末松広行

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すえまつ ひろゆき
末松 広行
Hiroyuki Suematsu 2007-3-6.jpg
2007年撮影
生誕 (1959-05-28) 1959年5月28日(60歳)
日本の旗 埼玉県浦和市(現さいたま市
出身校 東京大学法学部
職業 農林水産官僚
署名
Hiroyuki Suematsu signature.png

末松 広行(すえまつ ひろゆき、1959年5月28日[1] - )は、日本農林官僚農林水産省関東農政局長、農村振興局長、経済産業省産業技術環境局長などを経て、農林水産事務次官[2]

人物[編集]

埼玉県浦和市(現さいたま市)出身[3]県立浦和高校に進学し、剣道部に所属していた。菱沼義久農林水産省技術総括審議官は高校のクラスの同級生[3]

1983年東京大学法学部を卒業し、同年4月農林水産省へ入省。1998年には農水大臣秘書官となった。2000年には農林水産省食品流通局企画課食品環境対策室長となり、2002年からは、内閣参事官として小泉政権時代に総理官邸に出向[4]。2006年大臣官房環境政策課長、2008年大臣官房食料安全保障課長、2010年林野庁林政部長、2014年関東農政局長、2015年農村振興局長を歴任した。末松は諫早市に出向していた経験もあり、農村復興局長時代は諫早湾干拓事業での堤防問題では陣頭指揮を執ることになった[5]。2016年には農林水産省と経済産業省で初の局長級の人事交流が実施され、経済産業省へ出向し産業技術環境局長に就任[6]。経産省の人工知能研究政策を統括した。

2018年、59歳の時に、奥原正明次官の後任として農林水産事務次官に就任[5]。農林水産事務次官は、過去は次期次官の指定席である水産庁や林野庁の長官から昇格してくるのが慣例になっていたが[4]、奥原正明に続き末松広行と2代続いて異例の人事だった[4]。このイレギュラーな人事は、関税や補助金などの過保護政策によって弱体化して行き詰まった日本の農政の抜本改革を行う目的があった[4]。農水省での勤務の傍ら、大学で客員教授として講義を行い、グロービス経営大学院のシンポジウムで農業の産業化を講演するなど[4]、古い慣習に束縛されない行動派とされる[4]。前任の奥原に引き続いて、農政改革の第二ラウンドが主な仕事となった[4]。末松は、事務次官就任前から「頑張らない農協は淘汰されるのが大切だ。競争で生き残る農協が充実することで農業がよくなる」と公言してきた[4]。事務次官になってからも、諫早市市長の宮本明雄市長らと連携し、多発する訴訟や有明海の漁業再生に尽力した[5]

略歴[編集]

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ “農林水産事務次官に末松氏/農林水産省幹部人事”. 農経しんぽう (農経新報社). (2018-08-06). http://www.n-simpo.co.jp/weeknews/3233.html 2019年6月13日閲覧。. 
  2. ^ “【人事異動】農水事務次官に末松広行氏 奥原氏は退任 農水省”. 農業協同組合新聞 (農協協会). (2018年7月24日). https://www.jacom.or.jp/jinji/2018/180724-35844.php 2019年6月13日閲覧。 
  3. ^ a b “毎日フォーラム・霞が関ふるさと記:埼玉県(下)”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2018年10月10日). https://mainichi.jp/articles/20181003/org/00m/010/025000c 2019年6月13日閲覧。 
  4. ^ a b c d e f g h 農水省新次官人事は「異例中の異例」、自民党農林族の抵抗必至 週刊ダイヤモンド編集部 ビジネス inside 2018.7.24 18:15 2019年9月17日閲覧
  5. ^ a b c [諫干 非開門のまま 有明海再生を 諫早市長、農水省に要請] 長崎新聞 2019/8/8 11:44 ] 2019年9月16日閲覧
  6. ^ “夏の中央省庁人事はまたも官邸主導が随所に 外務省は杉山次官-秋葉外務審議官体制に 農水省には激震が…”. 産経ニュース (産経新聞社). (2016年6月24日). https://www.sankei.com/premium/news/160624/prm1606240004-n3.html 2019年6月13日閲覧。