1号型ミサイル艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
1号型ミサイル艇
JMSDF PG-821.jpg
フォイルボーン中のミサイル艇1号
艦級概観
艦種 ミサイル艇
建造期間 1991年 - 1995年
就役期間 1993年 - 2010年
前級 11号型 (魚雷艇)
次級 はやぶさ型
性能諸元
排水量 基準:50トン[1][2]
満載:60トン[3]
全長 21.8 m (水中翼降下時)
全幅 7.0 m (水中翼除く)
深さ 3.5 m
吃水 1.4 m (艇走時)
機関 翼走用推進ウォータージェット1軸推進
石川島播磨重工業LM500 ガスタービンエンジン(4,000PS
1基
艇走用推進、スクリュープロペラ1軸推進
いすゞマリン製造製6BD1TC ディーゼルエンジン(130PS)
1基
速力 最大46ノット[1][2]
航続距離 400海里 (40kt巡航時)[1]
定員 11名[2]
武装 JM61-RFS 20mm機銃 1門
90式SSM 連装発射筒 2基
C4I 海軍戦術情報システム
(OYQ-8+リンク 11)
レーダー OPS-18 対水上捜索用 1基
OPS-20 航海用 1基
電子戦 NOLR-9電波探知装置
Mk.137 6連装デコイ発射機 2基

1号型ミサイル艇(いちごうがたミサイルてい、英語: PG-821 class guided-missile patrol boats)は、海上自衛隊が運用していたミサイル艇の艦級。海自初のミサイル艇として、平成2年度計画で2隻、平成4年度計画で1隻が建造された[2][3]。建造費は1隻あたり66億円(平成3年度計画艇)[4]

来歴[編集]

海上自衛隊では、局地防衛兵力として魚雷艇を配備してきた。その後、魚雷よりも優れた対艦兵器として艦対艦ミサイルが台頭してきたことから、1970年代第4次防衛力整備計画において艦対艦ミサイル装備艇の導入が計画された。このときの計画では、魚雷のみを装備した100トン型PTと、魚雷と艦対艦ミサイルを併載した160トン型PTLを3隻ずつ建造する予定であった。また同時に、最大50ノットの速力を発揮できる全没型水中翼艇として、180トン型PTHの研究開発も予定されており、こちらはポスト4次防での実用化が目標とされていた[5]。しかし、1973年第四次中東戦争に伴う石油輸出国機構 (OPEC) 各国の原油価格値上げに端を発した第一次オイルショック(第一次石油危機)による物価高騰の直撃を受け、防衛予算の枠内で予定隻数を達成することは不可能となり、4次防の建艦計画は大混乱に陥った。これを受けて180トン型PTHの研究開発は未着手に終わり、また魚雷艇の建造計画も縮小されて老朽更新分の2隻のみが建造されることになり、艦対艦ミサイル装備の艇は実現しなかった[6][7]

その後、1980年代61中期防において、再度ミサイル艇の整備が計画された。この際には、オペレーションズ・リサーチによる詳細な検討が行われ、大湊舞鶴佐世保地方隊に6隻ずつを配備するという基本計画が策定された。これは、運用コンセプト上、1つの目標に対してミサイル艇2隻で1つのチームを組み、大規模な目標に対しては2チーム4隻で対処する計画であったことから、地方隊ごとに4隻ずつを稼動状態に置くために所要の隻数として算定されたものであった[8]。これに基づき、まず61中期防の最終年度にあたる平成2年度計画で1チーム分2隻が建造された。その後、1990年代03中期防で4隻の追加建造が予定されたが、1992年12月18日安全保障会議閣議で2隻に削減された。更に、このうち平成4年度計画の1隻のみが確定とされ、残る1隻は平成6年度以降のオプションとされた[6]

設計[編集]

伊海軍スパルヴィエロ級

本級の最大の特徴が、全没型水中翼船型の採用である。イタリア海軍が配備していたスパルヴィエロ級から技術を導入しているが、これはもともと、アメリカ合衆国ボーイング社がアメリカ海軍の依頼で開発した「トゥーカムカリ」(旅客型はボーイング929)に源流を有するものであった[9]

船体設計はほぼスパルヴィエロ級が踏襲されており、艇体は耐水アルミニウム合金の溶接構造、上部構造物は板厚が薄いことから鋲接構造とされている。水中翼は全没構造で、前1枚・後2枚のエンテ型配列とされており、前翼のタブ(動翼)を動かして操舵を行う。旋回時は、自動コントロール装置によって傾斜角約10度のバンクド・ターンを行うことで、遠心力による乗員への影響を軽減していた[1]。なお、後述のとおり装備面ではタイプシップとは大きく異なることもあり、重量・重心位置の制約は非常に厳しく、グラム管理での重量管理が行われた[10]

主機関は海上自衛隊独自のものとなっている。水中翼艇であることから、翼航走(フォイルボーン)時と艇体航走(ハルボーン)時の2種類の推進装置を備えていた。翼航走時は、主機関としてはゼネラル・エレクトリック LM500ガスタービンエンジン石川島播磨重工業ライセンス生産)によって、荏原製作所300CDW型ウォータージェット推進器1基を駆動していた。このウォータージェット推進器のための吸水口は後部水中翼の下端に設けられており、ここから吸い上げられた海水はウォータージェット・ポンプによって加速されて、マスト直下の船底にある2ヶ所の開口から噴出された。一方、艇体航走時には、いすゞマリン製造製の4サイクル直列6気筒機関である6BD1TCディーゼルエンジン(180馬力 / 2,700 rpm)によってスクリュープロペラ1軸を駆動していた。このスクリュープロペラは、翼航走時には船体取付部を軸として右舷側に90度回転させ、船底レベルより上に引き上げられていた[11][12]

なお、速力46ノット自衛艦としては最速であった。

装備[編集]

兵装は完全に海上自衛隊独自のものとなっている。主兵装は国産の90式艦対艦誘導弾(SSM-1B)であり、連装に配した発射筒を2セット、艇尾に装備する[2]。これは陸上自衛隊向けの88式地対艦誘導弾(SSM-1)を艦載化したものであり、護衛艦に搭載されてきたハープーンの後継となる予定であったが、本型が一足先に搭載することになった[1]

砲煩兵器も、遠隔操作型の20mm多銃身機銃に変更された。更に、OYQ-8戦術情報処理装置[13]によってリンク 11の運用に対応し、小型艇ながら、P-3C対潜哨戒機との連携運用も可能となっていた[10]

電子戦装置としては、マストトップにNOLR-9電波探知装置(ESM)を、また上部構造物直前にMk.137 6連装チャフフレア発射機を2基備えている[14]

なお、上記の通りにきわめて厳格な重量制限が架されたことから、予備品・用具をはじめとする物資の搭載は最小限に限定されており、給食給養を含めて、陸上を大型トラック2両で移動するMLS(Mobile Logistics Support)部隊による後方支援に依存する運用形態となっていた[10]相模湾で実施される自衛隊観艦式に参加した際には、航続距離と陸上支援部隊の移動速度により、母港の余市港から横須賀港までは数日かけての移動となった。

配備[編集]

3隻とも神奈川県横須賀市浦賀町住友重機械工業追浜造船所浦賀工場で建造され、余市防備隊に新編された第1ミサイル艇隊へ配備された[3][8]

しかし就役後、波浪中の船体強度や耐航性の不足が発覚し、特に冬季の日本海での運用上問題となった。水中翼艇特有の問題として、フォイルボーンでの高速時とハルボーンでの低速時との間に速力や運動性の面で大きなギャップがあり中速域での運用が困難であった。また艦船でありながら地上部隊の支援を必要とする問題もあった。これらはいずれも運用上重大な制約となったことから、平成6年度以降で検討されていた1隻の追加建造は実現せず、本型の建造は3隻で打ち切られた[3]。後継としては、滑走型船型の採用と船型の大型化によって汎用性と独立行動能力を強化した200トン型ミサイル艇が設計され、平成11年度計画より建造が開始された[8]

2008年6月6日付で1号と2号が除籍され、残る3号は2010年6月24日に除籍された。

同型艦一覧[編集]

艦番号 艦名 建造 起工 進水 竣工 除籍
PG-821 ミサイル艇1号 住友重機械工業
追浜造船所
浦賀工場
1991年
(平成3年)
3月25日
1992年
(平成4年)
7月17日
1993年
(平成5年)
3月22日
2008年
(平成20年)
6月6日
PG-822 ミサイル艇2号
PG-823 ミサイル艇3号 1993年
(平成5年)
3月8日
1994年
(平成6年)
6月15日
1995年
(平成7年)
3月13日
2010年
(平成22年)
6月24日[15]

誤射事件[編集]

2006年9月5日19時20分頃、青森県むつ市の海上自衛隊大湊基地に停泊していたミサイル艇3号が20mm機関砲の作動確認中、実弾4発、曳光弾2発、訓練弾4発、計10発を誤射した。基地内の倉庫、基地外の樹木に被弾痕が確認されたが人的被害、民家への被害はなかった。

海上自衛隊では、事故の原因などについて調査した上、同年12月6日に関係者の懲戒処分が行われた。指揮監督義務違反により、大湊地方総監が訓戒、余市防備隊司令が戒告、第1ミサイル艇隊司令が減給、職務上の注意義務違反により、ミサイル艇3号艇長、同砲雷長、同射管員及び同射撃員が停職処分を受けた(職名はいずれも事件当時)。

事故原因は、同日に日本海で行われた射撃訓練後に撃ち残した弾があったにもかかわらず、撃ち尽くしたと臆断して残弾の確認を怠り、抜弾を行わないまま機関砲の作動確認を行った、人為的ミスによるもの。

参考文献[編集]

  1. ^ a b c d e 戸田孝昭「海上自衛隊初の水中翼哨戒艇 ミサイル艇1号型 (特集・海上自衛隊の哨戒艦艇)」、『世界の艦船』第466号、海人社、1993年6月、 98-101頁。
  2. ^ a b c d e 『自衛隊装備年鑑 2006-2007』 朝雲新聞社2006年、256-257頁。ISBN 4-7509-1027-9
  3. ^ a b c d 「海上自衛隊全艦艇史」、『世界の艦船』第630号、海人社、2004年8月、 194頁、 NAID 40006330308
  4. ^ 藤木平八郎「高速戦闘艇の今日と明日 (特集・現代の高速戦闘艇)」、『世界の艦船』第502号、海人社、1995年10月、 70-75頁。
  5. ^ 「海上自衛隊が計画中の水中翼ミサイル艇」、『世界の艦船』第239号、海人社、1977年4月、 94-95頁。
  6. ^ a b 中名生正己「海上自衛隊哨戒艦艇の戸籍簿」、『世界の艦船』第466号、海人社、1993年6月、 74-81頁。
  7. ^ 香田洋二「国産護衛艦建造の歩み 第17回 4次防, 「しらね」型その1」、『世界の艦船』第797号、海人社、2014年5月、 154-161頁、 NAID 40020022939
  8. ^ a b c 石井幸祐「海上自衛隊の最新鋭ミサイル艇「はやぶさ」型のすべて (特集・ミサイル艇)」、『世界の艦船』第597号、海人社、2002年6月、 88-97頁、 NAID 40002156363
  9. ^ 「海上自衛隊哨戒艦艇のテクニカル・リポート」、『世界の艦船』第466号、海人社、1993年6月、 82-91頁。
  10. ^ a b c 技術開発官(船舶担当) 『技術研究本部50年史』(PDF)、2002年、107-108頁。2015年4月22日閲覧。
  11. ^ 「海上自衛隊哨戒艦艇用主機の系譜」、『世界の艦船』第466号、海人社、1993年6月、 92-97頁。
  12. ^ 阿部安雄「機関 (自衛艦の技術的特徴)」、『世界の艦船』第630号、海人社、2004年8月、 238-245頁、 NAID 40006330308
  13. ^ 山崎眞「わが国現有護衛艦のコンバット・システム」、『世界の艦船』第748号、海人社、2011年10月、 98-107頁、 NAID 40018965310
  14. ^ 「海上自衛隊現有哨戒艦艇の全容」、『世界の艦船』第466号、海人社、1993年6月、 1-5頁。
  15. ^ ミサイル艇「3号」艦番号823 平成22年6月24日除籍

関連項目[編集]

外部リンク[編集]