アンナ・ヤロスラヴナ

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アンヌ・ド・キエヴ
Anne de Kiev
Statue-Senlis Anne de Kiev.JPG
サンリスにあるアンヌ・ド・キエヴ像
在位 1051年 - 1060年

出生 1024/32年
Emblem of Kievan Rus.svg キエフ大公国キエフ
死去 1075年9月5日
埋葬 フランス王国、セルニー、ヴィリエール=オー=ノナン修道院
結婚 1051年5月19日 ランス大聖堂
1062年
配偶者 フランスアンリ1世
  ヴァロワ伯ラウール4世
子女 フィリップ1世
ロベール
エマ
ユーグ1世
父親 キエフ大公ヤロスラフ1世
母親 インゲゲルド・アヴ・スヴェーリエ
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アンナ・ヤロスラヴナウクライナ語Анна Ярославна)またはキエフのアンヌフランス語:Anne de Kiev, 1024/32年 - 1075年)は、フランスアンリ1世の2度目の王妃。キエフ大公ヤロスラフ1世と妻インゲゲルド(スウェーデン王オーロフの娘)の娘。

生涯[編集]

アンリは婚約者であったマティルデ・フォン・フランケン神聖ローマ皇帝コンラート2世の娘)、その姪であった先の妃マティルド・ド・フリーズを亡くした後、ヨーロッパの各王家・貴族の中に王妃にふさわしい姫はいないか探したが、なかなか見つからなかった。当時、6親等以内の血族婚は禁止されていたが、長年の政略結婚の繰り返しのせいで、血のつながりのない結婚年齢の女性を捜す方が難しかった。

アンリはキエフ大公国まで使節を派遣し、使節は公女アンナ(フランス語ではアンヌまたはアニェスとも呼ばれた)を連れて帰国した。聞けば、ヤロスラフ公の母は東ローマ帝国の皇女だという(これには現在異論がある)。この結婚で、かつてのローマ皇帝の末裔の縁者になり、カペー家の王座に権威がもたらされるとアンリは考えた。

婚約直後は全くフランス語は話せなかったが、アンリがほとんど読み書きができなかったのに対し、アンナは5ヵ国を話すことができ、婚約者が待つパリまで旅をする間にフランス語を覚えてしまう程の才媛であった。

ピザンティン帝国の影響が強かったキエフはフランスより文化的に先進しており、パリを訪れた際、アンナは街のみすぼらしさにショックを受け、さらに野蛮で、不潔かつ教養のないフランス人に良い印象を持たず、夫アンリも例外ではなく教養のない田舎者であると評して嘆き、祖国の父への手紙に「家々は陰気で教会は醜く、習慣はとても不愉快」と書いて送っている[1]


その一方、ブロンドの美女であったアンナに、アンリはたちまち心を動かされ、1051年5月19日にランス大聖堂で結婚した[2]。以降、アンリは王妃アンナを熱愛していた。

2人の間には3人の男子と1女が生まれた。

  • フィリップ(1052年 - 1108年) - のちのフィリップ1世
  • ロベール(1054年 - 1065年頃) - 10歳で死去
  • エマ(1055年 - 1109年頃)
  • ユーグ(1057年 - 1101年) - ユーグ・ル・グラン(Hugues le Grand)あるいはユーグ・マニュス(Hugues Magnus)と呼ばれた。ヴェルマンドワ伯の女子相続人と結婚、のちにクレピー伯となったが、1101年の十字軍出征中にタルススで死亡した。

1060年にアンリが死ぬと、まだ7歳の幼年だったフィリップを補佐して、アンヌは摂政を務めた。王妃が摂政となるのはフランスで初めてだった。後任の摂政はフランドル伯ボードゥアン5世だった。アンヌはフランス語こそ流暢ではなかったが、当時の女性には珍しく読み書きができたため、その地位が務まったものと考えられる。

夫を失って間もなく、アンナはヴァロワ伯ラウル4世と愛し合うようになり、それを隠そうともしなかった。ラウルには妻がいたが、彼は妻と離縁し、1062年にアンナと結婚した[3]。この結婚はヴァロワ伯の政治的野心の現れであると貴族は警戒し、また血族婚であったと結婚の無効を言い立てられた妻は、ローマ教皇庁に不義の告発をした。教皇アレクサンデル2世は、アンナとラウルを破門した。

宮廷から遠ざけられた2人は、それでも睦まじく暮らした。1074年9月にラウルが亡くなると、アンヌは宮廷に戻った。フィリップ1世は母を許して迎えた。1075年にアンナは亡くなり、セルニーのヴィリエール=オー=ノナン修道院に葬られたといわれる。

脚注[編集]

  1. ^ ハバード、p. 45
  2. ^ 婚礼の食事は母国ウクライナの伝統である5コースの食事ではなく、3コースしかなかったことにもアンナは不満をもらした。
  3. ^ ペルヌー、p. 293

参考文献[編集]

  • レジーヌ・ペルヌー 『中世を生きぬく女たち』 白水社、1988年
  • ベン・ハバード 「図説 呪われたパリの歴史』 原書房、2018年