オットー (オーストリア公)
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オットー陽気公 Otto der Fröhliche | |
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オーストリア公 ケルンテン公 | |
在位 |
オーストリア公:1330年 - 1339年 ケルンテン公:1335年 - 1339年 |
出生 |
1301年6月23日 神聖ローマ帝国 オーストリア公国、ウィーン |
死去 |
1339年2月17日(37歳没) 神聖ローマ帝国 シュタイアーマルク公国、ノイベルク修道院 |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 シュタイアーマルク公国、ノイベルク修道院 |
配偶者 | エリーザベト・フォン・バイエルン |
アンナ・フォン・ベーメン | |
子女 |
フリードリヒ2世 レオポルト2世 |
家名 | ハプスブルク家 |
父親 | ローマ王アルブレヒト1世 |
母親 | エリーザベト・フォン・ケルンテン |
オットー(Otto, 1301年6月23日 - 1339年2月17日)は、ローマ王アルブレヒト1世と王妃エリーザベト・フォン・ケルンテンの末息子。兄アルブレヒト2世の共同統治者としてオーストリア公(在位:1330年 - 1339年)、ケルンテン公(在位:1335年 - 1339年)であった。オットー陽気公(Otto der Fröhliche)と呼ばれる。兄には他にボヘミア王ルドルフ1世、ローマ王フリードリヒ3世(美王)、オーストリア公レオポルト1世がいる。
生涯
[編集]母方の叔父でルドルフ1世とボヘミア王位を争ったハインリヒ6世の死後、ケルンテン公国を兄アルブレヒトとともに相続した。
1325年にバイエルン公シュテファン1世の娘エリーザベトと結婚したが、1330年に死別した。1335年にボヘミア王ヨハンの娘アンナと再婚したが、1338年に死別し、翌1339年に自身も死去した。先妻エリーザベトとの間にフリードリヒ2世(1327年 - 1344年)、レオポルト2世(1328年 - 1344年)の2男がいたが、いずれも早世した。後妻アンナとの間の子はなかった。
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