民族主義者行動党

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 トルコの政党
民族主義者行動党

Milliyetçi Hareket Partisi(MHP)
党首 Devlet Bahçeli
幹事長 Ismet Buyukataman
創設者 Alparslan Türkeş
スローガン Bizimle Yürü Türkiye (roughly, "Walk With Us, Turkey!")
創立 1969年2月9日(46年前) (1969-02-09
前身 共和主義農民国民党
本部 アンカラ
武装組織 灰色の狼 (unofficial)
党員・党友数 407,138(2014年)[1]
政治的思想 トルコ民族主義[2]
汎トルコ主義[3]
大衆主義[2][4]
Turanism[5]
EU懐疑主義[6]
政治的立場 極右[7][8][9][10][11][12]
公式カラー        Red, white
国会:
80 / 550
大都市行政区:
3 / 30
自治体:
166 / 1,351
自治体:
174 / 1,251
公式サイト
www.mhp.org.tr
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選挙

民族主義者行動党(みんぞくしゅぎしゃこうどうとう、トルコ語Milliyetçi Hareket Partisi, MHP)は、トルコ共和国の政党。トルコ政界では、トルコ民族主義を主張する極右勢力として位置付けられている。

沿革[編集]

設立[編集]

民族主義者行動党の前身は、1958年に設立された共和主義農民国民党Cumhuriyetçi Köylü Millet Partisi)である。1960年の軍事クーデタの首謀者であるアルパルスラン・テュルケシ1965年に同党に入党し、党内での影響力を拡大。同年に党首に就任したテュルケシは、党組織を軍隊式に改組して、党内での絶対的権力を確立すると共に、元来郡部の保守的な農民層の利害を代表してきた党の政策を、トルコ民族主義による極右路線に転換させた。1969年には、党名が「民族主義者行動党」に改称された[13]

1970年代の活動[編集]

党首テュルケシは、1969年の総選挙でアナトリア中南部のアダナ選挙区から国会議員に当選した。国会における同党の保有議席数は、1973年に3名、1977年に16名のみであったが、共和人民党公正党の2大政党の間にあってキャスティング・ボートを握ることに成功した。民族主義者行動党は、1975年1977年に、公正党、国民救済党などと共に、公正党党首デミレルを首班とする連立政権に参加した。デミレル政権では、テュルケシが副首相として入閣したほか、治安関係の閣僚ポストを獲得し、軍や警察への影響力を拡大した[14]

民族主義者行動党は、議会への進出を行う一方で、党組織による合法、非合法の議会外活動を重視した。1970年代に左右の政治対立が激化すると、党の青年組織として「灰色の狼 (Bozkurt)」が設立され、軍部の黙認を受けて、左翼的な知識人、学生に対する脅迫、テロ活動を盛んに行った。また、宗教的少数派であるアレヴィー派も彼らの標的となり、1978年には「灰色の狼」メンバーが、トルコ東南部のカフラマンマラシュで100名以上のアレヴィー派信徒を虐殺し、戒厳令が発令される事件も起きた[15]

1980年クーデタ[編集]

こうした1970年代の不安定なトルコ政局や、続発するテロ事件を、政党政治の限界とみなした軍部は、1980年9月12日軍事クーデタを敢行し、全政党の活動を禁止した。民族主義者行動党も非合法化され、軍部から過去のテロ活動を危険視されたテュルケシら党幹部も投獄された。このため、同党の主要な支持層は中道右派政党の祖国党に流れることとなった[16]

1983年の民政移管を受けて、民族主義者行動党の旧指導部により、党の再建が行われ、同年、保守党Muhafazakâr Parti)が設立された。保守党は、1985年民族主義者労働党Milliyetçi Çalışma Partisi)に改称し、1987年にテュルケシの政治活動禁止が解除されると、同年党首にテュルケシが復帰した。1992年には党名を再び民族主義者行動党に戻した。

テュルケシの死[編集]

民族主義者労働党は、1991年の総選挙に、福祉党改革民主党と共同名簿を作成して参加。1997年にテュルケシが病没すると、テュルケシの息子トゥールル・テュルケシと、デヴレト・バフチェリによる後継争いが行われたが、1997年7月の党大会にてバフチェリが党首に選出された。

バフチェリは、党の路線を穏健化させ、非合法路線を放棄した。1999年の総選挙では、選挙直前にクルディスタン労働者党オジャランが逮捕され、保守層の民族意識が高揚したこともあり、民族主義者行動党は、前回選挙の倍の得票を得て、議会第2党に躍進した。選挙後は、民主左派党祖国党と共に民主左派党党首エジェヴィトを首班とする連立政権を樹立。バフチェリも副首相として入閣した。エジェヴィト政権は、2000年末の金融危機を発端に求心力を失ったため、2002年の総選挙では、公正発展党の躍進の前に民族主義者行動党は惨敗し、国会内の議席を失った。

2007年の総選挙では、党勢を盛り返し、アナトリア中部を中心に票を集め、国会内の議席を回復して、議会第三党となった。

政策[編集]

支持層[編集]

民族主義者行動党は、都市の中下層住民や中小商工業者、クルド人集住地区と隣接するアナトリア中央部の住民を主な支持基盤としている[17]

トルコ民族主義[編集]

民族主義者行動党の政策は、トルコ民族の一体性や、文化的優越性を主張するトルコ民族主義に特徴付けられる。アタテュルクにより設立された共和国の一体性を強調し、クルド人の文化を認めない点で、共和人民党などの中道左派勢力との共通点を有する一方、アレヴィー派をはじめとする国内少数派の排除や、国外のテュルク系諸民族との連携を図る汎トルコ主義的傾向が、中道左派勢力と異なる点であるとされる。

一方で、民族主義者行動党は、伝統的価値規範としてのイスラームの役割を擁護するため、イデオロギー面では、世俗主義原則の堅持を目指す中道左派勢力よりも、福祉党などのイスラーム復興勢力との共通点が多いとみられている[18]

9つの光[編集]

1965年に共和主義者農民国民党は、テュルケシの提唱する「9つの光 (Dokuz Işık)」を党綱領に定めた。この中でテュルケシは、「民族主義(milliyetçilik)」「理想主義(ülkücülük)」「道徳主義(ahlakçılık)」「知性主義(ilimcilik)」「社会主義(toplumculuk)」「農村主義(köycülük)」「自由主義(hürriyetçilik)」「開発主義(gelişmecilik)」「産業主義(endüstricilik)」を党の政策として提起し、トルコ民族の一体性や伝統的価値規範の重視、国家統制による農村振興や産業育成を主張した。

総選挙での得票率、獲得議席数[編集]

民族主義者行動党が参加した総選挙での得票率、獲得議席数は以下の通り[19][20][21]

党首 得票数 得票率 獲得議席
1969年 アルパルスラン・テュルケシ 275,091 3.0% 1
1973年 アルパルスラン・テュルケシ 362,208 3.4% 3
1977年 アルパルスラン・テュルケシ 951,544 6.4% 16
1995年 アルパルスラン・テュルケシ 2,301,343 8.2% 0
1999年 デヴレト・バフチェリ 5,606,583 18.0% 129
2002年 デヴレト・バフチェリ 2,635,787 8.4% 0
2007年 デヴレト・バフチェリ 5,004,003 14.3% 71

1991年の総選挙では、民族主義者労働党は、福祉党、改革民主党との統一名簿で候補者を擁立し、19議席を獲得した[22]

歴代党首[編集]

脚注[編集]

  1. ^ “Milliyetçi Hareket Partisi”, Party files (T.C. Yargıtay Cumhuriyet Başsavcısı (Office of the Prosecutor at the Court of Cassation of the Turkish Republic)), (16 December 2014), http://www.yargitaycb.gov.tr/Partiler/mhp.html 
  2. ^ a b Farnen, Russell F., ed (2004). Nationalism, Ethnicity, and Identity: Cross National and Comparative Perspectives. Transaction Publishers. p. 252. ISBN 9781412829366. "..the nationalist-fascist Turkish National Movement Party (MHP)." 
  3. ^ “MHP to start rallies against Kurdish initiative on Dec. 13”. Today's Zaman. (2009年12月4日). http://www.todayszaman.com/newsDetail.action;jsessionid=3Ghv60BSd63UASpRJxK9ZPhJ?newsId=194568&columnistId=0 2015年1月4日閲覧。 
  4. ^ Abadan-Unat, Nermin (2011). Turks in Europe: From Guest Worker to Transnational Citizen. New York: Berghahn Books. p. 19. ISBN 9781845454258. "...the fascist Nationalist Movement Party..." 
  5. ^ http://www.conference-burgas.com/maevolumes/vol5_2009/BOOK3/B3_REP29.pdf
  6. ^ http://www.researchgate.net/publication/233292008_The_Nationalist_Movement_Party%27s_Euroscepticism_Party_Ideology_Meets_Strategy
  7. ^ “Turkish far right on the rise”. The Independent. (1999年4月20日). http://www.independent.co.uk/news/turkish-far-right-on-the-rise-1088461.html 2014年8月29日閲覧。 
  8. ^ Avcı, Gamze (September 2011). "The Nationalist Movement Party's Euroscepticism: Party Ideology Meets Strategy". South European Society and Politics (Routledge) 16 (3): 435–447. doi:10.1080/13608746.2011.598359. ISSN 1743-9612. 
  9. ^ Çınar, Alev; Burak Arıkan (2002). “The Nationalist Action Party: Representing the State, the Nation or the Nationalists?”. In Barry Rubin & Metin Heper. Political Parties in Turkey. London: Routledge. pp. 25. ISBN 0714652741. http://books.google.com/books?id=B71dAgAAQBAJ. 
  10. ^ Huggler, Justin (1999年4月20日). “Turkish far right on the rise”. The Independent. http://www.independent.co.uk/news/turkish-far-right-on-the-rise-1088461.html 2014年5月21日閲覧。 
  11. ^ Arıkan, E. Burak (July 2002). "Turkish ultra–nationalists under review: a study of the Nationalist Action Party". Nations and Nationalism (Association for the Study of Ethnicity and Nationalism) 8 (3): 357–375. doi:10.1111/1469-8219.00055. 
  12. ^ Butler, Daren (2011年5月21日). “Pre-election resignations rock Turkish far right”. Reuters. http://www.reuters.com/article/2011/05/21/us-turkey-election-nationalists-idUSTRE74K1J320110521 2014年5月21日閲覧。 
  13. ^ 新井 pp.267-268.
  14. ^ 新井 pp.276-278.
  15. ^ 新井 pp.278-279.
  16. ^ 新井 pp.283-284.
  17. ^ 澤江 2002 p.43.
  18. ^ 澤江 2002 pp.30-32.
  19. ^ Milletvekili Genel Seçimi sonuçları (トルコ政府統計局 国政選挙結果 1950年-1977年)
  20. ^ Milletvekili Genel Seçimi sonuçları (トルコ政府統計局 国政選挙結果 1983年-2002年)
  21. ^ Ntvmsnbc Secim 2007(NTV MSN NBC 2007年総選挙結果特集(トルコ語))
  22. ^ 澤江 2002 p.37.

参考文献[編集]

外部リンク[編集]