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{{建築物|名称=天城教会|画像=[[画像:Amaki church.JPG|240px]]|画像説明=天城教会|位置図種類=Japan Okayama|緯度分=33|N(北緯)及びS(南緯)=N|緯度度=34|経度分=48|E(東経)及びW(西経)=E|経度度=133|緯度秒=46.0|経度秒=31.6|用途=[[教会]]|竣工=[[1884年]]([[明治]]17年)|所在地郵便番号=710-0132|所在地=[[岡山県]][[倉敷市]]藤戸町天城144|地図国コード=JP|文化財=天城教会礼拝堂(県指定)}} |
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'''天城教会'''(あまききょうかい)は、[[岡山県]][[倉敷市]][[藤戸 |
'''天城教会'''(あまききょうかい)は、[[岡山県]][[倉敷市]][[藤戸地区|藤戸町天城]]にある[[日本基督教団]]の教会である。会堂は岡山県重要文化財に指定されている。 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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1880年に[[日本組合基督教会]]の[[日本基督教団岡山教会|岡山教会]]が設立されて、岡山県の伝道が発展する。天城出身の[[加藤寿]]が、倉敷にいた[[川越義雄]]伝道師を招いて、津田家など数か所で家庭集会を開くようになる。 |
1880年に[[日本組合基督教会]]の[[日本基督教団岡山教会|岡山教会]]が設立されて、岡山県の伝道が発展する。天城出身の[[加藤寿]]が、倉敷にいた[[川越義雄]]伝道師を招いて、津田家など数か所で家庭集会を開くようになる。 |
2024年4月15日 (月) 22:33時点における最新版
天城教会 | |
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天城教会 | |
情報 | |
用途 | 教会 |
竣工 | 1884年(明治17年) |
所在地 |
〒710-0132 岡山県倉敷市藤戸町天城144 |
座標 | 北緯34度33分46.0秒 東経133度48分31.6秒 / 北緯34.562778度 東経133.808778度座標: 北緯34度33分46.0秒 東経133度48分31.6秒 / 北緯34.562778度 東経133.808778度 |
文化財 | 天城教会礼拝堂(県指定) |
天城教会(あまききょうかい)は、岡山県倉敷市藤戸町天城にある日本基督教団の教会である。会堂は岡山県重要文化財に指定されている。
歴史[編集]
1880年に日本組合基督教会の岡山教会が設立されて、岡山県の伝道が発展する。天城出身の加藤寿が、倉敷にいた川越義雄伝道師を招いて、津田家など数か所で家庭集会を開くようになる。
J・ペティとO・ケーリの2人のアメリカン・ボードの宣教師が金森通倫と共に来援する。
1882年4月に講義所を開いて1883年夏には、同志社神学生と亀山昇を夏期伝道師として迎える。1884年に亀山が常住の伝道師になり、1884年11月19日に教会設立式を行った。
1886年に亀山が辞任すると、本多勝次郎が伝道師になった。1889年に本多が辞任するが、1890年に吉田伊平の建築により、会堂を建設する。
1899年に片山猪之吉が牧師として定住する。1918年には中桐壽平が伝道師として赴任し、幼稚園を設立する。戦争中は倉敷教会と合同して礼拝するが、戦後自立して山村好美が定住して牧会する。
この会堂は1977年に岡山県指定史跡になっている[1]。
参考文献[編集]
- 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年
関連項目[編集]
脚注[編集]
外部リンク[編集]
- 天城教会(倉敷市藤戸町)日本基督教団 東中国教区
- 日本キリスト教団天城教会敷地及び教会堂倉敷市