須賀次郎

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すが じろう
須賀次郎
須賀次郎
2014年12月07日、特定非営利法人日本水中科学協会(JAUS)第4回シンポジウムにて。
本名 須賀次郎
生年月日 (1935-01-25) 1935年1月25日(89歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都中央区
民族 日本人
身長 165cm
血液型 A型
職業 社会起業家 教育者 技術者
財団法人 社会スポーツセンター顧問
特定非営利活動法人 日本水中科学協会を設立代表理事
著名な家族 長女 須賀潮美 月刊ダイバーなどフリーライターとして活躍中。
公式サイト

須賀次郎・公式サイト

スガジロウのどこまでも潜るブログ公式サイト
日本水中科学協会(JAUS)
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須賀 次郎(すが じろう、1935年1月25日 - )は東京都中央区出身。1959年3月 東京水産大学増殖学科卒業。

水産生物生態潜水調査専攻。

財団法人 社会スポーツセンター顧問

2010年特定非営利活動法人 日本水中科学協会(JAUS)を設立し代表理事に就任。現在に至る。

現在は全日本潜水連盟 理事長 財団法人 社会スポーツセンター常務理事 株式会社スガ・マリンメカニック 代表取締役 株式会社テ・ル 代表取締役を退任している。 [1] [2] [3] [4] [5]

幼年から大学時代

ファイル:ユジニ・クラーク.jpg
ユジニ・クラークと日本潜水会の仲間

生まれは東京日本橋浜町。生家は1945年3月10日の東京大空襲で家は焼けてなくなり、世田谷区野沢に住む事になる。過保護に育てられた幼少期は小児喘息を患い、小学校(国民学校)に入る前、神奈川県葉山に転地療養をする虚弱児だった。そのために小さい頃から本を愛し、小学校2年生で宮本武蔵を読む。宮本武蔵に憧れ修行に憧れ、この頃から川で遊ぶようになる。溺れながらも運良く浅瀬に辿り着き、水の流れや渦を読む事を覚え、やがて泳げるようになった頃、小児喘息はほぼ完治する。死ぬか生きるか以外、多少のことは我慢する事を覚えた。その後、二子多摩川の兵庫島で泳ぐようになる。子供心に生き延びるバランス感覚を覚える。

少年時代

東京に戻り東京学芸大学付属小学校に編入する。敷地内にある大学のプールで水泳に熱中し、水平に25m潜水が出来るようになる。チャンバラや空気銃で遊び、映画が好きで特に西部劇が好きだった少年期に、幸運でないと生き残れないと映画から学ぶ。将来何になりたいかと聞かれると、『幸運児』になりたいと答える。

中学校〜高校時代

学芸大学付属中等科で出会った担任の「君の目はフロンティアを見ているようだね」という言葉がその後の生涯を決め、自身のフロンティアは海だと思うようになる。水泳部がないことから、中学から高校時代はバスケットボールに明け暮れる毎日を送る。バスケットボールは心肺機能に負荷がかかり、敏捷性とバランス感覚が必要なスポーツで、ダイビングのために必要な能力を蓄えるには最適なスポーツだった。高校は進学校である、都立戸山高校に入学。

大学時代

「海で生活することができる研究者になり、潜って魚を突き、南のヤシの葉陰で研究をしよう。海洋生物学者のユジニ・クラークのように生きたい。」という思いから、海を学べる東京水産大学に1955年4月入学。大学の『水産生物研究会』クラブにて活動をはじめる。その後、銛で魚を突いて調べる方法を学ぶ。 大学1年生の水泳実習にて、初めてアクアライニング(スクーバダイビング)に出会い、海に潜るスポーツマン、科学者の中の1人になり、できれば先導者になりたいと決意を固める。大学卒業後は東亜潜水機に勤務、潜水の専門家を目指す。 [6] [7]

100m潜水

ファイル:1963年08月09日 100m潜水.jpg
1963年08月09日 100m潜水 館山沖

1960年25歳、100m潜水にむけて器材の制作を始める。 1963年8月9日、11時39分、潜水開始。11時43分、水深45mに到達。 11時46分、水深計で78m確認。船上に報告。水深90mのライトに到着。 11時49分、90mの水中ライトを越える。1960年、25歳で100m潜水を計画してから、1963年3年の月日をかけて実現した。そのフロンティア精神はとどまることはない。後に1996年2月61歳、テクニカルダイビングで102m潜水に成功している。

80歳で80m潜水を行うことを、ニッポン潜水グラフィティ出版記念パーティーにて宣言。実現すれば人類初の記録となる。 [8] [9]

有限会社 アアク・フアイブテレビ

1985年10月01日 須賀潮美の水中レポート番組(ニュースステーション)の撮影を行うために設立。

以後、ニュースステーション、広くテレビ番組企画、水中撮影に関する様々な仕事を、主に須賀次郎の水中撮影に関連する仕事を行う。

アアク・ファイブテレビの主な仕事歴 

水中撮影作品 および大型展示映像

  • 1993年:レザーデスク「水」電通映画社・環境映像
  • 1993年:網走『流氷館』ハイビジョン・マルチの映像撮影
  • 1993年:函館『コンブ館』全天周イマジカ・ビジョンの映像撮影
  • 1994年:東京都立葛西水族館『伊豆の海』3D立体映像撮影
  • 1995年:東海大学海洋博物館 3D立体映像撮影
  • 1997年:東京都立葛西水族館『珊瑚礁の海』3D立体映像撮影
  • 1998年:東京都立葛西水族館『知床の海』3D立体映像撮影 

テレビ番組撮影

 ニュース・ステーション 須賀潮見水中レポートシリーズ
  • テレビ朝日ニュースステーション[10]
  • 立松和平 心と感動の旅シリーズ
  • 心の水紀行シリーズ: 須賀潮美水中レポーター 
  • 水の博物誌 カリフォルニア、ガラパゴス、カナダ、イスラエル、メキシコ、利尻・西表島、沖縄中継、天草中継。

他緊急取材

他の取材

1986年当時のカメラ ニュースステーション番外編

海洋調査

  • 千葉県館山湾、沖の島から洲崎までの海域をホームグラウンドとして、藻場の調査、人工魚礁の調査を行う。
  • 1993年2015年現在、環境運動として、東京港の水中撮影観察を継続し調査を行う。
  • 世界各地の人工魚礁調査及海洋生体調査撮影。
  • 大学研究班海洋調査の記録撮影。

[11] [12] [13] [14]

特定非営利法人:日本水中科学協会(JAUS)

千葉県館山市波左間人工漁礁調査
ファイル:2016年1月11日 千葉県館山市波左間にて.jpg
JAUS水中調査撮影研究 人工漁礁調査
ファイル:2015年11月15日 JAUS水中調査撮影研究 波佐間魚礁の中でROVを撮る.jpg
2015年11月15日 JAUS水中調査撮影研究 波佐間魚礁の中でROVを撮る
2015年9月27日 東京都お台場にてライン調査
日本水中科学協会・プライマリー研修

日本財団助成事業 Japanese Academy of Underwater Sciences(略称 JAUS ジャウス) 2010年3月設立。 1967年に発足した日本潜水会のメンバーを中核として水中活動分野の有志を集め特定非営利法人として活動。 水中調査活動(サイエンスダイビング)のみでなく、すべての水中活動の安全と充実のために必須である基準とマニュアルの策定を目指して、日本財団の協力を得て、シンポジウムを船の科学館で開催し、257名の参加者を得てスタートした。

理念 水中活動の安全を維持し、活動の先進的な発展を目指し社会に貢献する。

目標

  • 学術研究者(水中探査、標本収集、環境調査)の安全確保と支援。
  • スポーツ(レクレーションナル・ダイビング、スポーツクラブ活動、学生、生徒の潜水活動などの活性化)
  • プロフェッショナル(職業潜水士、水中映像撮影者による水中調査活動、職業的、商業的なスクーバ活動)

ダイビング指導機関、社会的な位置などにとらわれず、ダイビングによる活動を行い、その安全を追求し、スポーツ、学術研究、文化、芸術、に貢献することを目標としている。

活動内容

◎サイエンス&リサーチについて:水中調査撮影研究 2010年の発足時より、ウエアラブルカメラのテスト撮影を繰り返し、2012年12月のシンポジウムにて、テーマとして取り上げ発表した。

2013年、ウエアラブルカメラ研究会を結成。

2014年、水中映像研究会となる。

2014年、水中調査撮影研究グループの結成。フィッシュウオッチングの場としての人工魚礁の調査を月例で、千葉県館山市波左間にて実施している。

◎プロフェッショナルダイビングについて:高気圧作業安全衛生規則の研究 2014年3月、ナツメ社出版、潜水士国家試験の合格受験本を、高気圧作業安全衛生規則の改正に伴い改訂する。

◎潜水手法、技術、機材について:混合ガス潜水の研究 80歳の80mは、新しい方式サブ・カードルシステムで行う。 サブ・カードルシステムの試作が完成した後、JAUSのシンポジウムで公表し、実験潜水についての発表も行う。

◎安全確保について:スキンダイビングの安全について 2015年6月『スキンダイビング・セーフティ』成山堂書店・『岡本美鈴・千足耕一・藤本浩一・須賀次郎共著 スノーケリングからフリーダイビングまで』を出版。

◎環境保全についての活動:お台場での撮影調査記録 1994年から開始、現在も毎月最終日曜日に実施している。2015年現在で21年目を迎える。

◎スクーバ潜水実技の研究と研修:プライマリーコースの実施 学術研究者、水中映像撮影者、職業潜水者、レクリェーショナル・ダイバーを対象に、適切な器材の選択と装備、正しいテクニックを使って、環境へのインパクトを最小限に抑える事を目標とし、合理的かつ具体的なアプローチで ダイビングの安全性を向上させるプログラム。 コースは 知識開発セッション、プールセッション(3ダイブ)、プール検定セッションで構成。器材の取扱い、バディ・システムの運用、スキルの開発、テクニックの習熟に力点を置いた スキル上昇志向のプログラム。

15年度最終開催10月17日(土)〜10月18日(日)プライマリーコース。[15]

◎学生のダイビング活動の支援

大学のダイビング部活動のあり方、現状、将来について、日本水中科学協会会員が指導。学生部活動の安全確保と発展を支援する。

その他の活動

  • シンポジウム:活動成果を発表。
  • フォーラム:話題提供とディベート。
  • ワークショップ:それぞれの研究テーマに関連する発表と、検討を広く参加者を募集し月例で実施。[16]
  • ポスター展示:シンポジウム、フォーラム、ワークショップでは、水中活動に関連するポスター展示。[17]
  • 出版、研究成果について:随時報告書の作成と配布、書籍の公刊を行う。[18]

その他の活動

1993年から須賀次郎が日本潜水会というクラブ名で、個人的に行っている練習会がある。練習会場は、東京辰己国際水泳場ダイビングプール(5m)が主で、サブプールで行う事もある。


2000年スノーケリング講習(親と子のスノーケリング)

毎年、浦安市の屋内多目的プールで、スノーケリングの練習を行っている。2015年度は、5月19日から7月14日に前期の講習を行った。前期と、後期の2回に分けて開催。

可動式床で水深3mまで深くなる。19時〜21時の2時間の講習を全4回、計8時間のスノーケリング練習。3mまで潜るスキンダイビングをスノーケリングとして講習を続ける。参加条件は、必ず両親のいずれかが参加し、バディ参加と決めている。この講習では、バディシステムを徹底的に教えている。ただ一緒にいるのではなく、親は子供を一瞬たりとも手元から離してはいけないと指導し、いつでも子供に手を差し伸べられるよう、子供はいつでも親に掴まる事が出来る状態で練習を行う。

東京辰己国際水泳場にてフリスピー


浦安海豚倶楽部

2000年に結成された、浦安市の屋内多目的プール(水深3mの可動式床の20mプール)をホームプールとしている市民スポーツグループ。市民対象のスノーケリング講習会を行い、その後参加者がこれを続行しようと結成した。15年継続しているうちに60歳以上のメンバーが多くなる。時には東京辰己国際水泳場の5mダイビングプールを使用する事もある。会員の中から任期一年の会長、副会長、会計、渉外の役員が倶楽部を運営している。


スキンダイビングツアー

年に一度、夏季にスキンダイビング旅行をする。沖縄の慶良間が最も多い。ホームプールと同様な水深3m前後で透明度があり、波がなく、流れも一定方向で、エントリー・エキジットが容易で、生き物が豊富にみられる。もしもの場合救助しやすい事も重要である。スキンダイビングでは、救助の一瞬の遅れが取り返しのつかない結果をもたらす。場所を決めて海を熟知することが安全性を高める。つまりホームグランドである。[19]

人物・来歴

1968年摩周湖16mmシネマフイルムをまわす須賀次郎
1981年岩手県龍泉洞 水深73m 鶴町、須賀。
1981年岩手県龍泉洞 12ℓダブルタンクBCを使わず潜水

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職歴

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著書

ファイル:1978年7月フォトグラフィック潜水と水中撮影入門書.jpg
1978年7月フォトグラフィック『潜水と水中撮影入門書』     須賀次郎・後藤道夫共著
ファイル:2014年9月22日 須賀次郎先生の出版記念パーティ.jpg
2014年9月22日 須賀次郎先生の出版記念パーティ
  • 『アクアラング潜水』ダヴィット社刊・『須賀次郎・浅見国治共著』、1966年。ASIN B000JAAUDI 
  • 『アクアラング潜水』ダヴィット社刊・『須賀次郎・浅見国治共著』、1968年。 
  • 『水中写真の撮影』恒星社厚生閣・『須賀次郎・小池康之共著』、1972年。ASIN B000JA1KSW 
  • 『スポーツダイビング入門』ダイビングワールド社『須賀次郎・竜崎秀夫共著』、1976年7月。ASIN B000J8VB2O 
  • 『スポーツダイビング入門』マリン企画・『須賀次郎・竜崎秀夫共著』、1977年。 
  • 『アクアラング潜水』ダヴィット社刊・『須賀次郎・浅見国治共著』、1978年。 
  • 『潜水と水中撮影入門』共立出版・『須賀次郎・後藤道夫共著』、1978年。ISBN 978-4-320-09214-3 
  • 『スポーツダイビング入門』マリン企画・『須賀次郎・竜崎秀夫共著』、1982年。ISBN 4895123014 
  • 『社会体育指導者補助教本』財団法人社会スポーツセンター、1991年。 
  • 『スクーバダイビングマニュアル(水産高校ダイビングテキスト指定)財団法人社会スポーツセンター』1996年。 
  • 『産業界の動向・マリンスポーツとしてのスクーバダイビング』『産業教育/文部省職業教育課編・須賀次郎著』記事・論文、2000年。 
  • 『リレー随筆:海岸を巡る環境教育』須賀次郎著、2002年。 
  • 『ダイビング:潜水技術検定テキスト』社会スポーツセンター出版・『須賀次郎・小池康之監修』、2003年。 
  • 『豊かな海』全国沿岸漁業振興開発協会出版・須賀次郎著:写真・文、2003年。 
  • 『水の惑星:ベテランダイバーが語る』NDL雑誌記事索引『アンディ・バイヤット対談:須賀次郎』記事・論文、2004年。 
  • 『最新ダイビング用語事典:安全管理、活動の実例から医学、教育情報まで』日本水中科学協会編集、成山堂書店、2012年12月。ISBN 9784425954810 
  • 『一発合格!よくわかる潜水士試験完全攻略テキスト&問題集』ナツメ社『須賀次郎・工藤和由共著』、2014年4月。ISBN 9784816355998 
  • 『ニッポン潜水グラフィティ』成山堂書店・『須賀次郎著 ダイビング界のレジェンドが今、ここに語る!』、2014年7月。ISBN 978-4-425-94821-5 
  • 『スキンダイビング・セーフティ』成山堂書店・『須賀次郎・岡本美鈴・千足耕一・藤本浩一共著 スノーケリングからフリーダイビングまで』、2015年6月。ISBN 978-4-425-95561-9 

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外部リンク

出典

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