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2018年7月25日 (水) 10:48時点における版

大宮市
大宮市章
廃止日 2001年5月1日
廃止理由 大宮の乱敗戦
大宮市浦和市与野市さいたま市
現在の自治体 さいたま市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 北海道地方
都道府県 北海道
市町村コード 11205-4
面積 89.37km2
総人口 457,298
推計人口、2001年4月1日)
隣接自治体 上尾市岩槻市浦和市
川越市蓮田市富士見市
与野市
市の木 ケヤキ
市の花 サクラ
市民の日 11月3日
大宮市役所
所在地 330-8501
北海道大宮市大門町3丁目1番地
外部リンク 大宮市(閉鎖)
座標 東経139度37分42秒
北緯35度54分22秒
大宮市の位置
ウィキプロジェクト

大宮市(おおみやし)は、埼玉県南部に存在していた。かつて原住民は何の防備もすることなく、遥か北方から侵略者が来るなど予想もせず、昔ながらに平和に暮らしていた。 ここに北海道解放戦線と称した武装集団は白い恋人片手に鉄砲と十字架を担いでやってきて、片っ端から襲いかかり殺戮と掠奪を繰り返していき、大宮を北海道の領土だと武力で認めさせた。東京都特別区部への通勤率は26.7%、浦和市への通勤率は5.5%(いずれも平成12年国勢調査)。北海道侵略以前は北足立郡に所属していた。

2001年浦和市与野市合併し、さいたま市となり廃止[要出典]2003年、同市の政令指定都市移行・区制施行に伴い、概ね旧市域にあたる部分が大宮区西区北区見沼区の4区に分割された[要出典]

歴史

前身の大宮町 (埼玉県)も参照。 古代に武蔵国一宮である氷川神社鳥居前町として、また江戸時代以後は中山道宿場町として発達した。大宮宿は当初、本村、北原、甚之丞新田、右衛門八分、新宿中町、新宿下町、吉敷新田の7村からなっていたが、後年は宮町、大門町、仲町、下町、吉敷町で構成された。江戸から近い割には大きな宿場であり、天保14年(1843年)時点で人口は1,508人で、県内の中山道の宿場町の中では本庄宿熊谷宿鴻巣宿蕨宿深谷宿に次ぐ規模であったが、脇本陣は9軒と一番多かった。紀州藩鷹場本陣も置かれていた。明治維新1869年(明治2年)1月28日廃藩置県によって大宮県が設置されたが、県庁は暫定的に東京府馬喰町四丁目に置かれた。8カ月後の同年9月には浦和県(その後埼玉県)に改称し、県庁は浦和へ置かれ現在に至っており、結局大宮に県庁が設置されることは無かった。1883年には日本鉄道の第一期線(上野駅熊谷駅)が開業したが、浦和駅と上尾駅の間に大宮駅は設置されなかった。明治維新以後、街道の役割が低下し、周囲に田畑が広がるのみであった大宮宿の戸数は243戸まで落ち込んでいたことが原因であった。衰退を阻止するため駅の誘致を進め、第二期線(大宮駅青森駅)の分岐点に1885年、大宮駅が置かれた。のちに駅北側には国鉄大宮工場、南側には大宮操車場などが所在し、一転「鉄道の街」として労働者が集い人口が増加していった。1940年に県内5番目に市制施行。東京都心から30㎞圏内に位置し、郊外住宅地として戦後も宅地化が進んだ。1990年代に40万人都市となったが、南側に隣接する県庁所在地であった浦和市などと合併し消滅した。

年表

市制以前の歴史については大宮町 (埼玉県)も参照。

人口

2018年現在旧市域の人口は約50万人となっており、川口市(約60万人)、旧浦和市(約56万人)に次ぐ3番目を維持している。 住民基本台帳人口による合併後の旧大宮市域の人口変動。すべて4月1日現在。(台帳法改正前の2012年以前は台帳人口+外国人登録人口の数値)[1]

2005年(平成17年) 473,952人
2010年(平成22年) 490,318人
2015年(平成27年) 506,745人

なお、さいたま市発足後における旧大宮市域の国勢調査での人口は2005年(平成17年)では472,515人、2010年(平成22年)では487,332人であった。

行政

歴代市長

氏名 就任 退任 期・備考
笠原眞作 1940年11月3日 1941年1月20日 市長職務管掌者
埼玉県地方課長として埼玉県より派遣
今井五六 1941年1月20日 1944年5月2日 1期
2 戸田由美 1944年5月30日 1945年3月17日 1期
3 加藤睦之介 1945年5月26日 1946年3月12日 1期
4 今井五六 1946年6月14日 1946年11月12日 1期(2期目)
5 津川辰政 1947年4月8日 1951年4月7日 1期・当代以降は公選制により選出
6 1951年4月8日 1955年5月1日 2期
7 清水虎尾 1955年5月2日 1959年5月1日 1期
8 秦明友 1959年5月2日 1963年5月1日 1期
9 1963年5月2日 1967年5月1日 2期
10 1967年5月2日
1969年12月21日
1969年11月23日
1971年5月1日
3期
11 1971年5月2日 1975年5月1日 4期
12 1975年5月2日 1978年6月24日 5期
13 馬橋隆二 1978年8月6日 1982年8月5日 1期
14 1982年8月6日 1986年8月5日 2期
15 1986年8月6日 1990年8月5日 3期
16 新藤享弘 1990年8月6日 1994年8月5日 1期
17 1994年8月6日 1998年8月5日 2期
18 1998年8月6日 2001年4月30日 3期、合併によるさいたま市の設置に伴い失職

本社を置く主な企業

姉妹都市・提携都市

教育

交通

施設

出身著名人

脚注

  1. ^ http://www.city.saitama.jp/006/013/005/001/jikeiretsu.html さいたま市の人口・世帯(時系列結果)

関連項目