台英関係
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台英関係では、主に中華民国(台湾)とイギリスの二国間関係について記述する。1950年以降、両国に国交はない[1]。
歴史
[編集]鄭氏政権の鄭経と、東インド会社は鄭氏政権の終わりまで貿易協定を締結した[2]。1947年5月9日、両国との航空運送協定を調印[3]:8351。同年7月23日には南京で締結した[3]:8388。 国共内戦での中国国民党率いる中華民国政府の敗北後、中華民国は中国大陸を去り、台湾へ渡る一方、イギリスとは1950年1月6日、大陸の中華人民共和国承認を機に同年同月日に国交断絶するが、台北県淡水(現・新北市)の領事館を通しての交流は1972年まで続き、閉鎖後も貿易などの関係はある[4][5]。1991年8月22日、王立協会と科技部が台英の科学協力覚書を締結[6]。1999年4月7日にその台英の科学協力覚書を更新した[6]。1999年9月21日、台湾大震災が起きた際に、イギリスは6人の緊急救助隊を派遣して救助を行わせた[7][8]。2008年2月15日には再び、台英の科学協力覚書を更新した[9]。2015年5月27日にはイギリスの在台機関である「英国貿易文化弁事処」が「英国在台弁事処」に名称が変更された[10]。
要人の往来
[編集]中華民国政府要人のイギリス訪問
1997年、許水徳考試院院長がイギリスを訪問[11]。1998年、銭復国民大会議長がイギリスを訪問[12]。1999年、王志剛経済部長がイギリスを訪問[13]。そして、2000年には、李登輝前総統、連戦前副総統、趙怡新聞局長、王光宇新聞局長、馬英九台北市長(後の総統)がイギリスを訪問する[14]。2011年は馬英九総統夫人の周美青と、頼浩敏司法院長が訪問した[15]。
イギリス政府要人の台湾訪問
2001年にアラン・ジョンソン貿易産業省閣外大臣が台湾を訪問[16]。2011年にはステファン・グリーン貿易投資担当国務大臣と、ナイジェル・エバンス下院副議)が台湾を訪問した[15]。
貿易関係
[編集]台湾貿易センターがロンドンにある[17]。 双方ともに電子電気機械の輸出入が多い[18]。
大使館・総領事館
[編集]脚注
[編集]- ^ “《中華民國105年外交年鑑》〈第三章 對外關係〉”. 中華民國外交部}. 2018年12月6日閲覧。
- ^ 頼永祥 (1965). 臺灣鄭氏與英國的通商關係史. 《臺灣文獻》
- ^ a b 李新 總主編,中國社會科學院近代史研究所中華民國史研究室 編,韓信夫、姜克夫 主編, ed (2011年7月). 《中華民國史大事記》. 北京: 中華書局
- ^ a b “《中華民國104年外交年鑑》〈第二章 對外關係〉”. 中華民國外交部. 2018年12月6日閲覧。
- ^ “《中華民國88年外交年鑑》〈附錄五、我國與世界各國關係一覽表〉”. 中華民國外交部. 2018年12月6日閲覧。
- ^ a b “條約協定查詢系統”. 中華民國外交部. 2018年12月6日閲覧。
- ^ [內政部消防署統計]中時新聞資料庫,1999/10/5
- ^ [國際搜索隊陸續離台]工商時報,1999/09/24
- ^ “《中華民國97年外交年鑑》〈第二章 對外關係〉”. 中華民國外交部. 2018年12月6日閲覧。
- ^ “U.K. renames representative office in Taiwan, retains functions”. focustaiwan.tw. 2018年12月6日閲覧。
- ^ “《中華民國86年外交年鑑》〈第三章 中外關係〉”. 中華民國外交部. 2018年12月6日閲覧。
- ^ “《中華民國87年外交年鑑》〈第三章 中外關係〉”. 中華民國外交部. 2018年12月6日閲覧。
- ^ “《中華民國88年外交年鑑》〈第三章 中外關係〉”. 中華民國外交部. 2018年12月6日閲覧。
- ^ “《中華民國89年外交年鑑》〈第三章 中外關係〉”. 中華民國外交部. 2018年12月6日閲覧。
- ^ a b “《中華民國100年外交年鑑》〈第二章 對外關係〉”. 中華民國外交部. 2018年12月6日閲覧。
- ^ “《中華民國90年外交年鑑》〈第三章 中外關係〉”. 中華民國外交部. 2018年12月6日閲覧。
- ^ “外貿協會全球據點”. 中華民國對外貿易發展協會. 2018年12月6日閲覧。
- ^ “歐洲地區”. 中華民國國際經濟合作協會. 2018年12月10日閲覧。