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=== 記録 ===
=== 記録 ===
;投手記録
;投手記録
* 初登板:2003年8月26日、対[[千葉ロッテマリーンズ]]22回戦([[千葉マリンスタジアム]])、9回裏に3番手として救援登板・完了、1回1失点
* 初登板:2003年8月26日、対[[千葉ロッテマリーンズ]]22回戦([[千葉マリンスタジアム]])、9回裏に3番手救援登板・完了、1回1失点
* 初先発・初勝利:2003年8月31日、対[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]27回戦([[大阪ドーム]])、6回2/3を1失点
* 初先発・初勝利:2003年8月31日、対[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]27回戦([[大阪ドーム]])、6回2/3を1失点
* 初奪三振:同上、1回表に[[坪井智哉]]から
* 初奪三振:同上、1回表に[[坪井智哉]]から
* 初完投勝利:2003年9月14日、対千葉ロッテマリーンズ26回戦(大阪ドーム)、9回5安打1失点
* 初完投勝利:2003年9月14日、対千葉ロッテマリーンズ26回戦(大阪ドーム)、9回5安打1失点
* 初ホールド:2008年7月28日、対[[東京ヤクルトスワローズ]]15回戦([[明治神宮野球場]])、4回裏に3番手として救援登板、2回無失点
* 初ホールド:2008年7月28日、対[[東京ヤクルトスワローズ]]15回戦([[明治神宮野球場]])、4回裏に3番手救援登板、2回無失点
;打撃記録
;打撃記録
* 初安打:2009年5月26日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦([[阪神甲子園球場]])、2回裏に[[小野晋吾]]から右前安打
* 初安打:2009年5月26日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦([[阪神甲子園球場]])、2回裏に[[小野晋吾]]から右前安打
* 初打点:2009年8月29日、対[[読売ジャイアンツ]]20回戦(阪神甲子園球場)、2回裏に[[セス・グライシンガー]]から右前適時打


=== 背番号 ===
=== 背番号 ===

2013年10月25日 (金) 22:51時点における版

阿部 健太
東京ヤクルトスワローズ #58
2013年4月7日明治神宮野球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛媛県松山市
生年月日 (1984-09-08) 1984年9月8日(39歳)
身長
体重
184 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 ドラフト4巡目
初出場 2003年8月26日
年俸 1,000万円(2013年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

阿部 健太(あべ けんた、1984年9月8日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手投手)。

経歴

プロ入り前

愛媛県立松山商業高等学校時代は第83回全国高等学校野球選手権大会に出場し、ベスト4に進出した。

2002年ドラフト会議で、大阪近鉄バファローズから4巡目で指名され入団。

近鉄・オリックス時代

2003年後半に高卒新人ながら一軍昇格し、先発で2勝を挙げた。さらに終盤に1回の先発登板機会があったが、新人王の資格を残すために[1]その後の一軍登板が無かった。その当時の投球フォームが岩隈久志と瓜二つだったことや、阿部の背番号は岩隈が入団した当時の背番号だったこと、さらに痩せ型の体型も同じだったことから「岩隈2世」と呼ばれた。

しかし、2004年以降は伸び悩み、成績次第では登録名を「ケンタ」とする構想があったが、見送りになった。近鉄の最終試合となった9月27日の対オリックス・ブルーウェーブ戦(Yahoo!BBスタジアム)では、岩隈に次いで2番手として投げて敗戦投手となり、近鉄最後の敗戦投手となった(最後の勝利投手は高木康成)。

2004年オフ、選手分配ドラフトでオリックス・バファローズへ移籍。2005年2006年の一軍登板は、数試合の敗戦処理だけだった。2007年は一軍登板がなく、同年11月に濱中治吉野誠との交換トレードで、平野恵一とともに阪神タイガースへ移籍。

阪神時代

阪神時代

2008年JFKと、それに渡辺亮を加えた中継ぎ投手陣の調整が遅れたため、開幕一軍に選ばれる。開幕当初は敗戦処理での登板が多かったが、徐々に投球内容が評価され、夏頃にはブルペンに欠かせない存在となる。自己最多の32試合に登板し、防御率2.96という安定感を見せてチームに貢献した。

2010年は3年ぶり、阪神移籍後では初めて一軍登板無しに終わり、2011年も2年連続で一軍での登板は無く、二軍でも0勝1敗と不振に陥った。同年10月に阪神を退団[2]

ヤクルト時代

トライアウトを経て、東京ヤクルトスワローズに移籍。オープン戦で6登板7イニング無安打無失点5セーブと好投し開幕1軍を勝ち取った。

2013年7月3日、対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜)で3点ビハインドの4回から2番手で登板し、1イニングを1安打無失点に抑え、5回にチームが逆転しそのまま試合に勝利、阿部は2003年9月14日以来、3580日ぶりの勝利投手となる。日本プロ野球のみでプレーした選手としては元阪神の遠山奬志[3]の3507日を更新する最長記録(国外を含めるとアメリカ球界を挟む大家友和の5847日に次ぐ2位)[4]

プレースタイル

ストレートの球速は130 km/h台後半から140 km/h台前半とあまりスピードはないが、スライダーカットボール・緩いカーブチェンジアップシュートといった多彩な変化球と合わせ打者を打ち取るタイプ。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2003 近鉄 5 3 1 0 0 2 0 0 -- 1.000 100 25.0 22 3 6 0 0 23 1 0 6 6 2.16 1.12
2004 2 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 29 5.1 12 4 1 0 0 3 0 0 8 8 13.50 2.44
2005 オリックス 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 22 5.0 6 2 1 0 1 7 0 0 4 4 7.20 1.40
2006 5 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 27 6.1 6 1 1 0 1 4 0 0 3 3 4.26 1.11
2008 阪神 32 0 0 0 0 0 1 0 1 .000 200 51.2 37 8 9 1 4 34 0 0 17 17 2.96 0.89
2009 19 3 0 0 0 0 1 0 0 .000 147 33.0 39 2 13 2 1 24 1 0 13 12 3.27 1.58
2012 ヤクルト 15 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 62 15.0 12 1 6 1 0 9 0 0 6 6 3.60 1.20
2013 18 0 0 0 0 1 0 0 3 1.000 83 20.0 19 3 5 0 0 18 1 0 10 10 4.50 1.20
通算:8年 99 7 1 0 0 3 3 0 4 .500 670 161.1 153 24 42 4 7 122 3 0 67 66 3.68 1.21
  • 2013年度シーズン終了時

記録

投手記録
打撃記録

背番号

  • 48 (2003年 - 2007年)
  • 56 (2008年 - 2011年)
  • 58 (2012年 - )

登場曲

脚注

  1. ^ 10年前に阿部と勝利つかんだ的山コーチ「もっと勝つと思っていた」”. スポーツニッポン (2013年7月4日). 2013年7月4日閲覧。
  2. ^ 阪神、大ナタ大量8選手に戦力外通告”. サンケイスポーツ (2011年10月10日). 2011年10月10日閲覧。
  3. ^ 遠山は阿部の阪神時代の投手コーチであり、阿部は「えっ、遠山さんを超えて?珍記録ですね」とコメントしている
  4. ^ ヤクルト 阿部 10年ぶり勝った!国内最長ブランク、遠山超えたスポーツニッポン2013年7月4日配信

関連項目