豊田雅孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Bcxfu75k (会話 | 投稿記録) による 2022年11月13日 (日) 13:44個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (外部リンクの修正 kokkai.ndl.go.jp)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

豊田 雅孝
生年月日 1898年9月5日
出生地 愛媛県
没年月日 (1991-02-14) 1991年2月14日(92歳没)
出身校 東京帝国大学
所属政党無所属→)
緑風会→)
自由民主党

日本の旗 参議院議員
選挙区 全国区
当選回数 2回
テンプレートを表示

豊田 雅孝(とよた まさたか、1898年9月5日-1991年2月14日)は、日本官僚政治家愛媛県出身の人物[1]

参議院議員(2期)。

経歴

その他

  • 1955年(昭和30年)7月25日の参議院内閣委員会で、鳩山一郎内閣総理大臣に対して、竹島の占拠について、『日本側から反撃をすることは、憲法9条の国際紛争解決の手段としての武力行使と見て、憲法9条ではできないと解釈するか』、『あるいはわが領土権を現実に侵されておるから、これを回復するのは自衛権の範囲で、憲法9条からもできるか』と質問し、鳩山は、
    『日本の領土を占領せられたのでありまするから、これは侵略と見るのが妥当で、自衛権の発動はできるわけであります』と発言し、また豊田は、『竹島の侵略が行われてからある程度の時日をたっておらなければ問題なく考えられるのでありますが、相当の時日がある場合においてなおかつこれは反撃することが自衛権、行動権の範囲内であるというふうに解釈することについては何ら疑義なくさようにお考えになるというふうに解釈してよろしいでしょうか』と質問し、鳩山は、『理論から言えば私は領土侵略だと思います。自衛権を発動してもいいと思いますけれども、あなたのおっしゃるように時期を経ておりますからこれはやはり談判によって、戦争の方法によらず外交的手段によって解決する方が穏当であろうと考えます』と発言している[2]
    竹島は、1953年4月20日に、韓国独島義勇守備隊が初めて駐屯ないし占拠し、以降韓国が占領を続けている。

脚注

議会
先代
熊谷太三郎
日本の旗 参議院内閣委員長
1967年 - 1968年
次代
井川伊平
先代
梶原茂嘉
日本の旗 参議院商工委員長
1965年 - 1966年
次代
村上春蔵
先代
広瀬久忠
日本の旗 参議院大蔵委員長
1957年 - 1958年
次代
河野謙三
官職
先代
椎名悦三郎
日本の旗 商工次官
1945年 - 1946年
次代
奥田新三