ゲオルク・フィリップ・テレマン

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ゲオルク・フィリップ・テレマン

ゲオルク・フィリップ・テレマンGeorg Philipp Telemann, 1681年3月14日 - 1767年6月25日) は、後期バロック音楽を代表するドイツの作曲家で、40歳以降は北ドイツのハンブルクで活躍した。多くの楽器を演奏することができ、木管楽器、特にリコーダーについては高い技術を有する名人であったという。同時代の音楽家であるバッハヘンデルと面識があり、ヘンデルとは書簡のやりとりをしている。また彼らより人気と名声があった。

テレマンの作品は優に3000曲を超え、ベーレンライター社から作品集[1] が出版されている。同時期に始まった新バッハ全集が終わって今は補遺版の刊行が行われているのに比べ、整理し切れていない。オペラ20曲、室内楽200曲、協奏曲100曲、管弦楽130曲、受難曲46曲、教会カンタータ1000曲という膨大な作品を残した。主に演奏されるのは器楽作品だが、近年はカンタータなど声楽作品も演奏されるようになって来ている。

彼の音楽様式には、フランス・イタリア・ポーランドの民族音楽、特に舞曲からの影響がある。長寿だったため晩年は、例えばハイドンの青年時代と重なり、高齢でも創作意欲が衰えなかった。トリオソナタの編成で『ディヴェルティメント』と書かれた晩年の作品もあり、常に新しい音楽傾向の先頭に立ち続け、対位法を主体とする後期バロック様式からホモフォニーによる古典派様式への橋渡しをした作曲家であった。マルティン・ルーンケによるテレマン作品目録(TWV)、ヴァルター・メンケによるテレマン声楽作品目録(TVWV)がある。

日本でも人気は高く、日本テレマン協会が1969年に発足(当時は大阪テレマン協会)し、この種の作曲家名を冠する団体ではかなり古い部類に属する。

目次

[編集] 生涯

テレマンは1681年、マクデブルクの中流家庭に生まれた[2]。父ハインリヒは伝道師で、テレマンが4歳になる前になくなり、やはり先祖が牧師の家系であった母マリアに育てられた。テレマン家もバッハ家ほどではないが先祖に幾人かの音楽家を出している。

マクデブルクの小学校ではバイオリン・フルート・ツィターなどを演奏して級友と音楽に親しんだ。10歳で同地のギムナジウムに出席するようになり、カントルからドイツの詩や文学について高いベレルの指導を受けるようになった。ラテン語・ギリシャ語の成績がよかったが、音楽については短期間で長足な進歩があったので歌唱指導を任せられた。その間カントルが作曲しているスコアを後ろから盗み見ると、なぜか興奮したという。やがてほとんど独学で楽譜の書き方を習得し、自分でも作曲を始めるようになった。12歳でオペラを作曲し始め、楽器を取り上げられたり音楽活動を禁じられたりしても、隠れて作曲の勉強をしたという。

1701年(20歳)からライプツィヒ大学で法学を学ぶと同時に、学内では学生と市民からなる楽団コレギウム・ムジクムを統率[3] した。1704年(23歳)でプロムニッツ伯爵の宮廷楽長になると、伯爵が好むフランス風管弦楽組曲を作曲した。しかし、大北方戦争の影響で職を辞さねばならなくなり、1708年(27歳)で、アイゼナハ宮廷楽長に赴任、宮廷礼拝堂楽団を組織した。

1712年(31歳)に自由都市フランクフルト・アム・マイン市の音楽監督、2つの教会(Barfüßerkirche-現パウロ教会カタリーナ教会)の「教会楽長」に続けて就任した。

テレマンの最大の転機は、1721年(40歳)にハンザ自由都市 ハンブルクに移動したことである。その後46年間、ハンブルク市音楽監督・兼・「ヨハネウム」学校のカントル(Cantor Johannei)として、オペラ、コンサート、教会音楽や出版を行い、高い名声を得た。1722年、ライプツィヒ聖トーマス教会の楽長クーナウが亡くなった時、ライプツィヒ市はまずテレマンを招聘しようとしたが断られたため、仕方なく知名度の低かったバッハを招聘したというエピソードからも、当時のテレマンはバッハより人気が高かったことがわかる。

テレマンは、裕福な市民層を相手に作品の予約販売という方法で成功を収めたほか、隔週の市民向け音楽雑誌「忠実な楽長Der getreue Musikmeister」を刊行、毎号、新作楽譜を掲載し、必ず、続きは後の号に載せることで継続して買ってもらうという新手の商法を生み出すという商売上手であった。

音楽の成功とは裏腹に、彼の結婚は失敗続きであった。最初の妻とは15ヶ月で死別し、二番目の妻とは1714年に結婚し、9人の子供たち(誰も音楽家にならなかった)を授かる。この二番目の妻マリア・カテリーナはスウェーデンの将校と関係を持っているとの噂だったため、結婚は1720年代前半までにすでに問題を抱えていた。マリア・カテリーナはギャンブルでテレマンの年収を超える4400ライヒスターラーにも上る莫大な負債をこしらえたが、ハンブルクの商人達の助けで、彼は破産から救われた。1736年までにマリアはテレマンの家を出た。彼女は約8年、夫より長生きして、フランクフルトの修道院で、1775年に亡くなった。

長男アンドレアスが1755年に死んだあと、テレマンはアンドレアスの息子ゲオルク・ミヒャエル・テレマン(de:Georg Michael Telemann、1748年4月20日 – 1831年3月4日)を引きとり、後にゲオルク・ミヒャエルは音楽家および神学者として著名になった。晩年、テレマンの視力は悪化し始め、1762年ごろまでにかなり健康が悪化したが、創作意欲には支障がなく、1767年6月25日の夕方に呼吸器疾患による衰弱で死亡するまで作曲を続けた。

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハがテレマンの後任としてハンブルクの音楽監督になったが、エマヌエル・バッハが着任するまでの間、ゲオルク・ミヒャエルが代行した。

[編集] 作品

ターフェルムジーク(1733年)
「食卓の音楽」。宮廷の宴席で好んで演奏された室内楽を集めたもの。三つの曲集からなり、各々の曲集に、管弦楽組曲、コンチェルト、クヮトゥオル、トリオ・ソナタ、ソロ・ソナタといった異なった器楽合奏曲が含まれ、「バロック音楽の百科全書」とも呼ばれている。この作品を販売するに当たっては、特別価格での提供と予約者を当作品集の冒頭に記載すると広告したところ、ドイツ国内、海を越えてイギリスからヘンデルが、フランスやロシア、スウェーデンからも予約注文があったという。
  • 管弦楽組曲:徐 - 徐 - 急 - 急の序曲に始まり、以下、舞曲や標題のついた楽章が続く。
  • クヮトゥオル:「四重奏曲」と訳されるが、3つの独奏楽器と通奏低音から独立したパートも持つヴィオラ・ダ・ガンバ(チェロ)と通奏低音で演奏され、実際は5つの楽器で演奏される。教会ソナタ形式。
  • 協奏曲コンチェルト・グロッソ形式の協奏曲。
  • トリオ・ソナタ:2つの独奏楽器と通奏低音の計4つの楽器で演奏される。教会ソナタ形式。
  • ソロ・ソナタ:1つの独奏楽器と通奏低音の計3つの楽器で演奏される。教会ソナタ形式。
  • 第1集
    1. 第1曲 序曲(管弦楽組曲) ホ短調 TWV 55 e1 - 2つのフルート弦楽合奏通奏低音
    2. 第2曲 クヮトゥオル ト長調 TWV 43 G2 - フルート、オーボエヴァイオリンと通奏低音
    3. 第3曲 協奏曲 イ長調 TWV 53 A2 - フルート、ヴァイオリン、チェロ及び弦楽合奏と通奏低音
    4. 第4曲 トリオ・ソナタ 変ホ長調 TWV 42 Es1 - 2つのヴァイオリンと通奏低音
    5. 第5曲 ソナタ ロ短調 TWV 41 h4 - フルートと通奏低音
    6. 第6曲 終曲 ホ短調 TWV 50 5 - 2つのフルート及び弦楽合奏と通奏低音
  • 第2集
    1. 第1番 序曲(管弦楽組曲) ニ長調 TWV 55 D1 - オーボエ、トランペット及び弦楽合奏と通奏低音
    2. 第2曲 クヮトゥオル ニ短調 TWV 43 d1 - リコーダー、2つのフルート及び通奏低音
    3. 第3曲 協奏曲 ヘ長調 TWV 53 F1 - 3つのヴァイオリン、ヴィオリーノ・グロッソと通奏低音
    4. 第4曲 トリオ・ソナタ ホ短調 TWV 42 e2 - フルート、オーボエと通奏低音
    5. 第5曲 ソナタ イ長調 TWV 41 A4 - ヴァイオリンと通奏低音
    6. 第6曲 終曲 ニ長調 TWV 50 9 - オーボエ、トランペット及び弦楽合奏と通奏低音
  • 第3集
    1. 第1曲 序曲(管弦楽組曲) 変ロ長調 TWV 55 B1 - 2つのオーボエ、ファゴット及び弦楽合奏と通奏低音
    2. 第2曲 クヮトゥオル ホ短調 TWV 43 e2 - フルート、ヴァイオリン、チェロと通奏低音
    3. 第3曲 協奏曲 変ホ長調 TWV 54 Es1 - 2つのホルン(ヴァルトホルン)、弦楽合奏と通奏低音
    4. 第4曲 トリオ・ソナタ ニ長調 TWV 42 D5 - 2つのフルートと通奏低音
    5. 第5曲 ソナタ ト短調 TWV 41 g6 - オーボエと通奏低音
    6. 第6曲 終曲 変ロ長調 TWV 50 10 - 2つのオーボエ、ファゴット及び弦楽合奏と通奏低音
出版された曲集
  • 「忠実な楽長」(1728〜29年)
ガリバー組曲(アイルランド風刺作家ジョナサン・スウィフトによるガリヴァー旅行記に基づく標題音楽)(TWV 40 108)など全68曲。ソナタや組曲の他、声楽曲やカノンなど種々の曲からなり、当時名の知れた音楽家たちに作品を無償で提供するように呼びかけていたためにバッハ、ゼレンカなど他人の曲も含まれている。
  • 「エッセルチーツィ・ムジチ(音楽の練習帳)」(1739〜49年)
全24曲(ソロ・ソナタとトリオ・ソナタが各12曲ずつ)。ソロ・ソナタは旋律楽器+通奏低音またはチェンバロ独奏。トリオ・ソナタには旋律楽器+チェンバロ+通奏低音という変わった編成のものが4曲含まれている。
序曲・組曲
  • ハンブルクの潮の満ち干(1723年) TWV 55 C3 (テレマンの「水上の音楽」と呼ばれる)
  • アルスター序曲 TWV 55 F11
  • ドン・キホーテのブルレスケ TWV 55 G10
  • 組曲 イ短調(リコーダー、弦楽合奏と通奏低音のための) TVW 55 a2
管弦楽曲
  • 英雄的音楽 TWV 50 31-42
協奏曲
  • ヴィオラ協奏曲 ト長調 TWV 51 G9
  • 2つのヴィオラのための協奏曲 ト長調 TWV 52 G3
  • 2つのホルンのための協奏曲 ニ長調 TWV 52 D1
  • 2つのホルンのための協奏曲 ニ長調 TWV 52 D2
  • ホルン協奏曲 変ロ長調
  • ホルン協奏曲 ニ長調
  • 2つのシャリュモーのための協奏曲
  • オーボエ協奏曲(ハ短調 TWV 51 c1、ハ短調 TWV 51 c2、ニ長調 TWV 51 D5、ニ長調 TWV 51 D6、二短調 TWV 51 d1、二短調 TWV 51 d2、変ホ長調 TWV 51 Es1、ホ短調 TWV 51 e1、ヘ短調 TWV 51 f1、ヘ短調 TWV 51 f2)
器楽曲
  • 無伴奏フルートのための12のファンタジア(1732〜33年) TWV 40 2-13
  • 無伴奏ヴァイオリンのための12のファンタジア(1735年) TWV 40 14-25
室内楽曲
  • 6つのメソーディッシュ・ソナタ(1728年)
  • メソーディッシュ・ソナタの続き(1732年)
単純な旋律を如何に装飾するかを説く練習を兼ねたソナタ集。
  • 6つのトリオ(1718年)
  • 6つの協奏曲と6つの組曲(1734年)
  • 6つのコレルリ風ソナタ
  • クァドリ(パリ四重奏曲集)(1730年)
  • 新しい四重奏曲集(1738年)
クァドリ(1730年)とまとめてパリ四重奏曲全12曲とする例もある。しかし、音楽様式の明らかな違いから区別されるべきである。この作品も予約販売され、予約者の一覧の中にヨハン・セバスチャン・バッハの名が見られる。
鍵盤楽曲
  • クラヴサンのためのファンタジア集 TWV 33 1-36
オラトリオ
  • ブロッケス受難曲(1716年) TWV 5 1
教会カンタータ
  • 音楽による礼拝、あるいは教会カンタータ集(1726年)
  • 音楽による礼拝、あるいは教会カンタータ集続編(1731年)
オペラ
  • 寛容なソクラテス (1721年) TWV 21 9
テレマンのオペラは生前から特に人気がなく、[要出典]彼の努力の甲斐もなく、1738年にハンブルクオペラは閉鎖された。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 詳細はベーレンライター社のサイトにある。作品集
  2. ^ 生涯については、同時代の音楽家マッテゾンの聞き取りによる『テレマン自伝』に詳しい。英語版テレマン自伝
  3. ^ コレギウム・ムジクムを創設したとされることがあるが、英語版自伝の脚注によれば、すでにあった楽団を統率したのみ。

[編集] 外部リンク


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