篠原裕明

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篠原 裕明
(しのはら ひろあき)
生誕1981年????
日本の旗 東京都
国籍日本の旗 日本
教育早稲田大学政治経済学部政治学科
活動期間2004年 – 現在
代表経歴政治部記者
テレビ局社員
肩書きテレビ東京報道局政治部官邸キャップ

篠原 裕明(しのはら ひろあき、1981年 - )は、テレビ東京報道局ニュースセンター政治部記者、元テレビ番組制作者。

来歴[編集]

東京都出身。小学生時に後述であるバラエティ番組に出演し、業界内外で印象を残した。早稲田中学校・高等学校 、2004年3月、早稲田大学政治経済学部卒業後の同年4月、テレビ東京入社。同期入社は、同局アナウンサーの松丸友紀、元アナウンサーで報道局報道部記者の滝井礼乃、営業局営業推進部の増田和也[1]。入社時から報道局政治部志望であったが、新人研修以後は、制作局CP制作チームに配属され、同局プロデューサーである佐久間宣行の元でバラエティ番組のチーフアシスタントディレクターを担当。

その後、報道局に異動し、社会部警視庁担当。後に政治部に異動し、民主党担当。2018年7月人事にて、官邸キャップに昇進。

人物[編集]

  • 小学2、3年時に『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)1990年5月13日放送分の企画コーナーである「ちびっこ歌謡曲ツアー」に演歌好きな小学生として出演し、「別れても好きな人」を持ち歌にしてるシルヴィアに芝生の坂の下にいる本人に対してデュエットを申込みに坂の上から駆け下りる途中で転げ落ちて、爆笑をさらった経験がある。「ちびっこ 篠原君」として同番組内の名物キャラクター扱いになり、番組終了迄当時の企画VTR繰返し流された[注 1][注 2]。そのため、放送業界人の中で印象に残ったと述懐する人間が多数存在する[注 3]。後年、篠原は中学生3年時に1996年10月6日放送分の『元気が出るテレビ』最終回に再度番組出演した。また、テレ東入社以後に制作局在籍時に演出補として担当していた『徳光&コロッケの“名曲の時間です”』にゲスト出演したシルヴィアと再会している。
  • 前述の「ちびっこ 篠原君」の様子から小学生時代から歌唱するのは好きで、モノマネが特技で特に女性シンガーの曲を得意としており、松任谷由実中島みゆきを持ちネタにしている。『徳光&コロッケの“名曲の時間です”』の演出補時代は『名曲の時間です』にゲスト出演している演歌歌手の所属事務所の忘年会に梯子で呼ばれ、歌唱を披露する位の実力がある。そのため、制作局チーフAD時代に担当していた『ゴッドタン』の2011年に催された新年会にて、番組レギュラー共演者であるおぎやはぎ劇団ひとりを差し置いてカラオケ大会にて優勝し[4]、芸人の側が一緒に歌唱したく無いと言わしめている。また、『ゴッドタン』の名物企画である「マジ歌選手権」の第1回企画で企画倒れの保険として出場した経験がある。
  • 新入社員時代、メディア業界の人間と明かさず[注 4]会社員」の身分で、2004年11月25日に行われた第161回 通常国会 憲法調査会公聴会にて、公述人として衆議院の委員会質問に立った経験がある[5][6]

出演番組[編集]

テレビ[編集]

同局報道局制作の報道番組の政治取材報告パート、VTRにて出演

ラジオ[編集]

インターネット動画配信[編集]

  • テレ東NEWS Youtubeチャンネル※政治部独自で取材報告や政治家をゲストに招いたインタビュー動画等

制作番組[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 当該放送回で当該コーナーVTRからスタジオに戻った際、ビートたけし松方弘樹等は落涙するほど大笑いし、珍しくたけしの強い希望でこのシーンがリプレイされた
  2. ^
  3. ^ 田村淳ロンドンブーツ1号2号)は「(今のテレビと違い)予定調和的でなく、とても面白かった」として[2]NHK制作局チーフ・プロデューサーの大古滋久も「テレビ自分史」の大学時代に当該シーンを列挙している[3]
  4. ^ 報道局異動前の制作局AD時代
  5. ^ 豊島晋作夏季休暇中の代理マーケットキャスター[7]

出典[編集]

外部リンク[編集]