西原春夫

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西原 春夫(にしはら はるお、1928年3月13日 - )は、日本の法学者。専門は刑法早稲田大学第12代総長[1](1982年~1990年)。一般財団法人アジア平和貢献センター[2]理事長(2005年~)、学校法人日本女子大学顧問、日本日中関係学会顧問、財団法人日独協会評議員(1990年~)、財団法人日本国際連合協会常務理事(2003年~)、[3]日中組織犯罪共同研究会会長(2007年~)、文部科学省ネット安全安心全国推進会議会長(2007年~)、少林寺拳法東京都連盟会長(2008年~)、社団法人日中協会理事(2009年~)、公益社団法人日本中国友好協会顧問(2009年~)。早稲田大学名誉教授。法学博士(早稲田大学)。東京都出身。  法務省法制審議会刑事法特別部会幹事(1965年~1973年)[4]、法務省司法試験考査委員(1970年~1979年)、法務省法制審議会監獄法改正部会委員(1976年~1982年)、警察大学校講師 (1977年~1978年、1980年~82年)、日本弁護士連合会懲戒委員会委員(1980年~1983年)、日本私立大学団体連盟副会長・日本私立大学連合会副会長(1984年~1987年)を経て会長(1988年~1992年)、法務省矯正保護審議会委員(1983年~1995年、1991年から会長)[5]、財団法人大学基準協会評議員・常務理事・副会長・会長(1984年~1993年、1989年から会長)、財団法人日本オリンピック委員会評議員(1985年~1987年)、文部省教育課程審議会委員・副会長(1985年~1989年)、文部省大学設置・学校法人審議会員・副会長・会長(1988年~1993年。1991年から会長)、全私学連合代表(1988年~1992年)、全国大学体育連合会長(1988年~1995年)、東日本アレクサンダー・フォン・フンボルト協会理事長(1988年~1995年)、日中刑事法学術討論会日本側代表(1988年~ 2005年)、総理府元号制定に関する懇談会(1989年)、安田基金によるアジア青少年交流基金運営委員長(1990年~2015年)、総務庁第三次臨時行政改革推進審議会 (行革審) 委員 (1991年~1993年)、社団法人青少年育成国民会議副会長・会長(1991年~2009年、1993年から会長)、早稲田大学ヨーロッパセンター(ボン)館長(1995年~1998年)、学校法人国士舘理事長(1998年~2005年)、学校法人常磐大学特別顧問(2007年~2010年)公益財団法人矯正協会会長(2011年~2017年)などを歴任した。

名誉博士・名誉教授・名誉研究員・客座教授[編集]

【名誉博士】高麗大学校(韓国、1985年)、ラサール大学(フィリピン、1988年)、アーラム大学(アメリカ、1988年)、シドニー大学(オーストラリア、1989年)、モスクワ大学(旧ソビエト連邦、1990年)、アウグスブルク大学(ドイツ、1996年) 【名誉教授】中国人民大学(北京、1994年)、華東政法学院(上海、1994年)、武漢大学(武漢、2000年)、 極東国立工科大学(ロシア、2002年)、吉林大学(長春、2002年)、黒龍江大学(ハルビン、2002年)、中国社会科学院(北京、2003年) 、山東大学(済南、2006年)、西北政法大学(西安、2007年)、中国政法大学(北京、2007年)、新疆財経大学(ウルムチ、2008年)、重慶大学(重慶、2009年) 【名誉研究員】上海社会科学院(上海、2008年)、司法部犯罪予防研究所(北京、2010年) 【客座教授】北京大学(北京、2004年10月25日)、東南大学(南京、2015年)

略歴・人物[編集]

東京都武蔵野市吉祥寺出身。1941年成蹊小学校卒業、1948年旧制成蹊高等学校卒業。1949年に早稲田大学第一法学部(3年次)に入学する。1951年に同学部を卒業。1951年同大学大学院法学研究科修士課程に入学し齊藤金作教授に師事する。同大学副手就任。1953年に同研究科博士課程入学後、同大学助手に就任する。1956年に同研究科博士課程を修了。

1959年早稲田大学専任講師、1962年同大学助教授、1967年同大学教授。学位論文『間接正犯の理論』にて法学博士(早稲田大学)。アレクサンダー・フォン・フンボルト財団の研究奨学生として、ドイツ・フライブルク大学外国・国際刑法研究所に留学(1962年~1964年)[6]。さらに、早稲田大学在外研究員としてドイツ・フライブルク市のマックス・プランク外国・国際刑法研究所に留学した(1979年)。同大学法学部学生担当教務主任(1968年1970年)、法学部長(1972年1976年)、理事(1978年1980年)、常任理事(1980年~1982年)。学生担当教務主任時代は大学紛争[7]、法学部長時代は川口大三郎事件(リンチ殺害事件)、理事時代は入試不正事件、常任理事時代は所沢・幕張論争の処理に追われた。1982年の総長就任後は、日本私立大学団体連合会会長(1980年1992年)や文部省大学設置・学校法人審議会会長(1991年1993年)を兼任し、私学の顔として活動した。1990年に早稲田大学総長を退任。1995年から1998年まで早稲田大学ヨーロッパセンター(ボン)館長を務める。1998年に早稲田大学を定年退職後は、学校法人国士舘の理事長の職にあたり、2005年から名誉顧問。また、同年7月15日早稲田大学名誉賛助員。2005年、特定非営利活動法人アジア平和貢献センターを設立し、理事長に就任(2012年から一般財団法人)。2007年学校法人常磐大学特別顧問就任。2011年、財団法人(2013年から公益財団法人)矯正協会[8]会長[9](2017年退任)。

草野豹一郎大審院判事)・齊藤金作と続く、早稲田刑法学の継承者として学究活動を行う。間接正犯の研究を行った後、高度成長期の新旧過失論争に際しては、藤木英雄らと共に新過失論を展開した(藤木・板倉宏はその後、新・新過失論を提唱するに至る)。なかでも、信頼の原則を日本で初めて紹介し、交通事犯における過失論研究の第一人者となった。早稲田刑法学の独自色たる共犯論の分野においては、草野・齊藤に従い共同意思主体説を主張した。

 早稲田大学名誉教授の曽根威彦および田口守一、大阪学院大学教授の木本強は、早稲田大学の大学院在籍中の1969年に恩師である齊藤金作が死去したため、西原に師事した。

大阪市立大学元教授(商法)の西原寛一は叔父、神戸大学名誉教授(民法)の西原道雄は従弟、大阪市立大学名誉教授(商法)の古瀬村邦夫は従妹の夫、早稲田大学名誉教授(刑事政策)の須々木主一は義理の弟、早稲田大学社会科学総合学術院教授(専門は比較憲法学)の西原博史は、実子である。

2007年11月、叙勲(瑞宝大綬章)。1991年、ドイツ連邦共和国より第一級功労十字勲章受章。1995年、中国・上海市政府より白玉蘭栄誉奨。2006年、武漢大学より国際交流突出奨励奨。

最近の活動[編集]

日中刑事法学術交流[編集]

 1988年から30年来、日中刑事法研究会を2年に1回、継続して開催してきた。第1回は、上海。その成果は、成文堂から書籍としてシリーズで公刊されている[10]。  全人代の法律委員会で刑事訴訟法の講演をした洲見光男教授(同志社大学)が「西原教授に教えを受けた」と披露したところ、会場がどよめいて、雰囲気が柔らかになったというエピソードを伝えている 。現在、日中刑事法研究会名誉会長。

一般財団法人アジア平和貢献センター(Asian Peace Making Center)[編集]

 2005年に、特定非営利活動法人として設立し、2012年に一般財団法人に改組[11]

儒教関係[編集]

 2007年12月、中国人民大学(北京)と韓国高等教育財団共催による「国際儒学論壇」第四回会議に参加した際に、「儒教倫理と企業倫理の相関関係」研究会(座長・資生堂相談役弦間明氏)を擁する桜美林大学北東アジア総合研究所の川西重忠所長らが孔子像の前で偶然、これを寄付した孔教学院の湯恩佳氏(香港)と会ったことを機縁としてキリスト教系大学である桜美林大学に孔子像が寄付された。これを取りもった西原春夫は、「儒教は本来宗教ではなく倫理思想なので、キリスト教徒、イスラム教徒にも通用する普遍性を持っている。これらの宗教倫理と共通な部分すらある。もし儒教の教えの中に、単にアジア人だけでなく、世界中の人々の行動原理にしてもらいたいと思うところがあるとすれば、そのことをはっきりさせた上で、その普及に努めるべきではなかろうか。孔子の銅像がキリスト教系の大学である桜美林大学に立っているのは、キリスト教と儒教とは矛盾しないのだよ、どのような宗教を信ずる人々にとっても、儒教には大事な教えが含まれているのだよ、という考えを世界に向かって発信するという意義が含まれている。」と高く評価している。  2008年11月19日に、中国人民大学孔子研究院・韓国高等教育財団主催第5回国際儒学論壇「仁愛思想の現代的意義」において「駅のホームに落ちた乗客を助けようとして不幸にも死亡した韓国留学生の美挙に対し、当時の金大中大統領が『身を殺して仁を為す』という言葉を使って称賛した。ところで仁という言葉は戦前日本で国家主義、軍国主義の方向に曲げられ、『国のために命を投げ出せ』という意味を含むようになったため、戦後の日本では禁句のようになった。しかし仁という規範は、国や組織が構成員に強いるものではなく、個人個人が自分の生き方の指針とする方向で考えるべきだ。」と話した[12]

歴史認識懇話会関係[編集]

  歴史認識懇話会は、2011年から2015年まで22回開催した[13]。  第二回(2011年11月18日)で、東郷和彦会員「村山談話と日本の歴史認識」と並んで、「近代日本に影響を及ぼしたヨーロッパ帝国主義」を講演。第九回(2013年2月25日)の「日本の平和国家理念――現段階での再構築――」において明石康会員、寺島実郎会員とならんで意見陳述をした 。第十九回(2015年2月14日)のシンポジウム「国際社会の中で『国』という枠組みは今後どうなっていくのか」には進藤榮一氏、大庭三枝氏、廣瀬陽子氏の意見陳述にあたり司会を務めた[14]

その他「主な」講演[編集]

 2008年1月3日、NHKラジオ放送に出演して「世界とアジアの中の日本」を話し、1月16日、桜美林大学北東アジア総合研究所において「世界とアジアの中の日本の進路」について講話、2月6日、栃木県岩舟町・藤岡町・佐野市合同議員研修会講演で「日本のアジア政策--未来からのシナリオ」(岩舟町コスモスホール)を話した[15]。2008年11月30日、中国国際放送局China Radio International. CRI.に出演[16]。また、2010年12月12日に武漢大学で開催されたシンポジウム「辛亥革命と日本」において基調講演「辛亥革命研究の現代的意義」を講演した[17]

伊勢神宮吟詩舞奉納団団長[編集]

東京都少林寺拳法連盟会長[編集]

東アジア国際法秩序構築事業[編集]

 2014年に精華大学(北京)で開かれた第3回平和フォーラムで発表された国際共同研究組織の構想をきっかけとして、2015年に、日本の指導的な国際法学者、国際政治学者、中国研究者などの地域研究者など、約20名の専門家を招き、「東アジア国際法秩序研究協議会」[18]を設立し、座長となる(名誉顧問に福田康夫元総理大臣)。東アジアを不戦平和の地域にするため、国際紛争の平和的解決という観点から東アジアの地域にふさわしい国際法のありかを探求するもの。日中二国間の研究フォーラムという枠組みのほかに、アジアの関係国の国際法学者による国際会議を開き、実質的な議論を進めるために個別協議方式をとる。現在、韓国、シンガポール、タイ、フィリピンでキーパーソンを定め、さらにインドネシア、マレーシア、ベトナムなどに参加を呼びかけている。  日中協議は、第1回上海(2015年6月10日)、第2回東京(2017年11月18日)で開催。

著書[編集]

単著[編集]

  • 『間接正犯の理論』(成文堂 1962年)
  • 『刑事法研究 全2巻』(成文堂 1967年)
  • 『交通事故と信頼の原則』(成文堂 1969年)
  • 『犯罪各論』(筑摩書房 1974年 第二版 1983年)(補訂準備版 成文堂 1991年)
  • 『交通事故と過失の認定』(成文堂 1975年)
  • 『刑法総論』(成文堂 1977年)(上巻 改訂版 成文堂 1998年 下巻 改訂準備版 成文堂 1999年)
  • 『刑法の根底にあるもの』(一粒社 1979年)(増補版 成文堂 2008年)
  • 『法律学を学ぶ意義』(成文堂 1986年)
  • 『道しるべ』(講談社 1988年)
  • 『早稲田の杜よ永遠に』(小学館 1995年)
  • 『犯罪実行行為論』(成文堂 1998年)
  • 『二一世紀のアジアと日本』(成文堂 2002年)
  • 『日本の針路 アジアの将来――未来からのシナリオ』(講談社 2006年)
  • 『私の刑法研究』(成文堂 2015年)

共編著[編集]

  • 『刑事政策講座 全3巻』(成文堂 1971年 - 1972年)
  • 『刑法を学ぶ』(有斐閣 1973年)
  • 『刑法200題』(有斐閣 1974年)
  • 『刑法学 全6巻』(有斐閣 1977年 - 1978年)
  • 『現代刑法講座 全5巻』(成文堂 1977年 - 1982年)
  • 『判例刑法研究 全8巻』(有斐閣 1980年 - 1983年)

門下生[編集]

直接指導した門下生[編集]

 門下には、早稲田大学名誉教授・野村稔、青山学院大学名誉教授・新倉修、中央学院大学准教授・平澤修、愛知学院大学教授・原田保、青山学院大学教授・酒井安行、早稲田大学教授・高橋則夫、明治大学教授・大塚裕史、明治大学教授・中空壽雄、東洋大学教授・萩原滋、國學院大学教授・関哲夫、関東学院大学元教授・上野芳久、同志社大学教授・洲見光男、流通経済大学教授・信太秀一、東洋大学教授・武藤眞朗などがいる。  また、実務家も多数育てたが、裁判官では岡村稔、千葉勝郎、検察官では川口晴司、加藤友朗、薄金孝太郎、長島裕、矯正関係では田中常弘、吉野和博、弁護士では渡辺直行(故人)、川﨑達也(故人)、山下更一、乙部幸市郎、齋藤正和、津田薫、坂本博之などが薫陶を受けた。

齊藤金作教授の死後、西原が指導した弟子[編集]

脚注[編集]

  1. ^ https://www.waseda.jp/top/about/work/organizations/office/former-presidents
  2. ^ http://www.asianpeace.jp/japan/
  3. ^ 財団法人社会安全研究財団http://www.syaanken.or.jp/?cat=48
  4. ^ 西原春夫『私の刑法研究』成文堂、2015年、198頁。
  5. ^ 西原春夫『私の刑法研究』成文堂、2015年、202頁。
  6. ^ 西原春夫『私の刑法研究』成文堂、2015年、30頁以下。
  7. ^ 西原春夫『私の刑法研究』成文堂、2015年、145頁以下。
  8. ^ http://www.kyousei-k.gr.jp/index.html
  9. ^ 西原春夫『私の刑法研究』成文堂、2015年、204頁以下。
  10. ^ 西原春夫『私の刑法研究』成文堂、2015年、233頁以下。
  11. ^ http://www.asianpeace.jp/japan/activity.html
  12. ^ https://ameblo.jp/asianpeace/theme3-10008134093.html#main
  13. ^ https://ameblo.jp/asianpeace/theme-10052931103.html
  14. ^ https://ameblo.jp/asianpeace/theme-10052931103.html
  15. ^ http://japanese.cri.cn/1041/2008/11/30/1s131109.htm
  16. ^ http://japanese.cri.cn/1041/2008/11/30/1s131109.htm
  17. ^ https://ameblo.jp/asianpeace/theme-10008134093.html
  18. ^ 西原春夫『私の刑法研究』成文堂、2015年、250頁

外部リンク[編集]

先代:
清水成之
学校法人国士舘理事長
1998年 - 2005年
次代:
佐伯弘治