アダム・グリーンバーグ (野球)

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アダム・グリーンバーグ
Adam Greenberg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 コネチカット州ニューヘイブン
生年月日 1981年2月21日(33歳)
身長
体重
5' 9" =約175.3 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2002年 ドラフト9巡目でシカゴ・カブスから指名
初出場 MLB / 2005年7月9日 フロリダ・マーリンズ
最終出場 MLB / 2012年10月2日 ニューヨーク・メッツ
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム イスラエルの旗 イスラエル
WBC 2013年
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 2014年
選出方法 国際ユダヤ系スポーツ殿堂


アダム・ダニエル・グリーンバーグAdam Daniel Greenberg, 1981年2月21日 - )は、アメリカ合衆国コネチカット州ニューヘイブン出身の元プロ野球選手外野手)。右投左打。

経歴[編集]

プロ入りとマイナー時代とカブス時代[編集]

2002年MLBドラフトシカゴ・カブスに9巡目指名され、契約を結んだ。この年は、傘下のA級ランシング・ラグナッツとA+級デイトナ・カブスでプレーした。

2003年も、傘下Aのデイトナ・カブスでプレーした。

2004年は、開幕を前年同様、A級デイトナで迎えた。シーズン途中に、AA級ウェストテン・ダイヤモンドジャックスに昇格した。その後、AAA級アイオワ・カブスにも昇格した。

2005年は、開幕をAA級ウェストテンで迎えた。3ヶ月ベネズエラウィンターリーグに参加した。7月7日にメジャーに昇格した。7月9日フロリダ・マーリンズ戦(ドルフィンズ・スタジアム)の9回表にウィル・オーマンの代打で出場してメジャーデビューを果たすが、バレリオ・デロスサントスが投じた初球の92mph(148km/h)の速球を後頭部に受ける死球により退場。この結果、視覚障害良性発作性頭位めまい症などの後遺症に悩まされ、メジャーでの出場はこの1打席のみに終わっていた。

2006年に復帰した。AA級ウェストテンとAAA級アイオワでプレーしたものの成績不振だった。その後、6月2日に解雇された。

ドジャース傘下時代[編集]

その後、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。傘下のAA級ジャクソンビル・サンズへ異動となった。

ロイヤルズ時代[編集]

2006年12月5日カンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ。

2007年は、傘下のAA級ウィチタ・ラングラーズでプレーした。

2008年12月にロイヤルズと再契約を結び、残留する。

エンゼルス傘下時代[編集]

2009年は、ロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約を結んだ。傘下のAA級アーカンソー・トラベラーズでプレーした。

ブリッジポート・ブルーフィッシュ時代[編集]

2009年2月23日シンシナティ・レッズとマイナー契約を結んだが、スプリングトレーニングに参加せず、退団した。その後、アトランティックリーグブリッジポート・ブルーフィッシュと契約を結び、2011年まで所属していた。

その頃、彼の野球への情熱を失わず、メジャー昇格を目指す姿がカブスファンの心を動かし、"ONE AT BAT GREENBERG"(グリーンバーグにもう1打席を)というファン主導のムーブメントを引き起こす。

2012年第3回WBCの予選にイスラエル代表として出場[1]。1回戦の南アフリカ共和国戦では代走による出場で1得点を記録。2回戦のスペイン戦では守備交代要員として出場。2回戦敗退でイスラエル代表は敗退した。両試合で打席に立つことはなかった。

7年振りのMLB復帰[編集]

2012年9月27日、2005年に後頭部死球を受けた試合の対戦相手のマイアミ・マーリンズ(当時はフロリダ・マーリンズ)からの申し出によりマーリンズと「1日限定契約」を結び、10月2日ニューヨーク・メッツ戦(マーリンズ・パーク)に出場させると発表され、グリーンバーグにとって7年ぶりのメジャー復帰が決まった[2]。この試合の6回裏にブライアン・ピーターセンの代打として出場し、この年奪三振王&サイヤング賞となるR・A・ディッキーの前に3球で空振り三振に終わったが、場内の観客からは温かい拍手が送られ、グリーンバーグも大喜びした[3][4]。この一日だけメジャーリーグでプレーしたことで、日割り勘定されて受け取るメジャーリーガーとしての最低報酬額が$3,000となるが、これはすべて、運動選手の脳疾患を研究する財団に寄付すると発表。

ブリッジポート・ブルーフィッシュ復帰[編集]

2013年は、ボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結んだ。しかし、開幕前の3月29日に解雇された。4月16日に古巣のブリッジポート・ブルーフィッシュと契約を結んだ。

引退[編集]

2014年2月に現役引退を表明した[5]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]


















































O
P
S
2005 CHC 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 ---- 1.000 ---- ----
2012 MIA 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:2年 2 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 0 .000 .500 .000 .500

背番号[編集]

  • 17 (2005年)
  • 10 (2012年)

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]