北アイルランド

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北アイルランド
Northern Ireland英語
Tuaisceart Éireannアイルランド語
Norlin Airlannアルスター・スコットランド語
地域の標語:Dieu et mon droit
フランス語神と私の権利
地域の歌:ロンドンデリーの歌(事実上)
北アイルランドの位置
公用語 英語アイルランド語
アルスター・スコットランド語
主都 ベルファスト
最大の都市 ベルファスト
政府
連合王国国王 エリザベス2世
首相 アーリーン・フォスター英語版
面積
総計 13,843km2N/A
水面積率 不明
人口
総計(2020年 1,908,250人(N/A
人口密度 138人/km2
GDP(PPP
合計(2002年332億ドル(N/A
1人あたり 19,603ドル
発足アイルランド統治法 (1920年)
通貨 UKポンド (£)(GBP
時間帯 UTCGMT (UTC+0) (DST:UTC+1)
ISO 3166-1 GB (GB-NIR)
ccTLD .ie, .uk
国際電話番号 353 48, 44 28
国花シャムロック
守護聖人聖パトリック

北アイルランド(きたアイルランド、英語: Northern Irelandアイルランド語: Tuaisceart Éireann[1]アイルランド語発音: [ˈt̪ˠuəʃcəɾˠt̪ˠ ˈeːɾʲən̪ˠ]アルスター・スコットランド語: Norlin Airlann)は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(イギリス)のアイルランド島北東部に位置する構成要素の一つである。北アイルランドについては、イギリスのカントリープロヴィンス地域など様々な表現がされている[2][3][4]

アイルランド島北東に位置するアルスター地方9県の内の6県からなるためアルスター6県とも称されている。 2015年に6県を廃止し、新たに11行政区が設置された。 アイルランド島でアイルランド共和国国境を接している。 面積は1万4139km2、首都は東岸に位置するベルファストである。

歴史

1920年に成立したアイルランド統治法によってアイルランドは南北に分割され、それぞれに自治権が付与された。その後に発生したアイルランド独立戦争の講和条約である英愛条約に基づいて、南部26県によりアイルランド自由国が建国され、グレートブリテン及びアイルランド連合王国より分離した際は北アイルランドも自由国の管轄内に含まれていた。しかしアイルランド自由国内戦が始まったため、英愛条約の条項に基づいて北アイルランド議会は自由国からの離脱を表明して連合王国にとどまることになった。

19世紀にアイルランドがグレートブリテンおよびアイルランド連合王国へと併合されて以来、アイルランドにおいてはユニオニスト(イギリスとの連合維持を主張)とナショナリスト(イギリスからの独立を主張)の対立が続いていた。アイルランド全土がイギリスに支配されていた時代から、北アイルランド地域はグレートブリテン島からの植民者が多数を占めており、ユニオニストの勢力が強かった。また、必ずしもアイルランド人即ちナショナリストではなく、経済的に考えると英国に帰属した方が有利であると考える者も多かった[5]。このようなことが考慮されて、北アイルランドはイギリス統治下に残留することになった。

1960年代後半になると、アメリカ合衆国公民権運動の影響を受けて、社会的に差別を受けていたカトリックの「一人一票」を要求する社会運動が活発になったが、プロテスタント主体であった北アイルランド政府はこれを抑圧、情勢は緊迫化し、深刻な分断と対立が発生した。以降、1990年代前半までIRA暫定派を始めとするナショナリストとユニオニスト双方の私兵組織と、政府当局(英陸軍北アイルランド警察)とが相争う抗争が続き、血の日曜日事件など数多くの武力弾圧やテロによって数千名にものぼる死者が発生するなど、「北アイルランド紛争」と呼ばれる事態が生じ、社会と経済の混乱は極めて苛烈なものとなった。北アイルランド議会はこの事態に対処できなかったため、1972年3月30日の「1972年北アイルランド暫定法(en:Northern Ireland (Temporary Provisions) Act 1972)」で議会は停止され、翌1973年7月18日の「1973年北アイルランド憲法法(en:Northern Ireland Constitution Act 1973)」によって正式に廃止、翌1974年7月17日の「1974年北アイルランド法(en:Northern Ireland Act 1974)」によって、イギリス本国の枢密院による直接統治が行われるようになった。

1990年代になると和平への道が模索されはじめ、1998年になるとユニオニストおよびナショナリスト政党、私兵組織とイギリス、アイルランド両政府によってベルファスト合意が形成され、アイルランド政府は国民投票の結果北アイルランドの領有権を放棄、またこれに基づいて、全政党が参加する北アイルランド議会が復活した。この功績によって、穏健派政党の党首であるデヴィッド・トリンブルジョン・ヒュームノーベル平和賞が授与されている。過激派によるテロが収まったことを受け、シティグループ富士通など、外国企業による新たな直接投資が相次ぎ、経済成長を遂げている。

2016年のイギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票で離脱派が賛成多数となったことを受け、再び南部との間の国境問題が浮上した。国境の取扱についてイギリス議会でも議論がまとまらず、同国のEU離脱は2020年まで先延ばしを繰り返し厳格な国境の復活は回避された。離脱の移行期間が終了した2020年12月31日以後も北アイルランドはEU単一市場に留まっており他のイギリスの地域とは別の扱いを受けている[6][7]

政治

ベルファスト議会議事堂

1960年代に北アイルランド問題が発生する以前、本土の政党との関係で言うと、アルスター統一党保守党に代わり、アルスター自由党自由党に代わり、それぞれストーモント議会The Parliament of Northern Ireland・旧議会)を支配していた。北アイルランド労働党については、本土の労働党と強い協力関係を有していなかった。この他、アイルランド統一を掲げるナショナリスト党シン・フェインが活動していた。

1960年代の後半から1990年代にかけ、宗教差別を発端としたユニオニスト、ナショナリスト両勢力の私兵組織が騒乱やテロを繰り返す、いわゆる「北アイルランド問題」が巻き起こり、1972年にストーモント議会が廃止されてイギリス政府による直接統治が始まった。この社会的混乱に各政党も強い影響を受けた。アルスター統一党は、サニングデール合意を批判して保守党との関係を断絶した。アルスター自由党は、自由民主党へと衣替えしたが支持を失い、現在、同盟党の姉妹政党に落ちついている。解党された北アイルランド労働党の一部の議員によって社会民主労働党が結党された。

近年になり、イギリスの主要政党が北アイルランドの選挙に参加しようとする動きが見られる。保守党は、1980年代の終わりから候補者を送り出しているが、ほとんど支持を得られていない。自由民主党は、同盟党を支援している。

ベルファスト合意から現在まで

現在の北アイルランド政府は、1998年ベルファスト合意によって設立が決定されたが、2002年から機能を停止した。同時に設置された北アイルランド議会The Northern Ireland Assembly)も、一時は、党派間の対立によって機能停止に追い込まれた。2003年の北アイルランド総選挙においては、強硬派のシン・フェインや民主統一党が穏健派以上の票を獲得するなど、政治的対立が先鋭化する傾向も見られる。2007年3月26日には、シン・フェインと民主統一党との間で自治機能を同年5月8日より再開させることで合意が形成されたものの、エネルギー政策をめぐる対立が激化し2017年1月に再び機能を停止。2020年1月10日にシン・フェインと民主統一党が自治政府再建で合意し、翌11日より議会が再開した[8]

北アイルランド議会における主要政党や、その議席数(2007年3月時点)については、北アイルランド議会#現議会を参照。

イギリス下院の総選挙においては、人口比に従って全646議席の内の18議席が北アイルランドに割り当てられている。2017年イギリス総選挙によって決定した現在の議席数は、民主統一党が10議席、シン・フェインが7議席、無所属が1議席で、社会民主労働党とアルスター統一党は議席を失った。シン・フェインの議員は、女王への宣誓の拒否、統一アイルランドを正統政府と見なす、などの信念から議会に参加していない。2017年の総選挙の結果、どの党も過半数を得られなかった(ハング・パーラメント)ために、保守統一党政権は民主統一党との閣外協力協議を始めた。シン・フェインに対しても、民主統一党に対抗して登院すべきという批判があがるなど、両党への注目は俄に高まっている。

行政区画

次の11の行政区からなる。

  1. ベルファスト
  2. アーズ・アンド・ノース・ダウン
  3. アントリム・アンド・ニュータウンアベイ
  4. リスバーン・アンド・カースルレー
  5. ニューリー・モーン・アンド・ダウン
  6. アーマー・シティ・バンブリッジ・アンド・クレイガヴォン
  7. ミッド・アンド・イースト・アントリム
  8. コーズウェー・コースト・アンド・グランス
  9. ミッド・アルスター
  10. デリー・シティ・アンド・ストラバン
  11. ファーマナ・アンド・オマー

ベルファスト以外にはロンドンデリーニュリーアーマーリスバーンが主要都市として挙げられる。 世界遺産に登録されているジャイアンツ・コーズウェーとコーズウェー海岸を始めとする観光地も多い。

経済

北アイルランドの経済規模はイギリスの4地域中で最小である。主要産業は造船、ロープおよび繊維製造などであったが、次第にサービス業が占める比率が増加している。北アイルランド紛争により長年の停滞を経験したが、和平成立後はイギリスとアイルランド両国の好景気を受けて失業率が改善するなど落ち着きを取り戻しつつある。

人口あたりのGDPは2005年時点で19,603ユーロであり、北西イングランド地方やウェールズよりも多い[9]。1986年に17.2%にも及んでいた失業率は2001年には4.5%にまで減少した[10]。労働者の特徴として、他の英国内地域に比べて長時間勤務をおこなっていること、収入について性差が少ないことなどが挙げられる[11]

国民

宗教

北アイルランドの宗教
宗教名 割合*
プロテスタント**
  
42%
ローマ・カトリック教会
  
41%
無宗教または無回答
  
17%
キリスト教以外
  
1%
*May not add to 100% due to rounding
** Church of Ireland, Presbyterian Church in Ireland and others

2001年に行われた調査では、北アイルランドの住民のうち45.5%がプロテスタントであった。この中には長老派アイルランド聖公会メソジストなどが含まれている。それに対してカトリック教徒は40.3%であった。その他の13.9%の住民は特定の宗派、宗教を有していない[12]

帰属意識

他の調査によると、住民の38%が自身をユニオニストであると規定し、同様に24%がナショナリスト、そして35%がどちらにも当てはまらないと回答している[13]。全体の59%は長期的な視野にたった英国による北アイルランド統治を是認すると述べ、22%が統一アイルランドの形成を支持している[14]。態度が不明確な層が存在するのは、北アイルランド同盟党が一定の支持を受けていることからも裏付けられる。最近の選挙においては、54%が親プロテスタント政党に投票し、42%が親カトリック政党へ、残りの4%がそれ以外の政党に投票している。

アイルランド共和国国籍

2005年以前に生まれた全ての住民には、アイルランド共和国の市民権が自動的に与えられていた。これはベルファスト合意を受けて2001年に制定されたアイルランド共和国の国籍法の条項によっている。ベルファスト合意においては、イギリスとアイルランド両国が北アイルランドの全ての住民にアイルランド人またはイギリス人となる権利を与えるとある。現在でもこれは大多数の住民に適用されている。

教育

言語

オレンジ結社の行進

歴史的な経緯から、北アイルランドではイギリスとアイルランドの双方に由来する文化がみられる。言語は英語の他にアイルランド語アルスター・スコットランド語 (enが公用語として認められている。アイルランド共和国ではアイルランド語の復興運動により多くの国民がアイルランド語の知識を習得しているが、北アイルランドでは復興運動は乏しく、2011年の調査によるとアイルランド語の多少の知識がある人の割合は11%、読み書きが可能なレベルではわずか3.7%にとどまっている。また、アルスター・スコットランド語はさらに少数派で読み書きが可能なレベルの割合は0.9%に過ぎない。現在では中国系移民の増加を反映して中国語が2番目の母語集団となっている。

文化

この地域を象徴するものの一つとしてアマの花がある。

食事には特に特有のものはないが、アルスター・フライ[15]という朝食が著名である。ベーコン目玉焼きソーダパンまたはポテトパンからなる。

スポーツ

盛んなスポーツとしてはサッカーラグビーユニオンが挙げられるが、カトリック系住民の間ではゲーリック・ゲームズゲーリック・フットボールハーリング)の人気も高い。サッカー北アイルランド代表はこれまでFIFAワールドカップに3回、UEFA欧州選手権に1回出場しており、60~70年代に大活躍した名選手ジョージ・ベストは北アイルランドの出身である。サッカーの少年向けの国際大会であるミルク・カップも開催されている。ラグビーアイルランド代表は北アイルランドおよびアイルランド共和国との合同チームであり、世界的な強豪チームの一つである。

ゴルフでは、ローリー・マキロイが2011年の全米オープンを皮切りにメジャー選手権を4度制した他、グレアム・マクダウェルが2010年の全米オープン、ダレン・クラークが2011年の全英オープンでそれぞれ優勝している。スヌーカーでは、アレックス・ヒギンズ(1972年、1982年)とデニス・テイラー(1985年)という2人の世界チャンピオンを輩出している。モータースポーツでは、ジョン・ワトソン(年間総合順位の最高は1982年の3位)とエディ・アーバイン(同じく1999年の2位)という2人の有名F1ドライバーを生んでいる。

脚注

  1. ^ An Roinn Dlí agus Cirt agus Comhionannais : Tuaisceart Éireann. Justice.ie. Retrieved on 2013-07-23.
  2. ^ S. Dunn; H. Dawson (2000), An Alphabetical Listing of Word, Name and Place in Northern Ireland and the Living Language of Conflict, Lampeter: Edwin Mellen Press, "One specific problem - in both general and particular senses - is to know what to call Northern Ireland itself: in the general sense, it is not a country, or a province, or a state - although some refer to it contemptuously as a statelet: the least controversial word appears to be jurisdiction, but this might change." 
  3. ^ J. Whyte; G. FitzGerald (1991), Interpreting Northern Ireland, Oxford: Oxford University Press, "One problem must be adverted to in writing about Northern Ireland. This is the question of what name to give to the various geographical entities. These names can be controversial, with the choice often revealing one's political preferences. ... some refer to Northern Ireland as a 'province'. That usage can arouse irritation particularly among nationalists, who claim the title 'province' should be properly reserved to the four historic provinces of Ireland-Ulster, Leinster, Munster, and Connacht. If I want to a label to apply to Northern Ireland I shall call it a 'region'. Unionists should find that title as acceptable as 'province': Northern Ireland appears as a region in the regional statistics of the United Kingdom published by the British government." 
  4. ^ D. Murphy (1979), A Place Apart, London: Penguin Books, "Next - what noun is appropriate to Northern Ireland? 'Province' won't do since one-third of the province is on the wrong side of the border. 'State' implies more self-determination than Northern Ireland has ever had and 'country' or 'nation' are blatantly absurd. 'Colony' has overtones that would be resented by both communities and 'statelet' sounds too patronizing, though outsiders might consider it more precise than anything else; so one is left with the unsatisfactory word 'region'." 
  5. ^ “Why is Northern Ireland part of the United Kingdom?”. The Economist. (2013年11月7日). ISSN 0013-0613. https://www.economist.com/the-economist-explains/2013/11/07/why-is-northern-ireland-part-of-the-united-kingdom 2019年11月1日閲覧。 
  6. ^ 漁業権問題を大きくした事情”. 現代ビジネス. 2021年1月2日閲覧。
  7. ^ イギリスにとって新時代始まる EU離脱完了”. BBC. 2021年1月2日閲覧。
  8. ^ “英領北アイルランドで3年崩壊していた自治政府が復活 継続に向けて未だに残る不安”. 産経新聞. (2020年1月12日). https://www.sankei.com/world/news/200112/wor2001120027-n1.html 2020年1月12日閲覧。 
  9. ^ Regional GDP per capita in the EU25. 25 January 2005. Eurostat. URL accessed 10 May 2006.
  10. ^ "Northern Ireland's economic fears". 22 June 2001. Orla Ryan, BBC. URL accessed 10 May 2006.
  11. ^ Economic Overview. 2006. Northern Ireland DETI. URL accessed 10 May 2006.
  12. ^ Population in Northern Ireland: breakdown by religious denomination, Census 2001
  13. ^ Ark survey, 2003. Answer to the question "Generally speaking, do you think of yourself as a unionist, a nationalist or neither?"
  14. ^ Ark survey, 2004. Answers to the question "Do you think the long-term policy for Northern Ireland should be for it to [one of the following]"
  15. ^ The Ulster fry”. www.bbc.co.uk. BBC. 2020年6月9日閲覧。

関連項目

外部リンク

政府

観光