新天新地

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新天新地(しんてんしんち、οὐρανὸν καινὸν καὶ γῆν καινήν)は聖書のヨハネの黙示録に21章に登場する、新しい天と地のことである。新天新地の後で新しいエルサレムが登場する。この思想はイザヤ書5章17節、66章22節、第二ペテロ3章13節にも見られる。

新天新地には海、悲しみ、叫び、苦しみ、のろい、夜が存在しない。

聖句[ソースを編集]

「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」」

ヨハネの黙示録21:1-4、新共同訳聖書

「神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。」

ペトロの手紙二3:12-13、新共同訳聖書

キリスト教の解釈[ソースを編集]

現在の天地が消滅せずにそのまま新しい位置づけになるという説[1]と現在の天地が消滅して全く別の存在が創造される[2]という意見がある。

ヘンリー・シーセンはサイスの著書を引用して、地と天が過ぎさることは、原語の意味は、物質の消滅を意味するのではなく、かつて存在した出来事や状態が、他の出来事や状態に道を譲って、過去のものになることを意味すると主張している。[3]

新宗教[ソースを編集]

生長の家にも新天新地の教理がある。

脚注[ソースを編集]

  1. ^ 鈴木英昭実用聖書注解」1479ページ
  2. ^ 山口昇新聖書注解」新約聖書第3巻、522ページ
  3. ^ ヘンリー・シーセン「組織神学」837ページ

参考文献[ソースを編集]

  • 実用聖書注解、いのちのことば社、1996年
  • ヘンリー・シーセン「組織神学」

関連項目[ソースを編集]