長島昭久
衆議院議員 長島 昭久 ファイル:Akihisa nagashima.jpg | |
---|---|
生年月日 | 1962年2月17日(62歳) |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
出身校 |
慶應義塾大学法学部 慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程(中退) ジョンズ・ホプキンス大学 |
学位・資格 |
法学修士 国際関係論修士 |
前職 |
ヴァンダービルト大学客員研究員 アメリカ外交問題評議会上席研究員 |
世襲 | 無 |
選出選挙区 | 東京21区 |
当選回数 | 3回 |
所属党派 | 民主党(野田グループ) |
党役職 |
政策調査副会長(外交・安全保障担当) 国会対策副委員長 |
会館部屋番号 | 衆議院第1議員会館510号室 |
ウェブサイト | 長島フォーラム21 |
長島 昭久(ながしま あきひさ、1962年2月17日 - )は、日本の政治家。民主党所属の衆議院議員(3期)、内閣総理大臣補佐官(外交および安全保障担当)、国家基本問題研究所理事。日本スケート連盟副会長[1]。
来歴
神奈川県横浜市生まれ(本籍地は東京都立川市)。幼稚舎から一貫して慶應義塾で学び、慶應義塾大学法学部法律学科及び政治学科を卒業し、1990年に慶大大学院法学研究科博士課程を単位取得退学。大学院博士課程在学中、自由民主党の石原伸晃衆議院議員事務所に入所し、石原の公設第一秘書を務めるかたわら、東京文化短期大学で憲法学の講義を行っていた。
1992年、大前研一が創設した平成維新の会に参加した。1993年からアメリカ合衆国テネシー州のヴァンタービルト大学客員研究員を務め、ジェームズ・アワーの指導を受けた。1995年からワシントンD.C.のジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院SAISで学び、国際関係論で修士号を取得する。1996年、論文「安全保障のビッグバン」で第3回読売論壇新人賞の最優秀賞を受賞する。1997年、米国外交問題評議会研究員(アジア政策担当)に就任し、朝鮮半島和平構想プロジェクトに参画、リチャード・アーミテージやマイケル・グリーンらの知己を得る。
その後、2000年に上席研究員に昇任し、ジョンズ・ホプキンス大学ライシャワー東アジア研究所の客員研究員を兼務。東京財団主任研究員として「アジアにおける米軍前方プレゼンスの将来像」研究プロジェクトを主宰し、2002年にその研究成果を著書『日米同盟の新しい設計図―変貌するアジアの米軍を見据えて』(日本評論社)として上梓した。
2000年帰国し、衆議院補欠選挙に立候補するが落選。2003年、第43回衆議院議員総選挙に東京21区から民主党公認で立候補し、当選する。民主党では「次の内閣」の防衛庁副長官、衆議院安全保障委員会理事、拉致問題特別委員会理事となる。また、イラク復興特別委員会、武力攻撃事態対処特別委員会、文部科学委員会に所属した。
2005年9月11日第44回衆議院議員総選挙では小選挙区で敗れるも比例復活当選。選挙後の代表選挙では前原誠司の推薦人に名を連ねる。前原新代表の下で「次の内閣」の防衛庁長官に抜擢されるとともに、安全保障委員会の野党側筆頭理事に就任、党内の安全保障政策の取りまとめにあたる。また、2003年より慶應義塾大学大学院で非常勤講師(国家安全保障政策担当)、2006年より中央大学大学院公共政策研究科で客員教授を務める。その後、前原誠司に代わり代表に就任した小沢一郎の「次の内閣」でも防衛庁長官として留任した。
2006年9月より、外務委員会理事、外交・安全保障担当の政策調査副会長および国会対策副委員長に就任した。防衛庁の省昇格法案の審議では、法案賛成に向け党内論議をリードし防衛省内の信頼を確固としたものにする。また、麻生政権時代には、野党でありながらソマリア沖に蔓延り我が国はじめ世界各国の商船を苦しめていた海賊に対処するための海上自衛艦隊艦艇の派遣を提唱、再三質問に立ち国会論議を主導し、2008年3月からの護衛艦部隊派遣の原動力となった。
第21回参議院議員通常選挙に際して鈴木寛候補の選対事務局長を務め当選を果たすが、直後に行われた立川市長選挙では応援した弁護士を当選させることができなかった。
2009年、第45回衆議院議員総選挙に東京21区から民主党公認で立候補し、3回目の当選を果たす。9月18日、鳩山由紀夫内閣の防衛大臣政務官に就任。2010年6月8日に発足した菅内閣においても防衛大臣政務官に再任された。同年9月菅第1次改造内閣の発足に伴い退任。その後、党の外交安全保障調査会事務局長に就任し、2010年末に政府が決定した防衛計画の大綱見直しに向け、与党の提言取りまとめに尽力し、南西方面の防衛力増強、NSCの創設、武器輸出三原則やPKO五原則の緩和など、自民党時代にもできなかった安全保障改革に道筋をつけた。
2011年9月、野田内閣発足に伴い、首相補佐官(外交および安全保障担当)に就任。
人物
- 「生活者の利益に軸足を置きつつ、さらに徹底した改革を標榜する保守層へ食い込むような政策立案や運動を展開すべき」としている。党内では人権擁護法案から人権を守る会、永住外国人の地方参政権を慎重に考える勉強会、慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会など、主に保守派の議員で構成される勉強会に参加している。
- 保守の立場から、一貫して共産・社民との野党共闘に反対。2006年の沖縄県知事選では、民主党も含む野党統一候補となった糸数慶子が米軍基地反対派であるため「共産党と変わらない」と批判し、党執行部に対抗して糸数候補を批判した。糸数が落選すると「野党共闘路線は破綻した」として、教育基本法全部改正案などの審議拒否を止め、「面舵いっぱい」に右転換するよう主張。
- 温家宝来日の際に行われた国会演説についての辛口のコメントが産経抄で絶賛され[要出典]、光華寮訴訟に関する国会質問が櫻井よしこの週刊新潮コラムで取り上げられた。
- 衆議院のテロ防止特別委員会でソマリア沖の海賊対策として海上自衛隊艦艇による民間商船の護衛を麻生太郎首相に提案。麻生が「(聴いていて)自民党の方が提案しているのかと思うくらい」と賛意を示す一方で、民主党の政調会長である直嶋正行からは、自衛隊の海外派遣につながるとして「どういうことなんだ」と詰め寄られた。
- 一連の言動から、ビートたけしのTVタックルで三宅久之に「あなた民主党にしては随分マトモだねぇ」などと評される。また八木秀次が同番組に出演した際には、長島と原口一博に対して「自民党も右から左までいて、民主党も右から左までいる。何で原口さんや長島さんが民主党にいるのか私にはさっぱり分からない」と述べた[要出典]。
- アメリカから帰国後、かつて秘書として勤めていた石原伸晃に国会議員に立候補することを相談したところ、二世議員が多い自民党よりも、国会議員になれる可能性がある民主党への立候補を薦められ、当時石原が注目していた仙谷由人を紹介されたという。
- 座右の銘は、「命もいらず、名もいらず、官位も金も望まぬ者ほど御し難きものはなし。しかれども、この御し難き者にあらざれば、国家の大業を計るべからず」(西郷南洲遺訓)。
政策
- 「官」による福祉ではなく、NPOやボランティアなど「市民力」を活用し、官民一体で国費を節約
- 構造改革に賛成。議員定数を衆参で400に削減し、公務員給与を2割カット
- 治安維持のため、警察官を増員し、警備会社や元警察官などの協力を得て「空っぽ交番(空き交番)」を解消する
- 少子化対策として、保育園と幼稚園を一元化し「待機児ゼロ」を実現。小児科医を倍増させる
- 消費税の福祉目的税化
- 憲法改正
- 永住外国人への地方参政権の付与に反対
- 横田飛行場(横田基地)に付随し、在日米軍が制空権を握っている「横田空域」の返還。再軍備を達成し、日米対等の同盟を結び、対等な関係を構築する
- 北朝鮮の拉致問題や大量破壊兵器問題などを解決するため、北朝鮮への強力な経済制裁と日朝平壌宣言の白紙化を主張。多国間協議で取り組み、アジアに「不戦の共同体」を築く
- インドやASEAN諸国、ロシアなどと協力し、中国に対日政策転換を迫る
主な所属議員連盟
著書
- 『日米同盟の新しい設計図―変貌するアジアの米軍を見据えて』(政策研究シリーズ) 日本評論社 2002年3月 199p ISBN 4-535-58320-X
- 第2版 2004年11月 199p ISBN 4-535-58419-2
- 『国防の論点』(共著:森本敏、石破茂)PHP研究所2007年3月 195p ISBN 4-569-65955-1
関連項目
脚註
- ^ 橋本会長が3期目へ/スケート サンケイスポーツ 2010年6月26日閲覧
外部リンク
- 長島フォーラム21(公式ホームページ)
- 長島昭久 WeBLOG 『翔ぶが如く』(公式ブログ)
- 長島昭久 公式ブログ
- 長島昭久 (@nagashima21/) - X(旧Twitter)