京極高厚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
 
京極 高厚
Kyōgoku Takaatsu.jpg
時代 江戸時代後期(幕末) - 明治時代
生誕 文政12年5月29日1829年6月30日
死没 明治38年(1905年12月27日
別名 錦三郎、鑑三郎、鑑吉郎(幼名)
諡号 蕉窓
官位 従五位下、飛騨守、正五位従三位
但馬豊岡藩
氏族 京極氏
父母 父:京極高行、母:古山氏
正室:島津忠徹の娘・艶
継室:勝田良彊の養女・小林氏
1男2女:高義(長男)

京極 高厚(きょうごく たかあつ)は、但馬豊岡藩の第9代(最後)の藩主。豊岡藩京極家11代。

文政12年(1829年)5月29日、第8代藩主京極高行の長男として江戸麹町邸で生まれる。弘化4年(1847年)、父の死去により家督を継ぎ、同時に従五位下、飛騨守に叙任する。嘉永2年(1849年)、駿府加番となり、嘉永4年(1851年)に大坂加番になった。

文久2年(1862年)、幕末の海防政策として、津居山港に御台場を築き、11インチ砲や10貫砲を備えた。文久3年(1863年)の生野の変では幕府方として活躍し、平野国臣横田友次郎らを逮捕するという功績を挙げている。

明治2年(1869年)6月23日、版籍奉還により豊岡藩知事となる。明治3年(1870年)、藩校の稽古堂を女学校に改めて、藩士子女の教育化に努めた。明治4年(1871年)7月15日、廃藩置県により藩知事を廃されて東京へ移った。明治17年(1884年)、華族令によって子爵となる。明治18年(1885年)に正五位に叙され、その後も従三位、勲四等に叙された。明治30年(1897年)7月、貴族院子爵議員に選出され、明治37年(1904年)7月まで在任した。

明治38年(1905年)12月27日、東京本所邸にて死去した。享年77。

俳人としても優れていたと言われている。

参考文献[編集]

  • 千田稔『華族総覧』講談社〈講談社現代新書〉、2009年
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年