森田童子

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森田 童子
生誕 (1952-01-15) 1952年1月15日(64歳)
出身地 日本の旗 日本東京都
ジャンル フォークJ-POP
職業 シンガーソングライター
活動期間 1975年 - 1983年
レーベル ポリドール
(1975 - 1979)
ワーナー・パイオニア
(1980 - 1983)
事務所 小澤音楽事務所
海底劇場

森田 童子(もりた どうじ、1952年1月15日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。本名は非公開(森田童子は芸名)。

略歴[編集]

東京都出身。学園闘争が吹き荒れる時代に高校生で東京教育大学の学生運動と交流があった[要出典]。高校を中退[1]し、気ままな生活を送っていたが、20歳の時、友人の死をきっかけに歌い始める[1](この亡くなった友人をモチーフにした曲がデビュー曲となる『さよなら ぼくの ともだち』である)。1975年10月、シングル『さよなら ぼくの ともだち』で、ポリドール(現:ユニバーサルミュージック合同会社)よりデビュー。以後主にライブハウスを中心に活動。1980年に、ポリドールからワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)に移籍。1983年までにアルバム7枚、シングル4枚をリリースし、同年の新宿ロフトでのライブを最後に、引退を宣言することなく活動を休止する[1]。レコーディングの編曲、演奏はアコースティックギターの第一人者[要出典]石川鷹彦(元六文銭)が担当した。

カーリー・ヘアにサングラスというスタイルで、コンサートはもちろんレコードのジャケットなどでも素顔を見せることはなかった[1]。本名は非公開、実生活についてもほとんど公表せず、作詞した歌詞の内容もありのままの実体験ではなく願望を投影したものであるとしており、普段も寡黙で、独特の世界観を表現した作品に自分の生活感を滲ませることを避けていたとされる[1]

活動停止以後[編集]

1988年に初期アルバム4作『グッド・バイ』から『東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤』までが初CD化。

1989年9月、映画『グッドバイ[1]』に楽曲が使用される。

1993年・ドラマ『高校教師』以後[編集]

一部ではカリスマ的な人気を博しつつも森田のファンは全国的に見れば少数で[1] 、森田本人がメジャー化を望んでいなかったこともあり[1]、その作品はマスコミなどに表立って紹介されることもなかったが、1993年1月、テレビドラマ『高校教師』の主題歌に1976年発売のシングル『ぼくたちの失敗』が使われ、話題となる[要出典]。このドラマの脚本を書いた野島伸司は、高校時代同級生に誘われてライブハウスで歌う彼女を知り強い印象を受けたという[2]

これに伴い、3月にベスト・アルバム『ぼくたちの失敗 森田童子ベスト・コレクション』が発売。活動時の最高位(『マザー・スカイ』44位・約4万枚)を大幅に超え、オリコンチャート1位を獲得。これは当時の史上最年長記録であった[要出典]。4月にはオリジナル・アルバム7枚がCDで再発売(初CD化3枚)され、新たに多くのファンを獲得した。しかし、本人はこの騒ぎに対し、現在は主婦業に専念しており、音楽活動を再開する気は全くないとだけ発言し[要出典]、以降は完全に沈黙を守る。

同年11月には映画『高校教師』で『たとえばぼくが死んだら』が主題歌として使われた。

2003年・ドラマ『高校教師』以後[編集]

2003年1月、10年振りにドラマ『高校教師』の新作が放送され、再び『ぼくたちの失敗』が主題歌として使われることとなる。これに伴い発売されたベスト盤の『ぼくたちの失敗 森田童子ベストコレクション』に、『海が死んでもいいョって鳴いている』(アルバム『ラスト・ワルツ』)収録)」の歌詞を一部変更して新規に録音された『ひとり遊び』が収録された。それ以降、音楽活動は再開していない。2010年5月に記事が掲載された朝日新聞の取材の際には、現在は近しい人物の死去による精神的ショックと自身の持病により活動が困難な状況であるとしている[1]

2015年9月に公開された映画『GONIN サーガ』で『ラスト・ワルツ』が挿入歌として使用された。

2016年7月に、オリジナル・アルバム7作、ベスト・アルバム2作(『友への手紙 森田童子自選集』は初CD化)の計9タイトルが、小澤賢太郎(音楽出版ジュンアンドケイ)の企画・監修で、ユニバーサルミュージック/USMジャパンより、オリジナル・マスター・テープからデジタル・リマスタリングされた音源/SHM-CD仕様で復刻、23年振りの再発売となった。9作全てがオリコンにチャート・インした[要出典]

現在までに様々なアーティストによって、『ぼくたちの失敗』[3]、『たとえばぼくが死んだら』[4]などの楽曲がカバーされている。

音楽作品[編集]

アルバム[編集]

アルバム名 発売日 レーベル 発売形態
1st GOOD BYEグッドバイ 1975年11月21日 ポリドール・レコード LP・CT
2nd マザー・スカイ=きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか= 1976年11月21日
3rd A BOY ボーイ 1977年12月10日
LIVE 東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤 1978年11月1日
4th ラスト・ワルツ 1980年11月20日 ワーナー・パイオニア
BEST 友への手紙 森田童子自選集 1981年 CT
5th 夜想曲 1982年11月20日 LP・CT
6th 狼少年 wolf boy 1983年11月30日

その他のアルバム[編集]

※当時、各アーティストが発売していたカセットテープのみのベストとして発売。未CD化
さよならぼくのともだち/早春にて/雨のクロール/蒼き夜は/ぼくを見かけませんでしたか/ピラビタール/ぼくと観光バスに乗ってみませんか/ふるえているね/海を見たいと思った/地平線/ぼくたちの失敗/逆光線/まぶしい夏/伝書鳩/君は変わっちゃったネ/センチメンタル通り/君と淋しい風になる/春爛漫/G線上にひとり/セルロイドの少女

シングル[編集]

シングル名 発売日 レーベル 発売形態
1st さよならぼくのともだち/まぶしい夏 1975年10月21日 ポリドール EP
2nd ぼくたちの失敗/ぼくと観光バスに乗ってみませんか 1976年11月21日
3rd セルロイドの少女/蒼き夜は 1978年3月1日
4th ラストワルツ・菜の花あかり 1981年1月25日 ワーナー・パイオニア
5th ぼくたちの失敗/男のくせに泣いてくれた 1993年1月25日 ワーナーミュージック・ジャパン 8cmCD
6th たとえばぼくが死んだら/ラスト・ワルツ 1993年10月10日
7th ぼくたちの失敗/蒸留反応 2003年2月5日 東芝EMI 12cmCD

関連人物[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h 保科龍朗 (2010年5月22日). “うたの旅人 人の弱さをいとおしむ 森田童子「ぼくたちの失敗」 新潟・柏崎”. 朝日新聞土曜版 be on Saturday (朝日新聞社): pp. e1-e2面 
  2. ^ ベストアルバム『ぼくたちの失敗 森田童子ベスト・コレクション』のライナーノーツより。
  3. ^ mondialito(タイトルは『notre echec』。mondialito参照のこと)、cheeYMCKなどによる。
  4. ^ eastern youthによる。