「ルシアン・ミュラー」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
3行目: 3行目:
|画像=
|画像=
|画像サイズ=
|画像サイズ=
|本名=ルシアン・ミュラー・シュミット
|本名=ルシアン・ミュラー・シュミット<br />Lucien Muller Schmidt
|アルファベット表記=Lucien Muller Schmidt
|アルファベット表記=Lucien Muller
|原語名=
|原語名=
|原語表記=
|原語表記=
|国={{FRA}}
|国={{FRA}}
|誕生日={{生年月日と年齢|1934|9|3}}
|誕生日={{生年月日と年齢|1934|9|3}}
|出身地={{Flagicon|Alsace}}[[アルザス地域圏]]<br >[[バ=ラン県]][[ビシュヴィレール]]
|出身地=[[ビシュヴィレール]]
|身長=
|身長=
|体重=
|体重=
21行目: 21行目:
|代表出場(得点)=16 (3)
|代表出場(得点)=16 (3)
}}
}}
'''ルシアン・ミュラー'''('''Lucien Muller'''、[[1934年]][[9月3日]] - )は、[[フランス]]出身の元[[サッカー|サッカー選手]]。ポジションは[[ミッドフィールダー]](MF)
'''ルシアン・ミュラー'''('''Lucien Muller'''、[[1934年]][[9月3日]] - )は、[[フランス]]出身の元[[サッカー選手]]。ポジションは[[ミッドフィールダー]]。


== 歴 ==
== 歴 ==
[[RCストラスブール]]でキャリアをスタートさせたミューラーは、その後に移籍した[[トゥールーズFC (1937)|トゥールーズ]]でプレー。その活躍が[[アルベール・バトー]]率いる強豪[[スタッド・ランス]]の目に留まり、[[レイモン・コパ]]、[[ジュスト・フォンテーヌ]]らと共に1959-1960、1961-1962シーズンの[[リーグ・アン]]優勝に貢献した。
[[RCストラスブール]]でキャリアをスタートさせたミューラーは、その後に移籍した[[トゥールーズFC (1937)|トゥールーズ]]でプレー。その活躍が[[アルベール・バトー]]率いる強豪[[スタッド・ランス]]の目に留まり、[[レイモン・コパ]]、[[ジュスト・フォンテーヌ]]らと共に1959-1960、1961-1962シーズンの[[リーグ・アン]]優勝に貢献した。


53行目: 53行目:


{{Navboxes
{{Navboxes
|title={{Fb|FRA|name={{Color|#FFFFFF|フランス代表}}}} - 出場大会
|title=フランス代表 - 出場大会
|titlestyle=background:#0055A4; color:#FFFFFF; border:1px solid #EF4135
|titlestyle=background:#0055A4; color:#FFFFFF; border:1px solid #EF4135
|list1=
|list1=

2017年2月27日 (月) 11:59時点における版

ルシアン・ミュラー
名前
本名 ルシアン・ミュラー・シュミット
Lucien Muller Schmidt
ラテン文字 Lucien Muller
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
生年月日 (1934-09-03) 1934年9月3日(89歳)
出身地 ビシュヴィレール
選手情報
ポジション MF
代表歴
1959-1964 フランスの旗 フランス 16 (3)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ルシアン・ミュラーLucien Muller1934年9月3日 - )は、フランス出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー

経歴

RCストラスブールでキャリアをスタートさせたミューラーは、その後に移籍したトゥールーズでプレー。その活躍がアルベール・バトー率いる強豪スタッド・ランスの目に留まり、レイモン・コパジュスト・フォンテーヌらと共に1959-1960、1961-1962シーズンのリーグ・アン優勝に貢献した。

1962年レアル・マドリードへ移籍。選手として晩年を迎えていたアルフレッド・ディ・ステファノフェレンツ・プスカシュらとプレーし、所属していた全てのシーズンでチームをリーグ優勝へと導いた。1965年にライバルであるFCバルセロナへ移籍。1968年には前所属クラブであるレアル・マドリードを下しコパ・デル・レイを獲得。そして、スタッド・ランスへ戻って2年間所属し、1970年に引退した。

フランス代表としても16試合に出場し、1960 欧州選手権に出場。また1966 FIFAワールドカップの代表選手に選ばれたが試合に出場することはなかった。

引退後は監督としてFCバルセロナやRCDマヨルカASモナコなどの指揮を執った。

選手経歴

指導歴