水鴎流

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
本来の表記は「水鷗流」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。
水鷗流居合剣法
第十四代宗家 勝瀬光安景正による演武
別名 水鴎流居合兵法
使用武器 日本刀薙刀脇差鎖鎌
発生国 日本の旗 日本
発生年 江戸時代初期
創始者 三間与一左衛門景延
源流 卜伝流神明夢想東流
派生種目 居合道
主要技術 剣術居合小具足杖術薙刀術鎖鎌術
伝承地 静岡県
  

水鷗流(すいおうりゅう)は、居合を表芸とする古武道流派の一つ。正式には水鷗流居合剣法(すいおうりゅういあいけんぽう)という。

概要[編集]

戦国時代末期に三間与一左衛門景延(みま よいちざえもん かげのぶ:1577年-1665年)が創始した武術で、静岡県に現存する。

居合剣法(居合)(48本)を基とした剣法(15本)、薙刀術(40本)、杖術(42本)、小具足(10本)などが伝わる総合武術。また第九代の福原景利が正木流萬力鎖術より編み出した正木流鎖鎌術(16本)をも併伝している。古伝の風格を伝えて変革せず、伝統を墨守している。

宗家は第十五代 勝瀬善光景弘。静岡市清水区の碧雲館道場で指導に当たる。(碧雲館の命名は中山博道氏)

なお、漫画『子連れ狼』の主人公・拝一刀が学んだ剣術流派として知られているが、これは偶然の一致である。作中では水の中(主に川や池)での立ち合いで無類の強さを発揮するものであり、登場する剣技は一部を除き全て創作である。

伝書は代々宗家に引き継がれ、現在勝瀬善光宗家が所持している。

流祖[編集]

水鷗流は三間与一左衛門景延によって天正元和の間に創始された。流祖は天正5年出羽国佐竹氏に仕える十二社権現の神宮三間斎宮の子として生まれ、父につき卜傳流剣術、父の剣友桜井五郎左衛門直光から林崎流居合を学び、さらに奥秘を極めんと昼は神木に向かひ抜刀撃剣、夜は神殿に坐し瞑想、神助を祈願した。そして修行すること20年、神殿内陣において、夜三更(真夜中)になり、大円想の中に白鴎が無心に浮かぶ姿を想見し、忽然と大悟し、天の二十八宿に篭って居合法形二十八本を定め、これを基とし諸般の武術の妙を究めた。これを水鷗流と号して諸国を巡り、流儀を広め門人を取り立てた。作州津山宝山流の浅田九郎兵衛との試合が撃剣叢談に記されている。

後、当流は江戸に伝わり、幕末の頃、水間半兵衛景次が十三代を継ぐ。維新後、景次は修験者となり各地を巡って遠州勝瀬光安に奥義を相伝する。光安は十四代を名乗り、現在、息子勝瀬善光景弘が十五代を継承している。

技法[編集]

居合剣法[編集]

林崎甚助重信の高弟、東下野守元治(神明夢想東流)の系統である桜井五郎左衛門直光から林崎流居合の極意を学び創始した。

五陽之形
二代目が初伝の形として追加。
五陰之形
二代目が初伝の形として追加。
九曜
流祖正伝、水鷗流最古の形。極意。「影之形」同数あり。
立居合
流祖正伝の形。「影之形」同数あり。
組居合
流祖正伝の形。「影之形」同数あり。
暗闇を想定した形。

*他歴代宗家によって追加された形あり。

杖法[編集]

山伏伝来の金剛杖杖法と伝えられる。

  • 太刀合(表・裏)
  • 奥之形
  • 短刀取 - 別伝
  • 短杖
  • 相杖
  • 夢想返 - 別伝

剣法[編集]

卜傳流剣術の流れを汲む。

  • 十五本
  • 小太刀(表・裏) - 口伝

薙刀[編集]

比叡山僧兵伝来の薙刀術と伝えられる。

  • 表之形 - 「裏之形」同数あり

相薙刀[編集]

  • 表之形 - 「裏之形」同数あり
  • 野戦之形 - 奥秘

小具足[編集]

  • 十本

脇差[編集]

  • 十三本

併伝鎖鎌術[編集]

当流鎖鎌は正木流萬力鎖術に発し、正木流萬力鎖術門弟かつ当流九代目、福原新左衛門景則が萬力鎖より鎖鎌に工夫し、水鴎流に併伝された。

  • 十六本

全ての出典元:水鴎流碧雲館ホームページより

流儀の特徴[編集]

"勝ちを思わず敵に和する"を本旨としている。他流では見られない、刀を左・右脇に置いた状態からの抜刀の型がある(右脇からの抜刀は長らく秘伝であったが、現在は公開している)。二の太刀は、他流にいうとどめを刺すことではなく、複数の敵を斬るための鍛錬である。突きの際に発声がある。全ての技を打太刀仕太刀に分かれ戦場実戦を立眼とする。

撃剣叢談[編集]

撃剣叢談の堤宝山流の項目に水鴎流についての記述がある。

「時に北国浪人三間與一左衛門と曰う者来りて居合を教授す。其門に入るもの多し。此人十六歳の時より十二社権現(国郡等詳ならず)の神木に対し二十年抜きたりしに神木終に枯れたりと云ふ。流名を水鴎と曰ひて之を弘む。作州の士人輩之に対し一の勝つ者なし。九郎兵衛に非さざば敵手ある可らずと衆人の勤めに任せ勝負を試むること已に定まる。門人之を危み、窺に問うて曰く「諸国の剣客彼れに及ぶ者なしと聞く。知らず、先生何の術を以て之に勝つや」と。九郎兵衛曰く「何の難きことか之あらん。抜かしめて勝つなり」と。三間之を聞き「浅田は聞く所に違はざる名手なり、其一言を以て勝負を知る。我が及ぶ所に非ず」と。終に技を較せずと云ふ。」
と記されている。水鴎流のWEBサイトによると伝承には廻国の途次、津山に逗留、教示したとあるが浅田との試合のことは伝わっていない。

外部リンク[編集]