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千葉勇五郎

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千葉勇五郎
千葉勇五郎
生誕 1870年9月8日(明治3年8月13日)
仙台市片平町
死没 1946年4月21日(75歳)
東京府
出身校 東京英和学校
コルビー大学
ロチェスター神学校英語版
職業 牧師
教育者
聖書学者
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千葉 勇五郎(ちば ゆうごろう、1870年9月8日明治3年8月13日) - 1946年昭和21年)4月21日)は、日本牧師教育者。日本のバプテスト派の指導者、関東学院名誉院長

生涯

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仙台藩養賢堂の数学指南役の子として、仙台片平町に生まれる。県立尋常中学校在学中に、E・H・ジョーンズ宣教師の聖書研究会に入り、入信する。

1890年(明治23年)、20歳で横浜浸礼教会川勝鉄弥より浸礼洗礼)を受ける。東京英和学校英語師範科で学んだ後、1893年(明治27年)にアメリカへ留学し、コルビー大学ロチェスター神学校英語版で学ぶ。1898年(明治31年)に帰国し、1899年(明治32年)に按手礼を受けて四谷バプテスト教会牧師に就任した[1]

牧師職と並行して尚絅女学校(1898–1899年)、東京学院 (1899–1901年)、同志社女学校(1902–1904年)の教頭を務めた。1905年(明治38年)には米国南部バプテスト教会の巡回教師として九州各地を伝道し、福岡バプテスト神学校(のち西南学院大学神学部)の設立準備に尽力した。1906年(明治39年)、同校発足に伴い校長に就任し、1907年には西公園鐘美亭で行われた開校式を主宰した[2][1]

1910年(明治43年)、福岡バプテスト神学校が横浜バプテスト神学校と合併して日本バプテスト神学校(のち関東学院神学部)が開校され、教頭に就任した。1918年、東京学院の院長に就任する。その東京学院が1927年(昭和2年)に関東学院と合併すると、副院長に就任する。1932年に院長に就任し、1937年に名誉院長になる。

1933年(昭和8年)、日本バプテスト東部組合理事長に就任する。1940年(昭和15年)、日本バプテスト西部組合と日本バプテスト東部組合が合同して、日本バプテスト基督教団が創立された時に統理に選ばれた。

1940年10月17日神嘗祭の日に青山学院で開催された皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会祈祷を担当して、「一心一体祖国の使命達成のために、御国建設の為に、我らの身も魂も尽くすことを赦してくださるように。新しき天と新しき地を地上に実現する者となることができるように」と祈っている。

1941年日本基督教団が成立する時に、第4部の参与に就任した。その他、日本基督教連盟日本日曜学校協会日本キリスト教青年会同盟キリスト教学校教育同盟などの会長や理事を歴任した。墓所は多磨霊園[3]

著書

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単著

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  • 『パウロ研究』開拓社、1927年5月。全国書誌番号:47016020 
  • 『ヨハネ伝』現代新約聖書註解全書刊行会〈現代新約聖書註解全書 第4巻〉、1933年2月。全国書誌番号:46086531 
    • 『ヨハネ伝』(訂正増補)現代新約聖書註解全書刊行会〈現代新約聖書註解全書 第4巻〉、1936年4月。全国書誌番号:44019028 
  • 『非常時文学黙示録の現代研究』文書堂、1935年7月。全国書誌番号:47017663 
  • 『我国の宗教問題』東北新生館、1936年4月。全国書誌番号:44022575 
  • 『パウロ伝』基督教出版社〈基督教読本 第1〉、1936年12月。全国書誌番号:46050087 
  • 『殉教の使徒ペテロ研究』教文館、1942年4月。全国書誌番号:46003727 

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翻訳

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参考文献

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  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年
  • 『クリスチャン情報ブック2006』

脚注

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  1. ^ a b 山中浩次『千葉勇五郎-十五年戦争期のバプテスト派リーダーの葛藤』2023年9月25日https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonnoshingaku/62/0/62_27/_pdf/-char/ja 
  2. ^ 神学部の沿革”. 西南学院大学神学部. 2026年1月10日閲覧。
  3. ^ 千葉勇五郎”. www6.plala.or.jp. 2024年12月1日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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