最初の妻とは15ヶ月で死別し、二番目の妻とは1714年に結婚し、9人の子供たち(誰も音楽家にならなかった)を授かる。この二番目の妻マリア・カテリーナはスウェーデンの将校と関係を持っているとの噂だったため、結婚は1720年代前半までにすでに問題を抱えていた。マリア・カテリーナはギャンブルでテレマンの年収を超える4400ライヒスターラーにも上る莫大な負債をこしらえたが、ハンブルクの商人達の助けで、彼は破産から救われた。1736年までにマリアはテレマンの家を出た。彼女は夫より約8年長生きして、フランクフルトの修道院で1775年に亡くなった。

長男アンドレアスが1755年に死んだあと、テレマンはアンドレアスの息子ゲオルク・ミヒャエル・テレマンde:Georg Michael Telemann、1748年4月20日 – 1831年3月4日)を引き取り、後にゲオルク・ミヒャエルは音楽家および神学者として著名になった。晩年、テレマンの視力は悪化し始め、1762年ごろまでにかなり健康が悪化したが、創作意欲には何ら支障はなく、1767年6月25日の夕方に呼吸器疾患による衰弱のため86歳で死去するまで作曲を続けていた。

テレマンの死後、長年の友人であったバッハの次男カール・フィリップ・エマヌエル・バッハが彼の後任としてハンブルクの音楽監督になったが、エマヌエルが着任するまでの間はゲオルク・ミヒャエルが監督の職務を代行した。そしてエマヌエルの死後はゲオルク・ミヒャエルが正式に後任の監督になり、テレマンとバッハの交友関係は孫の代まで長く続いた。

作品 [編集]

テレマンは当時のヨーロッパ各国の舞曲を研究し、曲の中に取り入れた。その作風は多様で、一口ではいえないが、あえて簡単にいえばバロック音楽古典音楽の中間に位置している。バロックの大きな特色である対位法の使用は減少し、古典派のようなホモフォニーの作曲法によることが多い。

彼は冗談のセンスも高く、「老人たち」という作品名で前世代をこき下ろすという感性や、結婚生活の不毛についてのオペラ作品や、学校の先生のプライドを皮肉った作品もある。しかし、その作風があまりにも当時のヨーロッパ社会の流行に迎合し過ぎていたためか、本人の死後は極端に評価が下がり、知名度はバッハと逆転した。それでも、「無伴奏ヴァイオリンのためのファンタジア」は教育用として用いられ、モダン楽器による作品の演奏も途絶えることはなかったが、彼の全作品が隈なく古楽器演奏の評価の対象になったのは少なくとも1990年代以降のことである。

テレマンは86年の長い生涯で膨大な数の曲を作ったことで知られ、『ギネス世界記録』においても、クラシック音楽の分野で最も多くの曲を作った作曲家として、正式に認定されている。ドイツ語版ウィキペディアによるとテレマンの曲は現在3600曲以上が確認されているが、既に楽譜の失われている曲や未発見の曲も多いと見られ、実際の総作品数は少なくとも4000曲を超えるものと考えられている[9]ベーレンライター社からテレマン全集[10] が出版され続けているが、同時期に始まった新バッハ全集の編集が終わって今は補遺版の刊行が行われているのに比べ、テレマンの作品は21世紀現在でも整理し切れていない。少なくともオペラ40曲、室内楽200曲、協奏曲170曲、管弦楽組曲600~700曲、受難曲46曲、教会カンタータ1700曲以上などの膨大な曲を残した。その作品数は、現在知られている同世代のアントニオ・ヴィヴァルディの作品数800曲以上やヘンデルの作品数600曲以上、バッハの作品数1100曲以上などと比較しても群を抜いている。12歳でデビュー後、一週間に一曲以上の新曲を75年間にわたって生み出した計算になる。

マルティン・ルーンケによるテレマン作品目録(TWV)、ヴァルター・メンケによるテレマン声楽作品目録(TVWV)がある。番号によって住み分けられていて、25までは声楽曲、30以降が器楽曲となっているため、通常はTWVで共通に表記することが多い。例えばターフェルムジーク第1集の第1曲「序曲 ホ短調」は、ジャンル番号が55(オーケストラ組曲)、調性がe(ホ短調)のグループの1番の番号を与えられ、TWV 55:e1 と表記される。声楽曲は調性の表記がなく、「ブロッケス受難曲」には、ジャンル番号5(受難曲)の1番で、TWV 5:1 という番号が与えられている。

最晩年には「53平均律の使い方」という文章(フイヘンス=フォッカー微分音財団のHPを参照のこと)を発表した。

主要楽曲 [編集]

ターフェルムジーク(1733年)
「食卓の音楽」。宮廷の宴席で好んで演奏された室内楽を集めたもの。三つの曲集からなり、各々の曲集に、管弦楽組曲、コンチェルト、クヮトゥオル、トリオ・ソナタ、ソロ・ソナタといった異なった器楽合奏曲が含まれ、「バロック音楽の百科全書」とも呼ばれている。この作品を販売するに当たっては、特別価格での提供と予約者を当作品集の冒頭に記載すると広告したところ、ドイツ国内、海を越えてイギリスからヘンデルが、フランスやロシア、スウェーデンからも予約注文が集まった。
  • 管弦楽組曲:徐 - 徐 - 急 - 急の序曲に始まり、以下、舞曲や標題のついた楽章が続く。
  • クヮトゥオル:「四重奏曲」と訳されるが、3つの独奏楽器と通奏低音から独立したパートも持つヴィオラ・ダ・ガンバ(チェロ)と通奏低音で演奏され、実際は5つの楽器で演奏される。教会ソナタ形式。
  • 協奏曲コンチェルト・グロッソ形式の協奏曲。
  • トリオ・ソナタ:2つの独奏楽器と通奏低音の計4つの楽器で演奏される。教会ソナタ形式。
  • ソロ・ソナタ:1つの独奏楽器と通奏低音の計3つの楽器で演奏される。教会ソナタ形式。
  • 第1集
    1. 第1曲 序曲(管弦楽組曲) ホ短調 TWV 55 e1 - 2つのフルート弦楽合奏通奏低音
    2. 第2曲 クヮトゥオル ト長調 TWV 43 G2 - フルート、オーボエヴァイオリンと通奏低音
    3. 第3曲 協奏曲 イ長調 TWV 53 A2 - フルート、ヴァイオリン、チェロ及び弦楽合奏と通奏低音
    4. 第4曲 トリオ・ソナタ 変ホ長調 TWV 42 Es1 - 2つのヴァイオリンと通奏低音
    5. 第5曲 ソナタ ロ短調 TWV 41 h4 - フルートと通奏低音
    6. 第6曲 終曲 ホ短調 TWV 50 5 - 2つのフルート及び弦楽合奏と通奏低音
  • 第2集
    1. 第1番 序曲(管弦楽組曲) ニ長調 TWV 55 D1 - オーボエ、トランペット及び弦楽合奏と通奏低音
    2. 第2曲 クヮトゥオル ニ短調 TWV 43 d1 - リコーダー、2つのフルート及び通奏低音
    3. 第3曲 協奏曲 ヘ長調 TWV 53 F1 - 3つのヴァイオリン、ヴィオリーノ・グロッソと通奏低音
    4. 第4曲 トリオ・ソナタ ホ短調 TWV 42 e2 - フルート、オーボエと通奏低音
    5. 第5曲 ソナタ イ長調 TWV 41 A4 - ヴァイオリンと通奏低音
    6. 第6曲 終曲 ニ長調 TWV 50 9 - オーボエ、トランペット及び弦楽合奏と通奏低音
  • 第3集
    1. 第1曲 序曲(管弦楽組曲) 変ロ長調 TWV 55 B1 - 2つのオーボエ、ファゴット及び弦楽合奏と通奏低音
    2. 第2曲 クヮトゥオル ホ短調 TWV 43 e2 - フルート、ヴァイオリン、チェロと通奏低音
    3. 第3曲 協奏曲 変ホ長調 TWV 54 Es1 - 2つのホルン(ヴァルトホルン)、弦楽合奏と通奏低音
    4. 第4曲 トリオ・ソナタ ニ長調 TWV 42 D5 - 2つのフルートと通奏低音
    5. 第5曲 ソナタ ト短調 TWV 41 g6 - オーボエと通奏低音
    6. 第6曲 終曲 変ロ長調 TWV 50 10 - 2つのオーボエ、ファゴット及び弦楽合奏と通奏低音
出版された曲集
  • 「忠実な楽長」(1728〜29年)
ガリバー組曲(アイルランド風刺作家ジョナサン・スウィフトによるガリヴァー旅行記に基づく標題音楽)(TWV 40 108)など全68曲。ソナタや組曲の他、声楽曲やカノンなど種々の曲からなり、当時名の知れた音楽家たちに作品を無償で提供するように呼びかけていたため、バッハやゼレンカなど他人の曲も含まれている。
  • 「エッセルチーツィ・ムジチ(音楽の練習帳)」(1739〜49年)
全24曲(ソロ・ソナタとトリオ・ソナタが各12曲ずつ)。ソロ・ソナタは旋律楽器+通奏低音またはチェンバロ独奏。トリオ・ソナタには旋律楽器+チェンバロ+通奏低音という変わった編成のものが4曲含まれている。
序曲・組曲
  • ハンブルクの潮の満ち干(1723年) TWV 55 C3 (テレマンの「水上の音楽」と呼ばれる)
  • ヴィオラ・ダ・ガンバと弦合奏、通奏低音のための序曲 TWV 55 D6
  • アルスター序曲 TWV 55 F11
  • 序曲 昔と今の諸国の人々 TWV 55 G4
  • ドン・キホーテのブルレスケ TWV 55 G10
  • フォルカー序曲 TWV 55 B5
  • 組曲 イ短調(リコーダー、弦楽合奏と通奏低音のための) TWV 55 a2
管弦楽曲
  • 英雄的音楽 TWV 50 31-42
  • Grillen(コオロギ) Symphonie ト長調 TWV 50 1
協奏曲
  • ヴィオラ協奏曲 ト長調 TWV 51 G9
  • 2つのヴィオラのための協奏曲 ト長調 TWV 52 G3
  • 2つのホルンのための協奏曲 ニ長調 TWV 52 D1
  • 2つのホルンのための協奏曲 ニ長調 TWV 52 D2
  • ホルン協奏曲 変ロ長調
  • ホルン協奏曲 ニ長調
  • 2つのシャリュモーのための協奏曲
  • オーボエ協奏曲(ハ短調 TWV 51 c1、ハ短調 TWV 51 c2、ニ長調 TWV 51 D5、ニ長調 TWV 51 D6、二短調 TWV 51 d1、二短調 TWV 51 d2、変ホ長調 TWV 51 Es1、ホ短調 TWV 51 e1、ヘ短調 TWV 51 f1、ヘ短調 TWV 51 f2)
  • トランペット協奏曲 ニ長調 TWV 51 D7
  • トランペットとヴァイオリンのための協奏曲 ニ長調 TWV 53 D5
  • リコーダー協奏曲 ハ長調 TWV 51 C1
  • リコーダーとフルートのための協奏曲 ホ短調 TWV 52 e1
  • 協奏曲「蛙」 イ長調 TWV 51 A4
器楽曲
  • 無伴奏フルートのための12のファンタジア(1732〜33年) TWV 40 2-13
  • 無伴奏ヴァイオリンのための12のファンタジア(1735年) TWV 40 14-25
  • 4つのヴァイオリンのための協奏曲 TWV 40 201-204
室内楽曲
  • 6つのメソーディッシュ・ソナタ(1728年)
  • メソーディッシュ・ソナタの続き(1732年)
単純な旋律を如何に装飾するかを説く練習を兼ねたソナタ集。
  • 6つのトリオ(1718年)
  • 6つの協奏曲と6つの組曲(1734年)
  • 6つのコレルリ風ソナタ
  • クァドリ(パリ四重奏曲集)(1730年)
  • 新しい四重奏曲集(1738年)
クァドリ(1730年)とまとめてパリ四重奏曲全12曲とする例もある。しかし、音楽様式の明らかな違いから区別されるべきである。この作品も予約販売され、予約者の一覧の中にヨハン・ゼバスティアン・バッハの名が見られる。
  • シンフォニア・スピリトゥオーザ ニ長調 TWV 44 1
鍵盤楽曲
  • クラヴサンのためのファンタジア集 TWV 33 1-36
オラトリオ
  • ブロッケス受難曲(1716年) TWV 5 1
教会カンタータ
  • 音楽による礼拝、あるいは教会カンタータ集(1726年)
  • 音楽による礼拝、あるいは教会カンタータ集続編(1731年)
オペラ
  • 寛容なソクラテス (1721年) TWV 21 9
1738年にハンブルクオペラが閉鎖され一時期オペラから完全に離れたが、「ドン・キホーテ」のような作品が1756年に散発的に残っている。

関連項目 [編集]

脚注 [編集]

  1. ^ 『クラシック音楽作品名辞典』 テレマンの項目
  2. ^ テレマンがバッハの死後に送った追悼文(日本語訳)は以下の通り。「今は亡きバッハよ!そなたの見事なオルガン演奏は、ひとりそなたに“偉大”という気高き呼称をもたらせり。そしてまた、そなたが筆にしたもの、最高の芸術表現を喜ぶ者あり、はたまた羨望の念もて眺める者ありき」。
  3. ^ 『クラシック音楽作品名辞典』 テレマンの項目
  4. ^ 生涯については、同時代の音楽家マッテゾンの聞き取りによる『テレマン自伝』に詳しい(英語版テレマン自伝)。
  5. ^ テレマン自伝
  6. ^ テレマン自伝
  7. ^ テレマンはコレギウム・ムジクムを創設したとされることがあるが、英語版自伝の脚注によれば、すでにあった楽団を統率していただけである。
  8. ^ 当時のライプツィヒの新聞で作曲家の人気投票を行ったところ、1位がテレマンで、ヘンデルは2位、バッハは7位だったという記録がある。
  9. ^ テレマンが実際に作った曲の数については約6000曲と推定する説も有力であるが、現在までにどれほどの作品が失われたかを正確に調べることはほとんど不可能である。
  10. ^ 詳細はベーレンライター社のサイトにある(作品集)。

参考文献 [編集]

  • カール・グレーベ 『テレマン 生涯と作品』 服部幸三・牧マリ子・訳、音楽之友社、1981年
  • 田中武夫 『バロック・ソナタの音楽史 ―ガブリエリからバッハまで』 文芸社、2001年
  • テレマン自伝マッテゾンの聞き取りによる、英語版)
  • 井上和男 『クラシック音楽作品名辞典 第3版』 三省堂、2009年

外部リンク [編集]