矢口町
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やぐちまち 矢口町 | |
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廃止日 | 1932年10月1日 |
廃止理由 |
編入合併 羽田町、蒲田町、矢口町、六郷町 → 東京市 |
現在の自治体 | 大田区 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 東京府 |
郡 | 荏原郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
18,261人 (第3回国勢調査、1930年10月1日) |
隣接自治体 |
東京府荏原郡六郷町、蒲田町、池上町、東調布町 神奈川県川崎市、橘樹郡中原町 |
矢口町役場 | |
所在地 | 東京府荏原郡矢口町 |
座標 | 北緯35度33分43秒 東経139度41分25秒 / 北緯35.56203度 東経139.69025度座標: 北緯35度33分43秒 東経139度41分25秒 / 北緯35.56203度 東経139.69025度 |
ウィキプロジェクト |
矢口町(やぐちまち)は、東京府荏原郡にかつて存在した町である。東京都大田区の南西部に位置する。おおむね東京都道311号環状八号線(環八通り)沿いにあたる。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制の施行に伴い、蓮沼村、道塚村、小林村、安方村、原村、今泉村、古市場村、矢口村、下丸子村の全域と、鵜ノ木村の一部(残部は蒲田村、調布村に編入)が合併し、矢口村が発足。
- 1912年(明治45年) - 多摩川を挟んで両岸に蛇行していた神奈川県橘樹郡との境が多摩川上に設定され、橘樹郡御幸村大字中丸子、上平間、小向の各一部を編入。大字古市場の一部を移管。
- 1928年(昭和 3年)2月11日 - 矢口村が町制施行し、矢口町となる。
- 1932年(昭和 7年)10月1日 - 荏原郡全域が東京市に編入。矢口町の区域は蒲田区となる。
- 1947年(昭和22年)3月15日 - 蒲田区が大森区と合併し、大田区を設置。
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]- 国道15号(当時は1号国道、京浜国道)
現在の地名
[編集]教育機関
[編集]施設
[編集]- 慶應義塾新田運動場 - 1926年開設。400mトラックおよび蹴球場、1万5千人収容の野球場、テニスコートも備えていた。跡地は同潤会に売却された[1]。
- 矢口浄水場 - 1930年に完成。当時は民間の水道会社矢口水道の浄水場だった。
脚注
[編集]- ^ 三田評論 2014年1月号 立ち読み慶應義塾史跡めぐり 第86回──新田運動場 2018年8月31日閲覧
関連項目
[編集]- 東京都の廃止市町村一覧
- 慶應義塾体育会野球部 - 六大学野球黄金期に新田球場を本拠地としていた。
関連書籍
[編集]- 東京市臨時市域擴張部 『荏原郡矢口町現状調査』 1931年