フリードリヒ3世 (ドイツ王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
フリードリヒ3世
Friedrich III.
ローマ王
Friedrich der Schöne.jpg
ローマ王フリードリヒ3世
在位 1314年 - 1330年(ローマ王)
別号 オーストリア公
出生 1289年
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
オーストリア帝国の旗 オーストリア公国ウィーン
死去 1330年1月13日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
オーストリア帝国の旗 オーストリア公国、グーテンシュタイン
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
オーストリア帝国の旗 オーストリア公国ウィーン
配偶者 エリザーベト・フォン・アラゴン
子女 フリードリヒ
エリザーベト
アンナ
王家 ハプスブルク家
王朝 ハプスブルク朝
父親 アルブレヒト1世
母親 エリーザベト・フォン・ケルンテン
テンプレートを表示

フリードリヒ3世(Friedrich III., 1289年 - 1330年1月13日)は、ハプスブルク家オーストリア公(フリードリヒ1世)、ローマ王(ドイツ王、対立王)。フリードリヒ美王(Friedrich der Schöne)と呼ばれる。ローマ王アルブレヒト1世と王妃エリーザベト・フォン・ケルンテンの次男。オーストリア公ルドルフ3世の弟、レオポルト1世アルブレヒト2世オットーの兄。

生涯[編集]

1313年ルクセンブルク家ハインリヒ7世が死んだ後、ヴィッテルスバッハ家ルートヴィヒ4世ルドルフ1世の外孫でフリードリヒの従兄にあたる)と皇帝位を争ったが、選挙でルートヴィヒ4世に敗れた。その後数年間、弟レオポルトの助けを得てルートヴィヒ4世と戦い、勝利を目前としたが、1322年9月、ミュールドルフ近辺の戦いで大敗し、多くの貴族と共に捕虜となった。1325年まで捕囚の身だったが、妥協が成立し、ルートヴィヒ4世がローマ皇帝およびイタリア王としてイタリアを治め、フリードリヒ3世がローマ王としてドイツを治めることになった。

1330年にフリードリヒが死去した後は、ルートヴィヒ4世の単独統治となった。以後、1438年に弟アルブレヒトの曾孫アルブレヒト5世がローマ王に選出されるまで100年余りの間、ハプスブルク家は王位から遠ざかることになった。

子女[編集]

1314年アラゴン王ハイメ2世の娘イサベル(エリーザベト)と結婚、1男2女をもうけた。

先代:
ハインリヒ7世
ローマ王
1314年 - 1330年
ルートヴィヒ4世の対立王
のち共同統治
次代:
ルートヴィヒ4世(単独統治)
先代:
アルブレヒト1世
オーストリア公
シュタイアーマルク公
1308年 - 1330年
レオポルト1世と共同統治
(1326年まで)
次代:
アルブレヒト2世
オットー