アニェス・ド・メラニー

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アニェス・ド・メラニー
Agnès de Méranie
フランス王妃
Agnes of Merania (Hedwig Codex).jpg
出生 1180年
死去 1201年7月20日
フランス王国ポワシー
埋葬  
フランス王国、サン=コランタン王立修道院
配偶者 フランス王フィリップ2世
子女 マリー
フィリップ・ユルプル
父親 メラーノ公ベルトルト4世
母親 アグネス・フォン・ロホリッツ
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アニェス・ド・メラニー(Agnès de Méranie)またはアニェス・ダンデクス(Agnès d'Andechs, 1180年頃 - 1201年7月20日)は、フランスフィリップ2世の3番目の王妃。父はメラーノ公ベルトルト4世、母はアグネス・フォン・ロホリッツ。姉にシレジア守護聖人として知られるヤドヴィガ(ヘートヴィヒ)がいる。

生涯[編集]

フィリップ2世は1190年に最初の王妃イザベル・ド・エノーと死別した後、1193年デンマーク王女インゲボルグと再婚したものの、彼女が気に入らず、離婚を宣言して1196年にアニェスと結婚した。しかしインゲボルグは離婚を認めず、ローマ教皇ケレスティヌス3世に訴えた。結果、この結婚は無効とされたが、フィリップ2世はそれを認めず、なおもアニェスを王妃とした。その後、イングランドジョンとの対抗上、教皇の支持を求めることになり、やむなく1201年にアニェスと別れた[1]。アニェスは同年のうちに若くして死去。遺体は現イヴリーヌ県にあるサン=コランタン王立修道院(Abbaye Saint-Corentin)に埋葬された。アニェスとの間に生まれたフィリップ・ユルプル(1201年 - 1235年)と娘マリーは教皇庁により嫡子と認められた[2]。マリーはブラバント公アンリ1世と結婚した。

アニェスの死後、フィリップ2世はインゲボルグを監禁状態に置いていたが、教皇の要求やインゲボルグの兄ヴァルデマー2世との和解のため、1213年に彼女を呼び戻し、再び王妃として遇した。

脚注[編集]

  1. ^ 佐藤、p. 121
  2. ^ 佐藤、p. 122

参考文献[編集]

  • 佐藤賢一 『カペー朝 フランス王朝史1』 講談社現代新書、2009年