上原美優

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うえはら みゆ
上原 美優
プロフィール
愛称 みゅうみゅう
美優ちゃん
生年月日 1987年5月2日
没年月日 2011年5月12日
没年齢 24歳(数え25)
出身地 日本の旗 日本鹿児島県熊毛郡中種子町
死没地 日本の旗 日本東京都目黒区
血液型 A型
公称サイズ(2009年[1]時点)
身長 / 体重 152 cm / kg
スリーサイズ 78 - 56 - 80 cm
活動
デビュー 2006年 - 2011年
ジャンル グラビア
モデル内容 一般、水着
他の活動 タレントレースクイーン
モデル: テンプレート - カテゴリ

上原 美優(うえはら みゆ、1987年5月2日 - 2011年5月12日)は、日本タレントグラビアアイドル。本名、藤崎 睦美(ふじさき むつみ)[2]

鹿児島県種子島熊毛郡中種子町野間[2])出身。「貧乏アイドル」として、貧しい家庭でのエピソードを明るく話し、所属していたプラチナムプロダクションの看板タレントの一角までに成長する。芸能界デビューまでの道のり、及びその後も死去まで波乱万丈の人生を送り、その人柄で死去後も熱烈なファンが存在する。

来歴・人物[編集]

誕生から高校進学まで[編集]

1987年5月2日、父親が55歳で母親43歳の時、兄弟4男6女の末っ子として誕生。本名の睦美は六女に因んで付けられた。姉の1人は「ミス種子島」に選ばれている[3]

大家族であるため家計は苦しく、以下のエピソードがある[4]

  • 上の兄姉が既にそれぞれ家庭を持ち子供がいるため、人数が多く、10人全員が実家に集まることが不可能だった。
  • 下着が足りず中学までノーパンで通学した。
  • 種子島宇宙センターでのロケット打ち上げ時には振動で家が揺れるため、家族全員で家具を支えた。
  • 雨が降った日は雨漏りがすごく、家の中でも傘を差さないといけない。
  • 幼稚園に通うことができず友達も少なかったが、母親の提案で母親が帰宅途中の園児を家まで誘い、その園児と一緒に遊ぶという生活を送る。上原本人も楽しみにしていたが、帰宅する途中の園児に声をかける場面を巡回中の警察官に発見され厳重注意を受けたため、長くは続かなかった。
  • 1994年に小学校に進学するも、同時に家計の苦境も増し、給食費も半年遅れでの支払いが続いた。

当時の藤崎家は家庭の状況から、子供は中学卒業で自立することが家庭内の決まりであり、種子島を離れ鹿児島市内の高校へ進学、自ら学費を稼ぎながら通学していた[4]。だが入学後暴行被害に遭った事が原因で退学する[4]

デビュー以降[編集]

2006年 - 桜井ひな藤崎まやと共にフォーミュラ・ニッポンディレクシブレーシングガールズ」としてレースクイーンデビューをするが、チームの突然の撤退により第5戦で活動終了する。

2007年 - 「sabraブロガール選手権」出場。その後、ブランクを経て「種子島出身の貧乏アイドル」として知名度を上げる。

2007年 - クリスマスに恋人に振られた寂しさから睡眠薬を服用し自殺を図ったが、一命を取り止めた[4]

2008年夏頃より - テレビのバラエティ番組にも多数出演するようになった。

2010年2月28日 - 東京マラソン2010に参加。レース前に「『ゴールさえすればいい』とチャライことを言っていた西尾さんには負けたくない」と、西尾由佳理フリーアナウンサー、当時:日本テレビアナウンサー)を挑発する発言をするが、西尾は完走し、上原は天候と故障している足による影響で意識を失い、スタートから25km地点でリタイヤとなった[5]

2010年3月29日 - 母親が心筋梗塞で他界したが、本人は仕事で最期を看取れなかった。この時初めて家族全員が集合して葬儀を行い、記念撮影をした[6]。だがショックは大きく、以後精神的に不安定な様子が見られたという[7]

死去[編集]

2011年5月11日午後11時頃、東京都目黒区のマンション自室で、交際中の一般男性と過ごしていたが、「2時間ほど一人にしてほしい」と男性を外出させた。その後、外出先の男性の携帯電話に死をほのめかす電子メールが送られ、折り返し電話をかけても上原が出なかったため、男性が上原の自宅に戻ったところ、自室のドアにスカーフとベルトで首を吊っており、5月12日午前3時37分に病院で死亡が確認された。

兄姉や従兄弟のうち、8人が上京して遺体を引き取った[8]

所持品の手帳には「お母さんが死んで辛い。このままのスタイルで仕事して先行きどうなるか」というメモが残されていたという[9][10]。上原の父親は種子島の実家で取材に応じ、亡くなる前日の午前中、「もう種子島に帰りたい、お母さんのところに行きたい」と電話をかけてきたため、慰めつつ故郷に帰ってくるよう促したところ、その日の夜には元気を取り戻したかのような電話を再びかけてきていたことを明かした[11]。遺体は遺族により、飛行機で鹿児島市内に搬送されたのち、フェリーで故郷種子島に搬送された[12]。通夜は5月14日夜、葬儀は親族・近親者のみの密葬でそれぞれ行われ、芸能関係者の参列・供花は辞退した[13]

親交のあった加護亜依青島あきな中川翔子松井絵里奈重盛さと美ほしのあき楽しんごなども、自身のブログで追悼コメントを出し、無念の想いを綴った[14]小森純はインタビューやブログで「あの笑顔が忘れられない」「もっと話を聞いてあげれば良かった」[15]、漫画家の浜田ブリトニーは「初めて仲良くしてくれた芸能人だった」「美優ちゃん、大好きだよ」とコメントを出した[16]

  • 没後に放送された出演番組は、他の回への差し替えや、出演部分の大幅カットなどが行われたものもあった。
    • 日本テレビでは『金曜スーパープライム』「世界☆ドリームワーク 〜 カラダを張って稼ぐぞSP 〜」を死去の翌日の2011年5月13日に放送した際、上原の出演シーンをカットしたが、カットできなかった部分では顔にボカシを入れたため、ネット上で「まるで犯罪者扱いだ」との非難の声が上がっている[17][18]。これについて日本テレビは「まだ亡くなって日が浅かったため、ご遺族や関係者のお気持ちを考え、割愛させてもらいました」と説明している[19]。遺族に確認を取ったかどうかという質問には「そういうことはしてない」とのことだった。しかし、同年5月27日に放送された「ギネス世界記録の美女100人」では、ボカシをかけずに放送、番組冒頭に5月5日に収録したものであることと、冥福を祈る旨のテロップを表示した[20]
    • 一方、TBSが2011年4月26日に収録した『飛び出せ!科学くん』は大幅なカットも差し替えもなく、系列局全国ネットにて同年5月14日に予定通り放送された。同放送終了後には、上原の出演部分に関するコメントの静止画を、約5秒間表示した。同様のコメントは、番組サイトにも掲載されている[21]
    • 2011年5月4日に収録されていた「ビーバップ!ハイヒール」(ABC朝日放送)も、冥福を祈る旨のテロップが表示され放送された。

また自殺者数が、当時は1日平均82人だったのが、上原の死後1週間は平均124人となった。20~30代の女性が目立ち、内閣府参与でNPO自殺対策支援センター ライフリンク代表の清水康之は、ウェルテル効果の発生を指摘した[23]

喪主を務めた父親も、2012年5月下旬にのため、78歳で他界した[24]

エピソード[編集]

  • 好きになる男性のタイプは「顔」が全てで、今まで一目惚れして2人と付き合ったが、その後は「人間、顔ではない」と気づき、子供がたくさん欲しい(自分が10人兄弟なのでそれより多い11人授かりたい)と語っていた[4]。また、2010年12月に発売された雑誌には「大家族を支えてくれるような、いいパパになりそうな人」「ちゃんと尊敬できて、大黒柱になってくれる人」とされている[25]
  • 眞鍋かをりと仲が良く、ブログには眞鍋と飲んでいる様子が掲載されており、「眞鍋姐さんは、時には美優のために涙を流してくれる」と語っていた。[26]、2011年5月12日放送の『情報プレゼンター とくダネ!』で自殺の第1報が報じられた際、直前に訃報を伝えられた眞鍋は番組開始前から落涙しており、番組中でもかねてより悩みの相談を受けていたことなどを涙ながらに語った。また死の1ヶ月ほど前に「会いたい」というメールが来たが、スケジュールが合わず会えなかったことを語った[27]

出演[編集]

テレビ[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

ラジオ[編集]

舞台[編集]

  • THE BAMBOO SHOW(2008年4月22日、目黒食堂)

CM[編集]

PV[編集]

  • かりゆし58「ただひとつだけ伝えたいこと」追悼の曲となった。

作品[編集]

DVD[編集]

写真集[編集]

  • はれ、ときどきナミダ

書籍[編集]

  • 10人兄弟貧乏アイドル☆ 私、イケナイ少女だったんでしょうか?(2009年5月、ポプラ社) - 「泣きながら書いた[4]」という、父や母にも黙っていた体験を綴っている。

雑誌[編集]

トレーディングカード[編集]

  • プラチナム オフィシャル カードコレクション Vol.2(2009年10月31日発売)

カレンダー[編集]

  • 上原美優2010年カレンダー(2009年10月28日発売、トライエックス)
  • 上原美優2011年カレンダー(2010年10月20日発売、トライエックス)

脚注[編集]

  1. ^ 週刊プレイボーイ』2009年7月6日号、集英社、2009年。 
  2. ^ a b 南日本新聞』2011年5月13日社会面。
  3. ^ ザ!世界仰天ニュース. “名人の仰天人生スペシャル パート5 大家族貧乏アイドル衝撃の過去”. 日本テレビ. 2011年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年9月18日閲覧。
  4. ^ a b c d e f ひと-種子島出身の大家族貧乏アイドル 上原美優さん - 2009年6月27日付 西日本新聞朝刊
  5. ^ “上原美優と西尾アナ 遺恨ぼっ発!?”. スポーツニッポン. (2010年1月29日). オリジナルの2010年3月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100304073139/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2010/01/29/12.html 
  6. ^ 2010年4月5日付け スポーツ報知より。
  7. ^ “上原美優さん自殺か…事務所は恋愛問題否定”. デイリースポーツ. (2011年5月12日). オリジナルの2011年5月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110516235724/http://www.daily.co.jp/newsflash/2011/05/13/0004059971.shtml 2011年5月20日閲覧。 
  8. ^ “上原美優さん 悲しき兄姉対面 泣き崩れ「睦美」 父は憔悴しきって…”. スポーツニッポン. (2011年5月13日). オリジナルの2011年5月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110515081315/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/05/13/kiji/K20110513000811290.html 2011年5月20日閲覧。 
  9. ^ “上原美優さん首つり自殺、母の死「辛い」”. サンケイスポーツ. (2011年5月13日). オリジナルの2011年5月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110515094359/http://www.sanspo.com/geino/news/110513/gnj1105130505013-n2.htm 2011年5月20日閲覧。 
  10. ^ 上原美優さん、交際中の男性が首つりの第一発見者 遺書はなく解読不明のなぐり書きのようなメモ残す”. シネマトゥデイ (2011年5月12日). 2011年5月20日閲覧。
  11. ^ “上原さん前日父に電話「種子島に帰りたい」”. サンケイスポーツ. (2011年5月13日). オリジナルの2011年5月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110515095704/http://www.sanspo.com/geino/news/110513/gnj1105130504012-n1.htm 2011年5月20日閲覧。 
  12. ^ “上原美優さん 24歳“貧乏アイドル”自殺 「一人になりたい。2時間外して」と外出させた間に…”. 中日スポーツ. (2011年5月13日). オリジナルの2011年5月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110517204746/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2011051302000165.html 2011年5月20日閲覧。 
  13. ^ 同じ所属事務所の若槻千夏木下優樹菜も参列を希望したが、上原の親族はこれを辞退した。“父とフェリーで種子島へ 10兄弟、涙の再会…上原美優さん通夜”. スポーツ報知. (2011年5月15日). オリジナルの2011年5月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110519091806/http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/entertainment/obit/news/20110515-OHT1T00022.htm 2011年5月20日閲覧。 
  14. ^ 上原美優「馬鹿! 大好きだったよ」ほしの、加護、しょこたん…悄然 ジェイ・キャスト2011年5月13日
  15. ^ 上原美優さんの死に小森純、悲痛な思い「あの笑顔が忘れられません」”. アメーバニュース. サイバーエージェント (2011年5月12日). 2011年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月11日閲覧。
  16. ^ 「美優ちゃん、はじめて仲良くしてくれた芸能人だった」浜田ブリトニー”. J-CASTテレビウォッチ (2011年5月12日). 2013年11月18日閲覧。
  17. ^ “上原美優さん顔にボカシ、日テレにブーイング「まるで犯罪者」”. 夕刊フジ. (2011年5月14日). https://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110514/enn1105141521018-n1.htm 2011年5月20日閲覧。 
  18. ^ 日本テレビが上原美優さんの顔にボカシを掛けて放送 「まるで犯罪者扱い」との声 ガジェット通信
  19. ^ “日テレ直撃取材「上原美優にボカシ処理」問題! テレビ局の行き過ぎた自主規制!!”. サイゾー. (2011年5月16日). https://www.menscyzo.com/2011/05/post_2588.html 2011年5月20日閲覧。 
  20. ^ “上原美優にボカシをかけて放送した日テレが今日の放送ではそのまま放送!”. ガジェット通信. (2011年5月27日). http://getnews.jp/archives/118939 
  21. ^ TBS「飛び出せ!科学くん」上原美優さんご出演部分の放送について”. 2011年5月20日閲覧。
  22. ^ 大家族貧乏アイドル・上原美優さん謎の首つり自殺直前のブログで恋愛問題告白2011年5月13日付デイリースポーツ紙面(2021年4月14日Lastaccess)
  23. ^ 自殺者急増、人気女性タレントの影響? 内閣府参与報告 Archived 2011年7月4日, at the Wayback Machine. 朝日新聞2011年7月4日
  24. ^ “上原美優さん父、がんで死去していた”. 日刊スポーツ. (2012年6月26日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20120626-973105.html 2012年8月14日閲覧。 
  25. ^ SPA!』2010年12月14日号、現代の育児不安を報じる記事にて掲載。
  26. ^ “上原美優さんの訃報に眞鍋かをり号泣”. デイリースポーツ. オリジナルの2011年9月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110929070135/http://www.daily.co.jp/gossip/article/2011/05/13/0004059235.shtml 2011年9月18日閲覧。 
  27. ^ “真鍋かをり 訃報にフジ生出演中絶句号泣”. 日刊スポーツ. (2011年5月12日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20110512-774671.html 2014年3月11日閲覧。 
  28. ^ 上原美優 - オリコンTV出演情報

関連項目[編集]