制剛流

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制剛流
せいごうりゅう
藤本貞治 制剛流の大小詰
藤本貞治 制剛流の大小詰
発生国 日本の旗 日本
創始者 水早長左衛門信正
派生流派 霞新流、梶原流、制剛心照流、随心流
主要技術 捕手捕縄術小具足居合
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制剛流とは、水早長左衛門信正が開いたの流派。

歴史[編集]

制剛流とは、制剛という名の僧から(やわら)を学んだ水早長左衛門信正が開いた流派である。 水早長左衛門は京都の人で豊臣秀吉に仕え、のち浪人して摂津に住したと伝えられる。

宝山寺記録では慶長年間に制剛流の印可を金春七郎柳生宗厳宝蔵院胤栄に与えている。この年は柳生宗厳が生存中ということになり、慶長11年(1606年)以前に限定される。[1]


制剛流二代目、梶原源左衛門直景は水早より制剛流俰を学んだ。また、浅山一伝流捕手竹内流捕手、難波流、一無流、河上流捕手を修めた。梶原直景は門人に対し各流派ごとに伝書を発行していたが、後に制剛流を中心に諸流の伝を改編し纏めた。

雑誌『極意』(1997年春)の記事によると、空手家の藤本貞治(国際空手道尚武会会長)は古武道統成会という団体で戸田という師範から制剛流の柔術を学んだという。記事では、切紙以上の者に伝授される捕手五本(骨法、移回、奏者捕、未来詰、筏流、大小詰)を紹介している。相手が帯刀しているものとして、常に右手を使わせない事を眼目としているという。また、倒れかかってくる相手を半座の姿勢で受け留める鍛練法や米を入れた袋に当て身をする稽古などがあった。藤本貞治が学んだ制剛流の伝系は不明である。

関連項目[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『日本の武道 柔術 柔能制剛の道』講談社、昭和58年 p214 第十一章「制剛流は万夫に敵なし」

外部リンク[編集]

参考文献[編集]

  • 『日本武道流祖伝』
  • 『日本の武道 柔術 柔能制剛の道』講談社、昭和58年 p214 第十一章 制剛流は万夫に敵なし
  • 『日本武道全集』
  • 『極意』 1997年春  古流武術 現代空手家たちの裏芸