奇誠庸
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名前 | ||||||
愛称 | キラード | |||||
カタカナ | キ・ソンヨン | |||||
ラテン文字 | Ki Sung-Yong | |||||
ハングル | 기성용 | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1989年1月24日(35歳) | |||||
出身地 |
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身長 | 187cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム |
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ポジション | MF | |||||
背番号 | 18 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2006-2009 2010- |
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64 (7) 63 (9) | ||||
代表歴2 | ||||||
2008- |
![]() | 45 (5) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2012年3月25日現在。 2. 2011年10月11日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/13/Ki_Sung-Yueng_-_celtic.jpg/250px-Ki_Sung-Yueng_-_celtic.jpg)
奇 誠庸(キ・ソンヨン、기성용、1989年1月24日 - )は、韓国出身の同国代表サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
韓国国内ではそのプレースタイルから「韓国のスティーヴン・ジェラード」と呼ばれている。
経歴
中学高校時代の5年間をオーストラリアのジョンポール・アカデミーでユースサッカー教育を受け帰国[1]。
2006年にFCソウルに入団。2007年にトルコ代表をFIFAワールドカップ・日韓大会で3位に導いたシェノル・ギュネシュがソウルの監督に就任すると、気に入られレギュラーを獲得。開幕戦からスタメンで出場した。その活躍にマンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソンも興味を示している[2]。
代表では全世代を経験しており、FIFA U-20ワールドカップ、北京オリンピックにも出場している。2008年6月7日のW杯予選・ヨルダン戦でフル代表に19歳でデビューして、中盤のレギュラーを獲得。同年9月10日の北朝鮮戦で代表初ゴールを記録。韓国代表がW杯出場を決めた2009年6月6日のUAE戦でもダメ押しゴールを決めた。
2009年の夏に横浜F・マリノスが獲得に動いたが、FCソウル側の激しい引き止めにあい日本への移籍は叶わなかった。[3]。 2009年12月13日にセルティックと契約。契約期間は4年間で、移籍金はおよそ200万ポンド(約3億円)。 移籍当初はレギュラーとして出場していたが、3月頃からレギュラーを外され不本意な成績に終わった。翌シーズンの2010-2011シーズンは月間最優秀若手選手を受賞するなど活躍している[4]。
2010年12月27日に行われたセント・ジョンストン戦で0-0のまま後半ロスタイムに突入する中、車ドゥリと奇誠庸がそれぞれゴールを決め2-0の勝利の貢献した。セルティックでの初の韓国人アベックゴールとなった。[5]
AFCアジアカップ2011では韓国のベスト4入りに貢献を果たし、マルカとガゼッタ・デロ・スポルトの2紙からはベストイレブンに選ばれた[6]。
2011年5月21日に行われたスコティッシュカップ決勝のマザーウェル戦で左足の強烈なミドルシュートを決め、セルティックの優勝に貢献。この試合の最優秀選手に選ばれた[7]。
エピソード
一部のサッカーファンからはラフプレーの要注意人物として有名である。 要因としては、2011年1月に行われたAFCアジアカップ2011準決勝の日韓戦で、得点をあげた前田遼一に対して後方からタックルをしたシーン(ファールは取られず)や、同年8月に行われた親善試合の日韓戦で、長谷部誠や本田圭佑に対して危険なタックルを立て続けに仕掛けた点が挙げられる。(本田へのタックルで警告を受けている) それ以外にも、度々足の裏を相手に向けてスライディングをする場面や相手の足に向けたスライディングがあった。 上記のような事例があることや、マスコミの過剰な煽り記事もラフプレーを印象付ける大きな要因である。[8]
猿真似パフォーマンス騒動
2011年1月25日、AFCアジアカップ2011準決勝「日本対韓国戦」において奇誠庸は、前半にPKで得点した後、パフォーマンスで「猿」の物真似を行った。「猿」は韓国社会において日本人を侮辱するときに多用される蔑称であることから、韓国のメディアや韓国ネチズンの間でその行為が波紋を呼んだ[9]。試合後、奇誠庸は韓国メディアの取材に対し、試合の前から用意していた猿真似だったと語っていたが[10]、その後に自身のTwitterで「観客席の旭日旗を見て涙が出た。私も選手の前に大韓民国国民です……」と発言、旭日旗に腹が立ったことを理由に故意に上記のパフォーマンスを行ったことを明かした。韓国ネチズンの間では「旭日旗に復讐しただけ」という賛成意見が大勢を占めるようになった。一方「スコティッシュ・プレミアリーグで猿真似で人種差別された奇誠庸はやってはならなかった」等という反対意見もあった[9]。しかし実際には、観客席のどこにも旭日旗などなかった[11]。
韓国国内の騒動を受け、日本のメディアでもこの騒動が報道された。日本サッカー協会(JFA)は、大韓サッカー協会(KFA)に対し、奇誠庸への聞き取り調査を依頼したところ、奇誠庸が「あのパフォーマンスは日本人に対してではない。セルティックでプレーしていて、相手のサポーターから韓国人ということで猿呼ばわりされている。そういう差別発言をする人たちに向けてやった」と前言の旭日旗に関する発言を翻し、KFAも「結果として日本の皆さんに誤解を与えることになり、申し訳なく思う」と謝罪したため、JFAは正式な抗議を行わないことにした[12]。
この騒動は日韓間にとどまらず、本人がプレーしているスコットランドやその他海外の国々にも飛び火した。イギリスのタブロイド紙ザ・サンは「Cheeky monKI(生意気な猿=奇誠庸)」と銘打った記事で痛烈に批判した。サブタイトルでは「スコットランドのサポーターを人種差別者として告発することで苦い国際的確執から脱出しようとした」と強い不快感をあらわした[13]。猿真似を正当化する理由がなくなると、奇誠庸は「もう死にたい」と言いだしたとのこと[11]。
この試合を取材していた産経新聞のカメラマンは「日本側の応援席で旭日旗を見た記憶はない。断言はできないが、少なくとも目につくような大きさの旭日旗は見なかった。」と証言している[14]。また、2011年1月27日に放送されたテレビ朝日のワイド!スクランブルでは、旭日旗が掲げられた応援席の写真を映しながら「歴史的な日韓の葛藤」を論拠に奇誠庸の行為を擁護した。しかしその写真が2010 FIFAワールドカップの日本対オランダ戦の時のもので、試合当日のものではなかったため、「韓国の報道を検証なしに引用したため間違ってしまった」と翌日の番組で謝罪・訂正することになった[15]。
そして次の日韓戦となった2011年8月10日に行われた日韓親善試合の前日の記者会見で、日本の取材陣からこの時の騒動の釈明を求められると、奇誠庸は「当時あまりにも競技が激しかったし…。複合的な理由があった。しかし過去の事であり忘れていた。」と発言した後、会見途中で席を外した。[16]。
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2006 | FCソウル | Kリーグ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
2007 | 40 | 16 | 0 | 3 | 0 | 6 | 0 | 25 | 0 | ||
2008 | 17 | 21 | 4 | 1 | 0 | 6 | 0 | 28 | 4 | ||
2009 | 27 | 3 | 1 | 0 | 4 | 1 | 32 | 4 | |||
スコットランド | リーグ戦 | S・リーグ杯 | スコティッシュ杯 | 期間通算 | |||||||
2009-10 | セルティック | 18 | S・プレミア | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 |
2010-11 | 26 | 3 | 4 | 1 | 3 | 0 | 33 | 4 | |||
2011-12 | 27 | 6 | 1 | 0 | 3 | 0 | 31 | 6 | |||
通算 | 韓国 | 1部 | 64 | 7 | 5 | 0 | 16 | 1 | 92 | 8 | |
スコットランド | S・プレミア | 62 | 9 | 4 | 1 | 3 | 0 | 69 | 10 | ||
総通算 | 126 | 16 | 9 | 1 | 19 | 1 | 154 | 18 |
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国際大会個人成績 | FIFA | |||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2009 | FCソウル | 17 | 7 | 1 | - | |
通算 | AFC | 7 | 1 |
タイトル
チームタイトル
- FCソウル
- 2006年 Kリーグ杯 優勝
- セルティック
- 2011年 スコティッシュカップ 優勝
個人タイトル
- 2008年 Kリーグベストイレブン
- 2009年 Kリーグベストイレブン
- 2008年 K-League Player of the Year 2009
- 2009年 アジア年間最優秀ユース選手賞
- 2010年 SPL Young Player of the Month 10月
- 2011年 KFA年間最優秀選手
代表歴
出場大会など
- U-20韓国代表
- 2007年 - 2007 FIFA U-20ワールドカップ
- U-23韓国代表
- 2008年 - 北京オリンピック
- 韓国代表
- 2010年 - 2010 FIFAワールドカップ
- 2011年 - AFCアジアカップ2011
試合数
- 国際Aマッチ 45試合 5得点(2008年 - )
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
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1. | 2008年9月11日 | 上海虹口足球場,上海,中国 | ![]() |
△ 1-1 | 2010 FIFAワールドカップ・アジア最終予選 |
2. | 2008年10月11日 | 水原ワールドカップ競技場,水原市,韓国 | ![]() |
○ 3-0 | 親善試合 |
3. | 2009年6月6日 | アル・マクトゥームスタジアム, ドバイ,アラブ首長国連邦 | ![]() |
○ 2-0 | 2010 FIFAワールドカップ・アジア最終予選 |
4. | 2009年10月14日 | ソウルワールドカップ競技場,ソウル,韓国 | ![]() |
○ 2-0 | 親善試合 |
5. | 2011年1月25日 | アル・ガラファ・スタジアム,ドーハ,カタール | ![]() |
△ 2-2(PK0-3) | AFCアジアカップ2011 |
所属クラブ
ジョンポール・アカデミー 2001-2006
FCソウル 2006-2009
セルティック 2010-
脚注
- ^ Ki Sung-Yueng | Player Profile | Korea Republic | 2010 Teams(英語)
- ^ http://www.skysports.com/story/0,19528,11661_2732885,00.html
- ^ 韓国代表MF寄誠庸の獲得断念…横浜M(報知)
- ^ Ki Sung Yueng wins October young player prize
- ^ 2010年12月27日セント・ジョンストン戦、車ドゥリはSPL初ゴール
- ^ アジア杯ベスト11世界各国媒体まとめ
- ^ Celtic lift the 2011 Scottish Cup
- ^ http://www.nikkansports.com/soccer/japan/asiancup/2011/news/p-sc-tp2-20110125-728575.html
- ^ a b 猿のセレモニー人気キソンヨン、"旭日勝天見たら涙..."、東亜日報(韓国語版)2011年1月26日
- ^ 猿まねキソンヨン、懲戒? FIFAの立場は... OSEN 2011年1月27日
- ^ a b 室谷克実、三橋貴明『韓国人がタブーにする韓国経済の真実』PHP研究所
- ^ 韓国協会に抗議せず=日本サッカー協会時事通信2011年1月27日、1月28日閲覧
- ^ Cheeky monKI
- ^ 韓国のサッカー選手がサルの物まねで日本人を侮辱した理由は?
- ^ “テレ朝報じた「サルまね」旭日旗、実はW杯時の映像だった…同局が訂正、謝罪”. 産経新聞. (2011年1月28日)
- ^ 터치라인 '日 원숭이 논란' 기성용, 취재진 질문에…(タッチライン 日猿の奇誠庸、取材陣の質問に…)、スポーツソウル 2011年8月10日