水鴎流

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水鷗流居合剣法
第十四代宗家 勝瀬光安景正による演武
別名 水鴎流居合兵法
使用武器 日本刀薙刀脇差鎖鎌
発生国 日本の旗 日本
発生年 江戸時代初期
創始者 三間与一左衛門景延
源流 卜伝流神夢想林崎流
派生種目 居合道
主要技術 剣術居合小具足杖術薙刀術鎖鎌術
伝承地 静岡県
  

水鷗流(すいおうりゅう)は、居合を表芸とする古武道流派の一つ。正式には水鷗流居合剣法(すいおうりゅういあいけんぽう)という。

概要[編集]

戦国時代末期に三間与一左衛門景延(みま よいちざえもん かげのぶ:1577年-1665年)が創始した武術で、静岡県に現存する。

居合剣法(居合)(48本)を基とした剣法(15本)、薙刀術(40本)、杖術(42本)、小具足(10本)などが伝わる総合武術。また第九代の福原景利が正木流萬力鎖術より編み出した正木流鎖鎌術(16本)をも併伝している。古伝の風格を伝えて変革せず、伝統を墨守している。

宗家は第十五代 勝瀬善光景弘。静岡市清水区の碧雲館道場で指導に当たる。(碧雲館の命名は中山博道氏)

なお、漫画『子連れ狼』の主人公・拝一刀が学んだ剣術流派として知られているが、これは偶然の一致である。作中では水の中(主に川や池)での立ち合いで無類の強さを発揮するものであり、登場する剣技は一部を除き全て創作である。

伝書は代々宗家に引き継がれ、現在勝瀬善光宗家が所持している。

流祖[編集]

水鴎流は三間与一左衛門景延によって天正元和の間に創始された。流祖は天正5年羽前国十二社権現の神宮三間斎宮の子として生まれ、父につき卜傳流剣術、父の剣友桜井五郎左衛門直光から林崎流居合を学び、さらに奥秘を極めんと昼は神木に向かひ抜刀撃剣、夜は神殿に坐し瞑想、神助を祈願した。そして修行すること20年、神殿内陣において、夜三更(真夜中)になり、大円想の中に白鴎が無心に浮かぶ姿を想見し、忽然と大悟し、天の二十八宿(二十七宿の説あり[1])に篭って居合法形二十八本(二十七本の説あり[1])を定め、これを基とし諸般の武術の妙を究めた。これを水鴎流と号して諸国を巡り、流儀を広め門人を取り立てた。作州津山宝山流の浅田九兵衛との試合が天保14年刊の『撃剣叢談』に記されている。

後、当流は江戸に伝わり、幕末の頃、水間半兵衛景次が十三代を継ぐ。維新後、景次は修験者となり各地を巡って遠州で勝瀬光安に奥義を相伝す。光安は十四代を名乗り、現在、息子勝瀬善光景弘が十五代を継承している。

技法[編集]

居合剣法[編集]

五陽之形
二代目が初伝の形として追加。
五陰之形
二代目が初伝の形として追加。
九曜
流祖正伝、水鴎流最古の形。極意。「影之形」同数あり。
立居合
流祖正伝の形。「影之形」同数あり。
組居合
流祖正伝の形。「影之形」同数あり。
暗闇を想定した形。口伝。

*他時代によって追加された形あり。

杖法[編集]

  • 太刀合(表・裏)
  • 奥之形
  • 短刀取 - 別伝
  • 短杖
  • 相杖
  • 夢想返 - 別伝

剣法[編集]

十五本

  • 小太刀(表・裏) - 口伝

薙刀[編集]

  • 表之形 - 「裏之形」同数あり

相薙刀[編集]

  • 表之形 - 裏之形」同数あり
  • 野戦之形 - 奥秘

小具足[編集]

  • 十本

脇差[編集]

  • 十三本

併伝鎖鎌術[編集]

  • 十六本 - 当流鎖鎌は正木流萬力鎖術に発し、正木流萬力鎖術門弟且つ当流九代目、福原新左衛門景則が萬力鎖より鎖鎌に工夫し、水鴎流に併伝された。

流儀の特徴[編集]

"勝ちを思わず敵に和する"を本旨としている。坐業は正座で行うが立膝への変換も可能である(実際、創始された当時は立膝だったと思われる)。抜附、切附は、五陽・五陰之形では現代居合に見られる片膝立ちであるが、九曜之形以降は肛門に踵を付け、腰を落とす古い足捌き(一般的に居合腰と言われる。香取神道流影山流関口流などに見られる)を稽古する。他流では見られない、刀を左・右脇に置いた状態からの抜刀の型がある(左脇からの抜刀は長らく秘伝であったが、現在は公開している)。二の太刀は、他流にいうとどめを刺すことではなく、複数の敵を斬るための鍛錬である。突きの際に発声がある。全ての技を打太刀仕太刀に分かれ戦場実戦を立眼とする。

撃剣叢談[編集]

「東国の士三間某、三作国津山に来たり居合をもって門人を教う、当時剣局浅田九郎兵衛、津山にあり、両者試合の約をなす。浅田の門人師に問う、『先生如何にして居合に勝や』浅田答えて曰く、居合に勝は先ず彼をして抜かしめるにあり、景延これを聞きて浅田は聞きしにまさる上手なり、この一言にて勝負は決せり試合に及ばず、と津山を退去した」と記されている。水鴎流の伝承には廻国の途次、津山に逗留、教示したとあるが浅田との試合のことは伝わっていない。しかし浅田の一言は居合の一端を突いている。

脚注[編集]

  1. ^ a b 古来の日本の宿曜道では二十七宿を採用していたため、円心剣を除いた形二十七本が根源の説が有力である。尚現在、円心剣は一般には教授されていないようである。恐らく、貞享2年(1685年)に渋川春海が二十七宿を廃止し二十八宿に変更した後の二代目以降の時代に円心剣が追加されたと考えられる。

外部リンク[編集]