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クルディスタン労働者党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クルド労働者党[1]
Partiya Karkerên Kurdistanê (PKK)
創立 1978年 (1978)
準軍事組織 人民防衛軍 (HPG)、 自由女性部隊 (YJA-STAR)[2]
政治的思想


クルド民族主義英語版[3]
民主連邦主義英語版[4]
リバタリアン社会主義[4]
進歩主義[5]
反資本主義
共産主義
ジネオロジー英語版
歴史的:

マルクス・レーニン主義
政治的立場 極左[6]
国際連携 クルディスタン共同体同盟英語版
人民防衛軍
Hêzên Parastina Gel (HPG)
創設 1984年 (1984)[7]
活動期間 1984–現在
目的 トルコ系クルド人の権利[8]
活動地域 トルコ, イラク, シリア, 西欧諸国
主義 社会主義[9]
民主国家連合英語版
規模 15,000人以上もの戦闘員 (2014年)[10]
年間収入 500万ユーロ[11]
自由女性部隊
Yekîneyên Jinên Azad ên Star (YJA-STAR)
活動地域 トルコ, イラク, シリア, 西欧諸国
主義 社会主義[9]
フェミニズム
民主国家連合英語版
現況 トルコとの休戦(2013年より)

クルディスタン労働者党(クルディスタンろうどうしゃとう、トルコ語:Kürdistan İşçi Partisi, クルド語:Partiya Karkerên Kurdistan, PKKクルド人の独立国家建設を目指す武装組織。日本では、クルド労働者党(クルドろうどうとう、英語:Kurdistan Workers' Party, PKK)と呼称される[1]。旧称はクルド人民会議(KONGRA-GEL)。同組織は2002年4月にクルド労働者党(PKK)からクルディスタン自由民主会議(KADEK)に改称し、さらに2003年11月15日に現名称となった。これらの改称はテロリスト集団認定を法的に回避することが目的だったといわれている。トルコではこれを踏まえ、PKK/KONGRA-GELと併記する。現在の指導者はムラト・カラユラン(Murat Karayılan)。

テロ資金供与防止条約(1999年12月に採択)と国際連合安全保障理事会決議第1373号(第1373号決議)(2001年9月28日に採択)により、加盟国はテロと闘うための金融面を含む包括的な措置の実施を義務づけられており、安保理決議第1267号によりテロと闘うための金融面を含む包括的な措置の実施が義務づけられているが、PKKはその制裁対象の国際テロリストとして認定されている。日本政府は、「平成二十六年法律第百二十四号国際連合安全保障理事会決議第千二百六十七号等を踏まえ我が国が実施する財産の凍結等に関する特別措置法」第四条第一項第一号及び同項第二号を指定の根拠として、令和6年5月10日付け国家公安委員会告示第23号により、クルド労働者党(PKK)を「国際テロリスト財産凍結法第4条及び第6条に基づき指定等を行った国際テロリスト」として公告している[1]

概要[編集]

ロンドン2003年2月15日の反戦運動英語版で、クルディスタン労働者党の旗を掲げるクルド人のPKK支持者

クルディスタン労働者党は、クルド人はトルコの人口の10~25パーセントを占め、何十年も抑圧されてきたと主張しており[12]、今日に渡るまで、テロ活動をしている。トルコは、PKKにより、40,000万人ものトルコ人の命が犠牲になってきたと述べている[13]

資金源の大半を、不法な麻薬取引とヨーロッパに住むクルド人による献金で得ていたとされる。かつての支援国は旧ソ連ギリシャ。現在の拠点はイラク北部のクルディスタン地域シリアアルメニアと見られている。

PKKという名称は通例、その軍事部門であり、かつてクルディスタン民族解放軍(ARGK)と呼称された人民防衛軍(HPG)を指す場合にも用いられる。 訓練キャンプがイラク北部のカンディール山脈等に存在する[14]

活動[編集]

PKKは、1973年にアンカラで「アンカラ民主・愛国主義教育協会」として結成され、1978年に現在の組織名となった。当時はトルコ国内で学生運動が盛んだったため、メンバーの大半が学生であった。アブドゥッラー・オジャランを党首とし、活動地域をアンカラ周辺からクルド住民が多く住むトルコ東南部へと移動した。 同地でクルド人に対する宣伝活動を展開し、特に多くのクルド青年の心を引きつけたとされる。そして、1980年代[15]にトルコ東南部でテロ活動を起こし、標的はトルコ人だけではなく、親トルコ派のクルド人もテロの対象とされた。また、PKKはクルド民族主義だけではなく左翼組織だったため、右派のクルド民族主義組織(たとえばトルコ・ヒズボラ)とも抗争を繰り広げた。

このため、クルド人の間にも多くの犠牲者が出て、トルコ・クルド人の間からの支持を減らした。その後、活動拠点を国境問題を巡ってトルコと対立していたシリアレバノン北部に移動し、軍事キャンプを設立し、テロ活動をトルコ東部から南部・北部にまで拡大した。しかし、冷戦終結と共に最大の支援国であったソ連が崩壊、またトルコ軍の激しい掃討作戦により組織が弱体化した。

1984年から2013年まで、PKKはクルド人の文化的・政治的権利と民族自決権を求めてトルコに対する武装闘争を行った。グループは1978年にアブドゥッラー・オジャランの率いるクルド人学生集団によって創立された。PKKのもともとのイデオロギーは革命的社会主義英語版マルクス・レーニン主義クルド民族主義英語版と融合させたもので、クルディスタンでの独立国家樹立を目指していた[16]

しかし、1999年にはPKK指導者のアブドゥッラー・オジャランが逮捕収監され、その後にオジャランはマルクス・レーニン主義を放棄し[17]、さらに完全独立国家樹立の要求を撤回したうえで、党組織に対しても「民主的連邦主義」(これにはコミュナリズムであるリバタリアン社会主義の原理に強く影響を受けている)を取り入れるように指導した。そしてPKKは、1995年には公式に、その目標を民主的自治や無階級社会の実現へと変更した[18]

2007年5月には、PKKの元メンバーらがトルコ、イラン、イラク、シリアのクルド人の包括的組織であるクルディスタン社会連合(KCK)の結成を援助した。2005年の3月20日[19]、オジャランは民主連邦制の必要性について述べ、語るようになった。

「クルディスタンの民主的連邦主義は国家システムではない。人民による国家なき民主的システムなのだ…それは自身の権力を人民から得るとともに、経済を含むあらゆる領域での自立に適応する」

2012年終盤にトルコ政府は、停戦をめぐってオジャランと秘密会談を始めた[20]。会談を進展させるため、トルコ政府高官が、北イラクにいるPKK指導者たちに、獄中のオジャランからの手紙を届けた[21]。2013年3月21日、停戦が発表された[22]。4月25日、PKKがトルコ領を離れることが発表された。指揮官であるムラート・カラユランは、「進行中の準備の一環として、撤退は2013年5月8日に始まる。私たちの撤退中のゲリラ部隊は、攻撃、作戦行動、空爆の際は反撃権を行使する。また撤退は直ちに中止される」と述べた[23]。半ば自治をしくイラクのクルド人地域は、北方の隣人の考えを歓迎した[24]平和民主党(BDP)は、進行中の撤退を不安に思う市民に説明するために、トルコのクルド人地域中で集会を開いた。党首のピナル・ユルマズは「5月8日は期待と恐怖の日だ」と説明した。「私たちは政府をまったく信用していない。多くの人びとが、もしもゲリラたちが一旦行ってしまったら、トルコ軍が再度私たちを叩き潰すのではないかと心配している」と述べた[22]

PKKは、計画された通り、トルコ南部国境からイラク北部国境を越え撤退した[20]。しかし、バグダードのイラク人指導者たちは、自分たちの領内に武装集団を受け入れるつもりはないと宣言した。 「イラク政府はどのような政治的かつ平和的な合意も歓迎する。しかしイラクの治安と安定を損なう可能性がある武装集団を領内に受け入れることはない」と公式声明は述べた[24]。バグダードとクルド自治区は既に一定の石油生産地域をめぐって反目しあっているため、北イラクにおける武装クルド勢力流入の見込みは、緊張感を高める恐れがあった[24]

2014年、PKKはシリアとイラクのクルド人居住地域におけるISILとの戦闘に600の部隊を動員して参加し、そのことによって世界各国にPKKのテロ組織としての地位を再考させることとなった。その後は政治部門に当たる数多くの小政党を作り、トルコの地方議会などでPKK寄りのクルド人政治家を出した。現在では、PKKと関係のあると見られる政党は厳しく制限・監視されている。

2023年11月、トルコのイスタンブールの繁華街にてPKKによる爆破テロが起き、6人死亡、81人負傷している[25]

日本のPKKの関与が疑われる事件や活動[編集]

公安調査庁の国際テロリズム要覧で、随時、国際テロリズムのテロ活動が報告されている。

2015年10月25日在外投票が行われた在日本トルコ大使館でトルコ人とクルド人の間で午前中だけで4度の騒乱が起き、警視庁機動隊が出動して警察官を含む12名の負傷者を出す乱闘事件が勃発した[26]金高雅仁警察庁長官は「機動隊を緊急に配備し事態の沈静化に努めたが、ほかの国の紛争や対立を背景とした外国人どうしの大規模な集団暴行事件は、これまでに見られなかった」と語り大使館等との連携強化を図ると述べた[27]。この騒動の原因は、クルド人がPKKの旗をトルコ人に見せたことであるという見方があったが、日本クルド文化協会のワッカス・チョーラクは「旗は掲げていない」と述べている[28]

2023年12月、トルコ政府が、在日組織である「日本クルド文化協会」や「クルディスタン赤月」らの団体と、日本クルド文化協会事務局長ワッカス・チョーラクら複数の個人を、反政府武装組織クルド労働者党(PKK)への支援を理由に、資産凍結している[29]。日本クルド文化協会の事務所に、クルド労働党(PKK)の創設者の男性の顔が書かれた旗や、クルド労働党の旗を掲げて募金活動を行い、集まった約4000万円の資金をPKKへ送金したことが、テロ資金の調達であるとみなされた[30]。日本クルド文化協会の事務所には、PKKの関連組織の旗が飾られている[31]

日本クルド文化協会が主催するクルド人の祭り「ネウロズ」においても、クルド労働党関連の旗が掲げられ、トルコ兵士を虐殺するPKK讃歌が歌われることなどから、公園を貸し出しての催事開催への反対の声があがっている。2024年3月には、いったん不許可となったあとに許可がおり、埼玉県でネウロズが開催されたが、多数の機動隊や埼玉県警による厳戒態勢のもと、ものものしい奮起のなか1300人もの人が参加した[32][33]。また、ネウロズでは、PKKのサインであるピースを参加者一同で掲げて盛り上がる[31]

トルコ・クルド紛争#日本への影響も参照

イデオロギー[編集]

PKKのイデオロギーは、クルド民族のトルコからの独立を求めるクルド民族主義の他に、左翼政党でもあるのでマルクス主義共産主義を掲げている。

戦術[編集]

クルディスタン労働者党の兵士

人員募集[編集]

PKKの教義では、男女を平等に援助し、1990年代の初頭には17,000人の戦闘員のうち30パーセントが女性戦闘員だった[34]。2007年の現在も、1,100から4,500~5,000の女性兵士がいると見られている。

武装[編集]

武器の多くは旧ソビエト連邦もしくはロシア製であるが、チェコスロバキアドイツイギリスアメリカ合衆国製の武器も見られる。

2007年、トルコ当局は、PKKとブラックウォーター・ワールドワイドとの取引を指摘しており、北イラクにてアメリカの軍用車両が、彼らに対して武器を供給していたと主張している。この疑惑に対し、PKK側は否定している。

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c 国際テロリスト財産凍結法第4条及び第6条に基づき指定等を行った国際テロリスト【29個人29団体】”. 警察庁 (2024年5月10日). 2024年6月23日閲覧。
  2. ^ Why is the world ignoring the revolutionary Kurds in Syria?”. The Guardian. 2015年3月5日閲覧。
  3. ^ https://www.britannica.com/topic/Kurdistan-Workers-Party Kurdistan_Workers'_Party. Encyclopaedia Britannica.
  4. ^ a b https://www.jacobinmag.com/2016/03/pkk-ocalan-kurdistan-isis-murray-bookchin/ de Jong, Alex (18 March 2016). "The New-Old PKK". Jacobin Magazine. Retrieved 6 February 2019.
  5. ^ https://progressive.international/wire/2021-11-16-its-time-to-delist-the-pkk-as-a-terror-organisation/en "It's time to delist the PKK as a terror organisation"
  6. ^ Halliday, Fred (24 January 2005). The Middle East in International Relations: Power, Politics and Ideology. Cambridge University Press. p. 247. ISBN 9780521597418. https://books.google.co.jp/books?id=isHOVSHz_4gC&pg=PA247&dq=pkk+%22far+left%22&hl=en&sa=X&ei=hi8aUvqpKZHY9QTp4oDQAw&redir_esc=y#v=onepage&q=pkk%20%22far%20left%22&f=false 2013年8月25日閲覧。 
  7. ^ Terrorist Organization Profiles – START – National Consortium for the Study of Terrorism and Responses to Terrorism”. Start.umd.edu. 2014年8月14日閲覧。
  8. ^ Howard, Michael (2005年5月13日). “Radical firebrand who led bloody nationalist war”. Guardian (London). http://www.guardian.co.uk/international/story/0,3604,1482808,00.html 2008年8月1日閲覧。 
  9. ^ a b Jongerden, Joost. “Rethinking Politics and Democracy in the Middle East” (PDF). 2013年9月8日閲覧。
  10. ^ TCA The PKK Redux: Implications of a Growing Threat - ウェイバックマシン(2008年7月5日アーカイブ分)[リンク切れ], 15 November 2007
  11. ^ “PKK revenues reach 500 mln euros”. Today's Zaman. (2008年3月12日). http://www.todayszaman.com/newsDetail_getNewsById.action?load=detay&link=136169 2008年11月13日閲覧。 
  12. ^ Kreyenbroek, Philip G.; Sperl, Stefan, eds (2005). The Kurds: A Contemporary Overview. Routledge. p. 58. ISBN 1134907664 
  13. ^ PKK支援団体「日本側へ情報伝えていた」 トルコ大使”. 産経新聞 (2024年1月7日). 2024年6月23日閲覧。
  14. ^ Terrorist Organization Profile – START – National Consortium for the Study of Terrorism and Responses to Terrorism. Start.umd.edu. Retrieved on 15 July 2013
  15. ^ 1984年反政府武装闘争路線に転換
  16. ^ Jongerden, Joost (1 October 2017). "Gender equality and radical democracy: Contractions and conflicts in relation to the "new paradigm" within the Kurdistan Workers' Party (PKK)". Anatoli. De l'Adriatique à la Caspienne. Territoires, Politique, Sociétés (8): 233–256. doi:10.4000/anatoli.618. ISSN 2111-4064. https://journals.openedition.org/anatoli/618
  17. ^ Abdullah Öcalan, "Prison Writings: The Roots of Civilisation", 2007, Pluto Press. (p. 243-277)
  18. ^ https://www.jstage.jst.go.jp/article/ajames/35/2/35_71/_article/-char/ja/ 寺本めぐ美「オランダにおける『クルド・ナショナリズム』の展開:クルド系住民第2世代の政治意識の分析から」日本中東学会年報 35巻 (2019)2号 p.71-100
  19. ^ Declaration of Democratic Confederalism in Kurdistan
  20. ^ a b “Peace at the end of a long PKK struggle?”. Al Jazeera. (2013年5月9日). http://www.aljazeera.com/programmes/insidestory/2013/05/20135985316524633.html 2013年5月10日閲覧。 
  21. ^ Planned PKK pullout heats up Turkey politics”. 2015年6月25日閲覧。
  22. ^ a b “Kurds dare to hope as PKK fighters' ceasefire with Turkey takes hold”. The Guardian. (2013年5月7日). http://www.guardian.co.uk/world/2013/may/07/kurds-pkk-turkey-peace-talks 2013年5月10日閲覧。 
  23. ^ PKK sets date for withdrawal from Turkey”. 2015年6月25日閲覧。
  24. ^ a b c “Baghdad opposes PKK armed groups in Iraq”. Al Jazeera. (2013年5月9日). http://www.aljazeera.com/news/middleeast/2013/05/201359133815629930.html 2013年5月10日閲覧。 
  25. ^ 国際テロリズム要覧2023”. 公安調査庁 (2023年12月5日). 2024年6月23日閲覧。
  26. ^ トルコ大使館前で乱闘 警察官含む12人けが”. FNN (2015年10月25日). 2024年6月23日閲覧。
  27. ^ 警察庁長官「大使館連携強化」”. NHK (2015年10月29日). 2024年6月23日閲覧。
  28. ^ クルド人団体が釈明”. 毎日新聞 (2015年10月29日). 2024年6月23日閲覧。
  29. ^ 日本のクルド団体の資産凍結 「反政府組織と関連」―トルコ”. 時事通信 (2023年12月6日). 2024年6月22日閲覧。
  30. ^ 川口のクルド団体「テロ支援」トルコが資産凍結 地震で「4千万円」、団体側「冤罪だ」”. 産経新聞 (2023年12月5日). 2024年6月22日閲覧。
  31. ^ a b 宗像誠之 (2016年4月21日). “なぜ埼玉県南部にクルド人が集まるのか? クルディスタンを離れ「ワラビスタン」になった理由”. 日経ビジネス. 2024年2月27日閲覧。
  32. ^ クルドの祭事に1300人が参加で厳戒態勢…中止訴える人も さいたま”. 読売新聞 (2024年6月22日). 2024年6月22日閲覧。
  33. ^ クルド系テロ組織PKK関係団体が、埼玉県で祭り開催へ-県が認める恐怖”. journal of Protect Japan (2024年3月6日). 2024年6月23日閲覧。
  34. ^ Ali Özcan, NihatPKK Recruitment of Female Operatives”. 2007年9月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年8月23日閲覧。

外部リンク[編集]