小椋真介

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小椋 真介
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県福岡市早良区
生年月日 (1980-08-01) 1980年8月1日(39歳)
身長
体重
182 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1998年 ドラフト3位
初出場 2001年10月3日
最終出場 2010年9月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

小椋 真介(おぐら しんすけ、1980年8月1日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

福岡市立大原小学校福岡市立原中央中学校卒業。福岡工業大学附属高等学校(現:福岡工業大学附属城東高等学校)時代は1997年の第79回全国高等学校野球選手権大会に出場。143キロのストレートを記録した[1]松坂世代No.1左腕との評価を受け、1998年度ドラフト会議にて福岡ダイエーホークスから3位指名を受けて入団。

プロ入り後[編集]

高卒新人の1999年フレッシュオールスターゲーム出場果たしウエスタン・リーグ公式戦で29試合に登板し、82回1/3を投げ26自責点、5勝2敗1セーブ 防御率はリーグ2位の2.84という成績を残した[2]。オフに工藤公康が退団し、左の先発ローテーション投手に期待された。

2000年、王監督があえてぶつけたという3月3日巨人とのオープン戦で3回2/3に11失点と滅多打ちにされる。二軍では24試合に登板し、101回1/3を投げ44自責点、4勝4敗 防御率はリーグ8位の3.91という成績を残したものの[3]、一軍登板はなかった。

2001年は二軍では15試合に登板し、71回を投げ28自責点、3勝2敗1セーブ 防御率はリーグ8位の3.55という成績を残したが[4]、一軍での登板は1試合に終わった。

2003年には左肘のじん帯を痛め手術に踏み切った[1]

2005年6月4日行われたチームの二軍対茨城ゴールデンゴールズの親善試合では7回に登板し、片岡安祐美やまもと圭壱と対戦。片岡を捕ゴロ、やまもとをフルカウントからの空振り三振に抑えた。

2006年7月19日、おたふく風邪と診断された三瀬幸司に代わり4年ぶりの一軍登録の手続きがとられたが、午後3時の締め切りに間に合わず登録できなかったということがあった。その後7月25日に登録されたが、結局登板しないまま7月27日に二軍へ降格。

2007年、5年ぶりの一軍登板を果たす。二軍では抑えを努め、29試合で防御率1.61を記録した。

2008年、キャンプでは152キロのストレートを投げるまでに復活[1]4月12日埼玉西武ライオンズ戦で2番手として登板し、10年目にしてプロ初勝利を挙げた。その後も前半戦は久米勇紀D.J.ホールトンともに主に勝ち試合の中継ぎ投手として活躍をみせるが、6月以降は徐々に失点がかさむようになり、長期の二軍落ちもあったため、後半戦はわずか3試合の登板だった。二軍では防御率0.43、21イニングで29奪三振と好投した。

2010年、4月24日のロッテ戦でプロ入り12年目にして8年ぶり3度目の先発、5回2安打1失点(自責点0)で先発初勝利を収めた。その後も荒削りながら先発ローテーションに定着、自己最多勝利を更新した。オフに課題である緩急をつけられる決め球、チェンジアップの習得を励んでいる。

2011年攝津正の先発転向や岩嵜翔山田大樹らの台頭、自身の左肘手術の影響などで一軍での登板はなかった。オフにFAで西武から移籍してきた帆足和幸に背番号11を譲ることとなった。

2012年、今度は股関節の故障に苦しみ、一軍登板はなく、二軍での登板も5試合に留まり、10月7日付で戦力外通告を受け、現役引退を表明[5]

引退後[編集]

2016年まで、ホークスジュニアアカデミーで野球塾の指導者として活動をしていた[6]

2016年の学生野球資格回復研修を受講した上で、翌2017年2月7日に日本学生野球協会より学生野球資格回復の適性認定を受けたことにより、学生野球選手への指導が可能となった[7]。 その後、長崎国際大学コーチとなる。

選手としての特徴[編集]

ストレート[8]スライダー[8]チェンジアップ[8]シンカー[9]を投じる。

ファームでは球速156km/hを計測したことがある[5]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2001 ダイエー
ソフトバンク
1 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 22 5.0 6 0 2 0 0 5 1 0 5 5 9.00 1.60
2002 7 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 49 11.0 13 3 5 0 0 9 1 1 8 8 6.55 1.64
2007 7 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 50 11.0 7 2 9 1 1 10 1 0 6 6 4.91 1.45
2008 29 0 0 0 0 3 0 1 6 1.000 144 33.1 31 7 12 0 2 33 3 0 21 20 5.40 1.29
2009 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 5 0.0 2 0 3 0 0 0 0 0 2 2 ---- ----
2010 24 20 0 0 0 4 8 0 0 .333 468 102.0 98 14 67 1 3 113 9 0 65 60 5.29 1.62
通算:6年 69 22 0 0 0 7 9 1 6 .438 738 162.1 157 26 98 2 6 170 15 1 107 101 5.60 1.57
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

記録[編集]

背番号[編集]

  • 11 (1999年 - 2011年)
  • 16 (2012年)

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 雑誌「週刊ベースボール」(ベースボールマガジン社刊)2008年6月30日号35-39ページ『白球入魂「10年目の自信 - 小椋真介」』
  2. ^ 2000 ベースボール・レコード・ブック 570頁 「1999年度ウエスタン公式戦全成績 チーム別個人投手成績 福岡ダイエーホークス」より。
  3. ^ 2001 ベースボール・レコード・ブック 570頁 「2000年度ウエスタン公式戦全成績 チーム別個人投手成績 福岡ダイエーホークス」より。
  4. ^ 2002 ベースボール・レコード・ブック 689頁 「2001年度ウエスタン公式戦全成績 チーム別個人投手成績 福岡ダイエーホークス」より。
  5. ^ a b “ソフトB小椋引退「痛さに気持ち負けた」”. nikkansports.com. (2012年10月8日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20121008-1029643.html 2014年7月13日閲覧。 
  6. ^ NPO法人ホークスジュニアアカデミー > ジュニアコーチ”. HAWKS JUNIOR ACADEMY. 2013年11月9日閲覧。
  7. ^ 元ヤクルト宮本慎也氏ら132人が学生野球資格回復 - 大学・社会人”. 日刊スポーツ (2017年2月8日). 2017年2月8日閲覧。
  8. ^ a b c 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』白夜書房、2010年、103頁。ISBN 978-4-86191-595-6
  9. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』白夜書房、2011年、17頁。ISBN 978-4-86191-710-3

関連項目[編集]

外部リンク[編集]