山口洋一
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やまぐち よういち 山口 洋一 | |
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生誕 |
1937年1月14日(87歳) 日本・佐賀県 |
出身校 | 東京大学教養学部卒業 |
職業 | 外交官、著作家 |
山口 洋一(やまぐち よういち、1937年1月14日[1] - )は、日本の元外交官、著作家。
来歴
[編集]本籍は佐賀県[2][3]。同県で生まれ[4][5]、少年期に神奈川県鎌倉市に移り住む[2]。1960年東京大学教養学部教養学科仏文科卒、同年外務省入省[1]。同省経済局、アジア局、調査部、情報文化局、在フランス、南ベトナム、イタリア、インドネシア各大使館での勤務や、外務省情報文化局海外広報課長を経て、1981年よりパリ・ユネスコ常駐代表、駐マダガスカル特命全権大使兼駐コモロ特命全権大使[6]、駐トルコ特命全権大使[1][2][3][4][5]。1995年から駐ミャンマー特命全権大使[3][7]。1998年外務省退官[1][2][8]。その後、2006年から2009年までNPO法人国際芸術家センター理事長を務める[4]。日本・トルコ協会副会長[5]、同顧問[9]、東芝顧問[1][2]、NPO法人アジア母子福祉協会理事長[1][2][10]。東アジア歴史文化研究所所長、2018年より日中韓の各国を会場として国際学術会議及び国際展覧会を開催し、学術交流、文化交流に尽力。
著書
[編集]- 『マダガスカル アフリカに一番近いアジアの国』サイマル出版会、1991年、ISBN 4-377-40880-1
- 『トルコが見えてくる この親日国の重要性』サイマル出版会、1995年、ISBN 4-377-41039-3
- 『ミャンマーの実像 日本大使が見た親日国』勁草書房、1999年、ISBN 4-326-65223-3
- 『<思いこみ>の世界史 外交官が描く実像』勁草書房、2002年、ISBN 4-326-35128-4
- 『敗戦への三つの<思いこみ> 外交官が描く実像』勁草書房、2005年、ISBN 4-326-24836-X
- オンデマンド版、勁草書房〈keiso C books〉、2015年、ISBN 978-4-326-98201-1
- 『腑抜けになったか日本人 平成の若者よ、これでは日本はダメになる! 日本大使が描く戦後体制脱却への道筋』新風舎、2007年、ISBN 978-4-289-03420-8
- 増訂版、文芸社、2008年、ISBN 978-4-286-05714-9
- 加筆修正版、文芸社、2013年、ISBN 978-4-286-13736-0
- 『歴史物語ミャンマー 独立自尊の意気盛んな自由で平等の国』上下巻、カナリア書房、2011年
- 『アウン・サン・スー・チーはミャンマーを救えるか?』寺井融共著、マガジンハウス、2012年、ISBN 978-4-8387-2455-0
- 『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』カナリアコミュニケーションズ、2015年、ISBN 978-4-7782-0310-8
翻訳
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f “Profile Viewer 山口 洋一”. 日本戦略研究フォーラム. 2017年4月28日閲覧。
- ^ a b c d e f 『アウン・サン・スー・チーはミャンマーを救えるか?』奥付(著者紹介)。
- ^ a b c 渡部亮次郎ミャンマーの「真相」『渡部亮次郎の「頂門の一針」』第955号、まぐまぐ、2007年10月7日 。
- ^ a b c “IACの歴史”. 国際芸術家センター. 2017年4月28日閲覧。
- ^ a b c “歴史に見る自由で平等な国ミャンマー”. 21世紀日本アジア協会. 2017年4月28日閲覧。
- ^ ◎食糧増産援助に関する日本国政府とコモロ回教連邦共和国政府との間の交換公文
- ^ 菅原秀 (2008年5月1日). “ビルマは信用を回復できるか”. ビルマ情報ネットワーク. 2017年4月28日閲覧。
- ^ “独立自尊・自由と平等の国ミャンマーで進む民政移管 - 山口洋一氏に聞く”. 防人の道 〜今日の自衛隊〜. 日本文化チャンネル桜. 2017年4月28日閲覧。
- ^ “概要”. 日本・トルコ協会. 2017年4月28日閲覧。
- ^ “NPO法人 アジア母子福祉協会 AMCWA”. アジア母子福祉協会. 2017年4月28日閲覧。
参考文献
[編集]- 山口洋一・寺井融『アウン・サン・スー・チーはミャンマーを救えるか?』マガジンハウス、2012年、ISBN 978-4-8387-2455-0。