網走厚生病院
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網走厚生病院 | |
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情報 | |
正式名称 | JA北海道厚生連 網走厚生病院 |
英語名称 | Abashiri-Kosei General Hospital |
標榜診療科 |
内科 消化器科 循環器科 小児科 外科 整形外科 産婦人科 皮膚科 泌尿器科 耳鼻咽喉科 眼科 麻酔科 放射線科 |
許可病床数 |
355床 一般病床:353床 感染症病床:2床 |
機能評価 | 一般病院2(200床以上500床未満):バージョン6.0[1] |
開設者 | 北海道厚生農業協同組合連合会(JA北海道厚生連) |
病院事業管理者 | 中野 詩郎(院長) |
開設年月日 | 1944年10月15日 |
所在地 |
〒093-0076 |
位置 | 北緯44度01分33秒 東経144度15分46秒 / 北緯44.02583度 東経144.26278度座標: 北緯44度01分33秒 東経144度15分46秒 / 北緯44.02583度 東経144.26278度 |
二次医療圏 | 北網 |
PJ 医療機関 |
網走厚生病院(あばしりこうせいびょういん)は、北海道網走市にある病院。
沿革
[編集]- 1940年(昭和15年):「斜網医療利用組合連合会」設立[2]。
- 1943年(昭和18年):北海道農業会引継[2]。
- 1944年(昭和19年):病院開設[2]。
- 1948年(昭和23年):北海道農業会解散し、北海道厚生連に改組。「網走厚生病院」となる[2]。
- 1951年(昭和26年):公的医療機関指定[2]。
- 1958年(昭和33年):総合病院となり、「網走厚生総合病院」と改称[2]。
- 1959年(昭和34年):増改築工事竣工[2]。
- 1966年(昭和41年):網走市所有中央国保診療所買収し、結核病棟に改装(1982年に一般病棟変更)[2]。
- 1983年(昭和58年):「厚生連総合病院網走厚生病院」と改称[2]。
- 1986年(昭和61年):増改築工事竣工[2]。
- 1991年(平成 3年):増改築工事竣工[2]。
- 1998年(平成10年):増改築工事竣工[2]。
- 2001年(平成13年):訪問看護ステーション「あすなろ」開設[2]。
- 2004年(平成16年):医療安全相談室開設[2]。
- 2005年(平成17年):地域医療連携室開設[2]。
- 2006年(平成18年):病院全面新築[2][3]。診療情報管理室開設[2]。
- 2013年(平成25年):災害派遣医療チーム(DMAT)結成[2]。
- 2014年(平成26年):地域包括ケア病棟運用開始[2]。
- 2016年(平成28年):網走市休日内科救急センター開設[2]。
機関指定
[編集]救急告示病院(救急指定病院) | 病院群輪番制病院 |
地域センター病院 | 臨床研修指定病院 |
災害拠点病院 | 地域周産期母子医療センター |
労災保険指定医療機関 | 生活保護法指定医療機関 |
結核予防法指定医療機関 | 精神衛生法指定医療機関 |
更生医療指定医療機関 | 養育医療指定医療機関 |
原爆医療指定医療機関 | 母体保護法指定医療機関 |
身体障害者福祉法指定医療機関 | 児童福祉法指定医療機関 |
第二種感染症指定医療機関 |
診療科等
[編集]診療科
専門外来
- 禁煙外来
- 女性健康相談
- 助産師外来
部門
- 看護部
- 薬剤部
- 医療技術部
- 医療安全管理科
- 訪問看護ステーション「あすなろ」・網走厚生訪問看護指定居宅介護支援事業所
施設認定
[編集]日本内科学会認定医制度教育関連病院 | 日本消化器内視鏡学会認定指導施設 |
日本大腸肛門病学会専門医修練施設 | 日本消化器病学会関連施設 |
日本肝臓学会認定関連施設 | 日本循環器学会循環器専門医研修施設 |
日本周産期・新生児医学会補完研修施設 | 日本外科学会認定施設 |
日本外科学会外科専門医制度関連施設 | 日本乳癌学会認定医専門医制度関連施設 |
日本消化器外科学会関連施設 | 日本整形外科学会研修施設 |
日本眼科学会専門医研修施設 | 日本医療機能評価機構認定施設 |
日本小児科学会専門医研修施設 |
アクセス
[編集]国道39号(北中央通)沿いに位置している。