金沢浄

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金沢 浄
名前
愛称 ジョー
カタカナ カナザワ ジョウ
ラテン文字 KANAZAWA Jo
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1976-07-09) 1976年7月9日(47歳)
出身地 埼玉県
身長 173cm
体重 72kg
選手情報
在籍チーム ジュビロ磐田
ポジション DF
背番号 16
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2002
2003-2009
2009-
日本の旗ジュビロ磐田
日本の旗FC東京
日本の旗ジュビロ磐田
63 (3)
123 (3)
30 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2010年12月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

金沢 浄(かなざわ じょう、1976年7月9日 - )は、埼玉県入間市出身のプロサッカー選手。Jリーグジュビロ磐田所属。ポジションはディフェンダーまたはミッドフィールダー

来歴

武南高等学校時代は左の攻撃的なウイングとしてプレー。国士舘大学では左サイドバックにポジションを下げて活躍した。1999年ジュビロ磐田に入団。プロではむしろ攻撃力よりも左サイドならどこでもこなせる器用さを売りにしたユーティリティープレイヤーとして4年間でリーグ戦63試合に出場するが、レギュラーポジションを獲得するには至らず、2003年FC東京に移籍。

移籍後は左SBのスペシャリストとしてレギュラーで活躍。2004年ナビスコカップ優勝に貢献した。2006年に就任したブラジル人監督・ガーロがMF鈴木規郎を左サイドバックにコンバートし重用したことで、金沢の出場はカップ戦のみに留まっていたが、それに加え右太もも裏や右ふくらはぎの肉離れ、そして6月に右アキレス腱断裂と負傷に泣き、以後手術・リハビリのため別メニューとなった。2007年にはコンディションも戻り、監督に原博実が復帰すると金沢も左SBのスタメンに復活。

2008年長友佑都が加入しポジションを奪われるが、磐田時代に経験のある中盤の底に起用されたり、DF陣に故障者が出た場合や長友が代表招集で不在時には、左SBとしてスタメン起用された。しかし城福浩監督の若手登用のあおりを受け2009年は更に出場機会を減らしていたところ、同年8月に左SBを固定できずに苦しんでいた磐田のオファーを受け、古巣に7年ぶりに復帰した[1]

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
1996 国士大 - - - 3 1 3 1
1997 - - 3 0 3 0
1998 3 旧JFL 19 3 - 2 1 21 4
1999 磐田 20 J1 12 0 2 0 0 0 14 0
2000 10 0 3 0 0 0 13 0
2001 19 2 7 0 2 0 28 2
2002 22 1 6 1 0 0 28 2
2003 FC東京 17 30 3 7 0 2 0 39 3
2004 24 0 9 0 2 0 35 0
2005 22 0 6 0 2 0 30 0
2006 0 0 2 0 0 0 2 0
2007 29 0 6 1 2 0 37 1
2008 14 0 5 0 1 0 20 0
2009 4 0 2 0 - 6 0
磐田 16 8 0 - 3 0 11 0
2010 14 0 5 1 3 0 22 1
2011 8 0 1 0 1 0 10 0
2012
通算 日本 J1 216 6 61 3 18 0 295 9
日本 旧JFL 19 3 - 2 1 21 4
日本 - - 6 1 6 1
総通算 235 9 61 3 26 2 322 14

その他の公式戦

経歴

脚注

  1. ^ 金沢浄選手FC東京より完全移籍加入のお知らせ ジュビロ磐田公式ホームページ 2009年7月24日

関連項目

外部リンク