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東武佐野線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東武鉄道 佐野線
シンボルマーク
葛生駅に停車中の佐野線上り列車。
生駅に停車中の佐野線上り列車。
基本情報
日本の旗 日本
所在地 群馬県館林市栃木県佐野市
起点 館林駅
終点 生駅
駅数 10駅
路線記号 TI
開業 1889年6月23日 (135年前) (1889-06-23)(安蘇馬車鉄道として)
1894年3月20日 (130年前) (1894-03-20)(佐野鉄道として)
最終延伸 1914年8月2日 (110年前) (1914-08-02)
所有者 東武鉄道
運営者 東武鉄道
使用車両 使用車両の節を参照
路線諸元
路線距離 22.1 km
軌間 1,067 mm
線路数 単線
電化方式 直流1,500 V 架空電車線方式
閉塞方式 自動閉塞式
保安装置 東武形ATS
最高速度 75 km/h[1]
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線
STR
小泉線
BHFq ABZqr+r STRq
0.0 TI-10 館林駅 伊勢崎線
BHF
2.7 TI-31 渡瀬駅
eDST
北館林荷扱所
WASSERq WABZq+r hKRZWae
渡良瀬川
WASSER BHF
6.9 TI-32 田島駅
WASSERq
STR
旧秋山川
exKBHFa WASSER STR
5.0* 越名駅 距離は佐野町から
exSTR WASSERl hKRZWae WASSER2+r
秋山川
exBHF STR LWASSER+4
高萩駅
exSTR BHF
9.0 TI-33 佐野市駅
exSTR num3le ekABZg23 num2re
1: -1914/9/25
2: 1914/8/2-10/15
exSTRl exkABZq1 eKRZ+xk14
exDST+r
第二連絡所
3: 1914/9/26-1917
4:1914/10/16-
KRZo STR+r exSTR
両毛線
STR exBHF
0.0 (旧)佐野町駅
exSTR
11.5 TI-34 佐野駅
eABZgl xABZql xKRZo
[注釈 1]
eABZg+l exSTRq exSTRr
eDST
第一連絡所(佐野連絡所)
exSTR+l eABZgr
exBHF STR
朱雀駅
exSTR BHF
13.1 TI-35 堀米駅
exSTRl eABZg+r LWASSER3
WASSER+l hKRZWae WASSERr+1
秋山川
LWASSER BHF
15.2 TI-36 吉水駅
SKRZ-Au
北関東自動車道
BHF
17.7 TI-37 田沼駅
STR
戸奈良線
eABZgl exABZq+r exKHSTeq
戸奈良駅
STR exKHSTe
戸室駅
BHF
19.3 TI-38 多田駅
eDST
山菅2号荷扱所
LWASSER eDST
山菅1号荷扱所
WASSERl hKRZWae WASSER+r
秋山川
KBHFxe
22.1 TI-39 生駅
会沢線
exHST
上白石駅
exABZgl
日鉄鉱業羽鶴専用鉄道
exLSTR
大叶線
exLSTR exKHSTe
大叶駅
exKHSTe
第三会沢駅

佐野線(さのせん)は、群馬県館林市館林駅栃木県佐野市生駅を結ぶ東武鉄道鉄道路線である。駅ナンバリングの路線記号はTI

2005年平成17年)2月に佐野市・田沼町葛生町が合併して佐野市となったため、群馬県内は館林市内、栃木県内は佐野市内と、それぞれ1県1市を走っている。

路線データ

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運行形態

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特急リバティりょうもう」が朝の生発浅草行きと夜の浅草発生行きで設定されているほかは、すべてワンマン運転普通列車のみの運行である。普通列車は朝の始発列車が佐野発館林行きの運行であるほかは館林駅 - 生駅間の運行である。

1時間に日中は1本、朝と夕方は2 - 3本程度の列車が設定されている。

使用車両

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現在の車両

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  • 500系 - 特急「リバティりょうもう」で使用。2022年3月12日のダイヤ改正でこれまでの200系を使用した特急「りょうもう」に代わり運行開始した。

以下の2車種9編成を当線・小泉線桐生線の3路線でそれぞれ使用。

以下は運用がごくまれ。

  • 800型・850型(南栗橋車両管区春日部支所所属・3両ワンマン編成で運行)

過去の車両

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  • 60000系南栗橋車両管区七光台支所所属・臨時列車でのみ入線) - 2019年4月に臨時列車として入線した実績がある[4]
  • 3050系 - 1996年4月運用終了
  • 5000系・5050系 - 2006年3月17日運用終了
  • 1800系 - 通勤改造車は2006年3月17日運用終了。未改造車は急行「りょうもう」として入線していたほか、2018年4月にも臨時列車で入線[5]
  • 200型・250型(南栗橋車両管区館林出張所所属) - 特急「りょうもう」で使用されたが、2022年3月12日のダイヤ改正から500系を使用した特急「リバティりょうもう」に運用が置き換わるため、前日の同月11日を最後に定期運用終了。

このほか、旧・北館林荷扱所への廃車回送があり、東武の各種車両や東京メトロ(日比谷線・半蔵門線)の車両も入線する[6]

歴史

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佐野線の前身は、1888年明治21年)に設立され、1890年(明治23年)までに生 - 越名間が開業した安蘇馬車鉄道である[7][8]江戸時代から生で産出される石灰石を運ぶための馬車鉄道で、越名まで運ばれた石灰石や木材などは、船に積み替えられて渡良瀬川から利根川を下って東京方面に運ばれていた。しかし、石灰石の輸送は年間を通じて行っていたわけでなく、閑散期の馬の餌代が負担となっていた[9][10]。そこで社名を佐野鉄道に改めて、1894年(明治27年)に蒸気機関車による鉄道に変更した。

1912年(明治45年)に佐野鉄道は東武鉄道に吸収合併された[11]。この頃、東武鉄道では日光進出の計画を立てており、当初は館林から佐野、生、鹿沼を経由して日光まで結ぶ構想であった[12]。そのため、ルートの重なる佐野鉄道を合併したのである(後に日光へは栃木経由に変更)。東武鉄道は佐野鉄道が持っていた鉄道敷設免許を利用して館林 - 佐野間を建設、1914年(大正3年)に開業し、館林 - 生間直通運転を開始した。館林や東京浅草まで直行できる鉄道ができたことで佐野町 - 越名間の旅客・貨物輸送は著しく減少し、1915年(大正4年)には旅客営業を休止し、1917年(大正6年)に廃止された[13][14]

生からの石灰石輸送は東武鉄道となってからも続けられ、生駅から先では東武の会沢線大叶線日鉄鉱業羽鶴専用鉄道といった貨物線が延び、佐野線でも貨物列車が多数運行されていたが、トラック輸送への移行が進み、1997年(平成9年)までにこれらの貨物線群や北館林荷扱所 - 生間での貨物列車運行は廃止され、残った久喜 - 北館林荷扱所間の石油輸送も2003年(平成15年)9月に廃止された。この佐野線の石油輸送列車が、東武鉄道で最後まで運行された貨物列車で、これにより1世紀以上に渡る同社の貨物列車の歴史に幕が降りた。

2006年(平成18年)3月より、合理化のため全線でワンマン運転を開始した[15]

年表

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  • 1889年(明治22年)
  • 1890年(明治23年)
    • 1月25日 (旧)佐野 - 越名間が開業[17]
    • 4月10日 生 - (仮)生間が開業[17]。(仮)生駅廃止。
  • 1892年(明治25年)10月19日 軽便汽鑵鉄道に変更願書提出。
  • 1893年(明治26年)4月13日 安蘇馬車鉄道が佐野鉄道に社名変更。
  • 1894年(明治27年)3月20日 生 - (旧)佐野 - 越名間の鉄道開業[19][20]生 - 越名間の馬車鉄道廃止。
  • 1902年(明治35年)9月1日 (旧)佐野駅を(旧)佐野町駅に改称[21]
  • 1903年(明治36年)6月17日 吉水 - 佐野町間に佐野連絡所を設け、佐野連絡所 - 佐野間が開業。日本鉄道両毛線佐野駅に連絡[22][注釈 3][注釈 4]
  • 1911年(明治44年)2月16日 軽便鉄道指定[25]
  • 1912年(明治45年)3月30日 東武鉄道が佐野鉄道を合併し佐野線とする[26][20][27]
  • 1914年(大正3年)
    • 8月2日:(旧)佐野町 - 越名間に第二連絡所を開設し、佐野町(現・佐野市) - 第二連絡所間の仮設線経由により、館林 - 佐野間が開業[28][29][30]。(旧)佐野町駅を廃止。佐野連絡所を第一連絡所に改称[28][注釈 5]
    • 8月19日 (旧)佐野町駅の廃止認可。
    • 9月26日 第二連絡所 - 越名間の従来線を廃止し、佐野町 - 越名間の新線に切り替え[注釈 6]。第二連絡所を廃止[33]
    • 10月16日 佐野町 - 佐野間の新線が開業。佐野町 - 第一連絡所間の仮設線と従来線を廃止。佐野 - 生間改築完成(第一連絡所 - 吉水間経路変更)。第一連絡所、多田 - 生間の山菅駅(貨物駅)廃止。館林 - 生間直通運転開始[34][35]
  • 1915年(大正4年)
  • 1917年(大正6年)2月17日 佐野町 - 越名間を廃止[40][20]
  • 1920年(大正9年)8月23日 生駅に接続する会沢線人車鉄道として開業[41]
  • 1925年(大正14年)8月23日 生駅に接続する会沢線が蒸気機関車化[42]
  • 1927年(昭和2年)12月16日 館林 - 生間が電化[43]。渡瀬駅開業[20]
  • 1943年(昭和18年)4月1日 佐野町駅を佐野市駅に改称[20]
  • 1963年(昭和38年) 浅草 - 生間で急行「からさわ」を運転開始。
  • 1966年(昭和41年)
  • 1969年(昭和44年)9月20日 伊勢崎線の急行の列車名を「りょうもう」に統一。1800系に置き換え。
  • 1972年(昭和47年)5月1日 渡瀬 - 田島間に北館林荷扱所開業。
  • 1991年(平成3年)11月6日 生発着の急行「りょうもう」を200系に置き換え[44]
  • 1997年(平成9年)10月1日 生駅に接続する会沢線が廃止。
  • 1999年(平成11年)3月16日 急行「りょうもう」を特急に格上げ[45]
  • 2003年(平成15年)10月1日 貨物営業廃止。
  • 2006年(平成18年)3月18日 普通列車でワンマン運転開始[15]
  • 2007年(平成19年)3月18日 PASMO導入。
  • 2009年(平成21年)6月6日 ダイヤ改正により、佐野市発着の初電・終電の2本を佐野発着に延長。
  • 2012年(平成24年)3月17日 全駅で駅ナンバリング導入。
  • 2017年(平成29年)4月21日 ダイヤ改正により、佐野行きの終電を生行きに延長。
  • 2019年(令和元年)
  • 2020年(令和2年)
    • 4月19日 前日の大雨による影響で、多田 - 生間の秋山川橋梁の橋脚を支えるコンクリートの一部が流失したため、佐野 - 生間が終日運休・バス代行になる[48]
    • 4月20日 復旧工事が完了し、15時29分に佐野 - 生間の運転再開[49]
  • 2022年(令和4年)3月12日 生発着の特急「りょうもう」を500系に置き換え、特急「リバティりょうもう」に変更[50]

駅一覧

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  • 特急リバティりょうもう」号の停車駅は当該項目を参照のこと。
  • 普通列車は各駅に停車する(ワンマン運転)。
  • 全駅でPASMOが利用可能だが、館林と佐野以外には自動改札がなく、簡易ICカード改札機を設置して対応している。
  • 線路(全線単線) … ◇:列車交換可 |:列車交換不可 ∧:終着駅
駅番号 駅名 駅間キロ 累計キロ 接続路線 線路 所在地
TI-10 館林駅 - 0.0 東武鉄道TI 伊勢崎線TI 小泉線 群馬県
館林市
TI-31 渡瀬駅 2.7 2.7  
- 北館林荷扱所 - -  
TI-32 田島駅 4.2 6.9   栃木県
佐野市
TI-33 佐野市駅 2.1 9.0  
TI-34 佐野駅 2.5 11.5 東日本旅客鉄道両毛線
TI-35 堀米駅 1.6 13.1  
TI-36 吉水駅 2.1 15.2  
TI-37 田沼駅 2.5 17.7  
TI-38 多田駅 1.6 19.3  
TI-39 生駅 2.8 22.1  

留置線のある駅

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  • 北館林荷扱所(2003年9月限りで貨物輸送が廃止されたことにより、北館林荷扱所内に設置されていた資材管理センター北館林解体所は渡瀬駅構内扱いとなっている。廃車車両が留置される)
  • 生駅(かつて貨物列車の受け渡しを行っていた)

廃駅・廃連絡所・廃荷扱所

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  • 越名駅(旧終点。1917年2月17日廃止[33]
  • 高萩駅(越名 - (旧)佐野間、1890年1月25日開業[51]、安蘇馬車鉄道時代廃止[注釈 7]
  • 第二連絡所((旧)佐野町 - 越名間、1914年8月2日開設[28]、同年9月26日廃止[33]
  • (旧)佐野町駅(開業時は(旧)佐野駅。1914年8月2日廃止[28]
  • 第一連絡所(開設時は佐野連絡所。(旧)佐野町 - 吉水間、1903年6月17日開設[22]、1914年10月16日廃止[34]
  • 朱雀駅((旧)佐野 - 吉水間、1889年開業[注釈 8]、安蘇馬車鉄道時代に廃止[注釈 7]
  • 山菅駅(貨物駅、多田 - 生間。佐野鉄道時代開業[注釈 9]、1914年10月16日廃止[34]
  • 山菅2号荷扱所(貨物駅、多田 - 山菅1号荷扱所間。1970年5月1日開設、1977年10月1日廃止)[51]
  • 山菅1号荷扱所((仮)生駅跡。貨物駅、山菅2号荷扱所 - 生間。1937年営業再開、1983年廃止)[51]

廃止区間

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  • 第二連絡所 - 越名駅
  • 第一連絡所 - (旧)佐野町駅 - (新)佐野町駅
  • (新)佐野町駅 - 越名駅

過去の接続路線

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  • 田沼駅:戸奈良線 - 1939年4月5日廃止 (貨物線)
  • 生駅:会沢線

大叶線日鉄鉱業羽鶴専用鉄道専用線は会沢線の途中駅である上白石駅から分岐。

脚注

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注釈

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  1. ^ 大町雅美の著書『郷愁の野州鉄道』[2]によると馬車鉄道から軽便鉄道への変更工事の際に「両毛線陸橋は改正改築するよう設計している」とあり、佐野駅西の両毛線との交差は両毛線を乗り越す立体交差であった。同書p.150には佐野市郷土博物館所蔵の両毛線横断橋の絵が掲載されている[3]
  2. ^ 開業当初の本社は仮駅がある葛生町大字山菅坪に設置されたが、翌年の正駅開業に伴い正駅がある葛生町大字葛生に移転している[18]
  3. ^ 『東武鉄道六十五年史』によれば「改築後現両毛線駅に移る」とあり移転扱い。そのため開業日に変更はない[20][23]
  4. ^ 1906年時点の時刻表によれば、佐野町駅から吉水駅への経路は、佐野町駅 - 佐野連絡所 - 佐野駅 - 佐野連絡所 - 吉水駅であった[24]
  5. ^ 佐野町駅から佐野駅への経路は、佐野町駅 - 第二連絡所 - 第一連絡所 - 佐野駅となる。
  6. ^ 『日本鉄道史』下編[30]の記述を要約すると、従来線の仮連絡点(第二連絡所) - 越名間に新連絡点を設け、佐野町 - 新連絡点間を新線に切り替えて従来線の仮連絡点 - 新連絡点間を廃止[31][32]
  7. ^ a b 『東武鉄道百年史』[51]には1912年3月30日以前と佐野鉄道時代に廃止の旨を示しているが、佐野鉄道開業の1895年の時刻表[52]や1906年時点の時刻表[24]には高萩駅と朱雀駅が記されていないことから、安蘇馬車鉄道時代までの駅だったと推測される。
  8. ^ 1889年時点の時刻表[16]には朱雀駅が記されている。
  9. ^ 1899年の時刻表[53]には山菅駅は記されていないが、『帝国鉄道要鑑』による1902年度の駅情報[54]や1906年時点の時刻表[24]には山菅駅が記されている。

出典

[編集]
  1. ^ a b 寺田裕一『データブック日本の私鉄 : 全国私鉄165社局掲載』(改訂新版)ネコ・パブリッシング〈NEKO MOOK ; 1836〉、2013年1月。ISBN 9784777013364全国書誌番号:22207422 
  2. ^ 大町 2004, p. 144.
  3. ^ 大町 2004, p. 150.
  4. ^ 東武鉄道で"春の花めぐり号"運転”. railf.jp(鉄道ニュース). 交友社 (2019年4月30日). 2019年5月1日閲覧。
  5. ^ 東武1800系「春の花めぐり号」運転”. railf.jp(鉄道ニュース). 交友社 (2018年4月22日). 2019年11月1日閲覧。
  6. ^ 東京メトロ日比谷線03系第2編成が渡瀬へ”. railf.jp(鉄道ニュース). 交友社 (2020年2月20日). 2024年6月18日閲覧。
  7. ^ 東武鉄道年史編纂事務局 1964, p. 709.
  8. ^ 中川・吉田 1993, p. 55.
  9. ^ 金井忠夫 編『近代鉄道事情 那須野が原に汽笛が響く』那須塩原市那須野が原博物館、2011年10月10日、107頁。 NCID BB09984249全国書誌番号:22068078 
  10. ^ 中川・吉田 1993, p. 58.
  11. ^ 東武鉄道年史編纂事務局 1964, p. 58.
  12. ^ 東武鉄道年史編纂事務局 1964, p. 710.
  13. ^ 東武鉄道年史編纂事務局 1964, p. 57.
  14. ^ 中川・吉田 1993, pp. 60–62.
  15. ^ a b 3月18日伊勢崎線・日光線でダイヤ改正を実施』(PDF)(プレスリリース)東武鉄道、2005年12月16日。オリジナルの2006年2月15日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20060215230517/http://www.tobu.co.jp/news/2005/12/051216.pdf 
  16. ^ a b c 大町 2004, p. 136.
  17. ^ a b c d 渡邉 1996, p. 58.
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  53. ^ 東武鉄道社史編纂室 編『東武鉄道百年史』 本史、東武鉄道、1998年、224頁。全国書誌番号:20043141 
  54. ^ 木下立安「佐野鉄道」『帝国鉄道要鑑』(第2版)鉄道時報局、1903年6月22日、覚119頁。doi:10.11501/805309https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/805309/705 

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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