薔薇と海賊

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薔薇と海賊
著者 三島由紀夫
イラスト 装幀:藤野一友
発行日 1958年5月30日
発行元 新潮社
ジャンル 戯曲
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本 紙装
ページ数 158
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薔薇と海賊』(ばらとかいぞく)は、三島由紀夫戯曲。全3幕から成る。女流童話作家のヒロインと、童話ファンの白痴の青年との恋愛劇である。現代風俗の跋扈する時代に、性欲を嫌悪する女と性欲を持たない男の恋を設定し、ロマンチック時代と同等の甘い恋の場面を表現させている[1]

1958年(昭和33年)、文芸雑誌『群像』5月号に掲載され、同年5月30日に新潮社より単行本刊行された[2][3]。初演は同年7月8日に文学座により、第一生命ホールで上演され、週刊読売新劇賞を受賞した[4][5][注釈 1]。その後1986年(昭和61年)2月25日に新潮文庫より『熱帯樹』に収録された[7]

1970年(昭和45年)10月の再演時に、三島が客席で涙を流しながら観ていたという挿話がある[8][9][10]

作品成立・主題

構想の母胎は、三島がニューヨークで見たロイヤル・バレエ団(旧・サドラース・ウエルス・バレエ団)の『眠れる森の美女』終幕のディヴェルティッスマンからの着想である[11]。当初は『月のお庭』という題にする予定だったが、『薔薇と海賊』となった[9]

三島は、『鹿鳴館』を「ロマンチックな芝居」だとすれば、『薔薇と海賊』は、「私流にずつとリアリスティックな芝居」だと述べ[12]、『薔薇と海賊』の主題に関わる〈薔薇〉については、次のように解説している。

世界が虚妄だ、といふのは一つの観点であつて、世界は薔薇だ、と言ひ直すことだつてできる。しかしこんな言ひ直しはなかなか通じない。目に見える薔薇といふ花があり、それがどこの庭にも咲き、誰もよく見てゐるのに、それでも「世界は薔薇だ」といへば、キチガヒだと思はれ、「世界は虚妄だ」といへば、すらすら受け入れられて、あまつさへ哲学者としての尊敬すら受ける。こいつは全く不合理だ。虚妄なんて花はどこにも咲いてやしない。本曲の女主人公楓阿里子は、身を以て、生活を犠牲にして、この不合理に耐へて来た女である。それがこの不合理をものともせず、「世界は薔薇だ」と言ひ切る、少々イカれた青年の突然の訪問をうける。二人の間にが生れなかつたらふじぎである。 — 三島由紀夫「『薔薇と海賊』について」[1]

また眼目は、ラブ・シーンにあるとし、その感情は「真率で、シニシズムも自意識も羞恥も懐疑も一つのこらずその場から追つ払はれてゐなければならない」として、以下のように、説明している。

それは甘い、甘い、甘い、糖蜜よりも、この世の一等甘いものよりも甘い、ラヴ・シーンでなければならない。この喜劇の中で、ラヴ・シーンだけは厳粛でなければならない。なぜならこの芝居における人を笑はせる要素はすべて、それによつて瀉血療法のやうに、現代人の笑ひたい衝動の鬱憤を全部瀉血せしめて、以て、ラヴ・シーンの純粋性を確保するために、企まれたものだからである。私はわざと本曲に、「喜劇」と銘打つことを避けた。 — 三島由紀夫「『薔薇と海賊』について」[1]

1970年(昭和45年)10月に再演された際に三島は、主演の村松英子に、「随分前に書いた芝居だけど、僕はいつも25年は早すぎるのかなあ」、「最近ますます、何て世の中は海賊ばかりだろうって思うよ」と語っていたという[9]

あらすじ

第1幕 - 童話作家・楓阿里子邸の居間。

童話作家で37歳の楓阿里子邸に客が訪れた。阿里子の童話ファンの30歳の松山帝一は、自分を童話の中の主人公・ユーカリ少年だと信じている白痴の青年で、後見人の額間(50歳)に付き添われて阿里子に会いに来たのだった。楓邸の住居や庭は童話の世界のように仕立てられ、阿里子は19歳の娘・千恵子にも登場人物のニッケル姫の扮装をさせていた。帝一はこの家にずっと住みたいと阿里子に言い出した。阿里子は、の世界で生きる帝一の無垢な心に惹かれる。
ユーカリ少年は不思議なからやって来て、密林に落ち、犬のマフマフを従え、ジャングルをかきわけへと進む。しかしマフマフは海賊たちの捕虜となる。ユーカリ少年は薔薇短剣で海賊たちを退治し、マフマフを救い出す。そして船の帆をあげ、自分が王様となる王国に向けて航海を始める。そんな童話のストーリーを逆手にとり、額間は自分が「薔薇の短剣」を持っていることをちらつかせ、帝一を制していた。その短剣は額間が特注で作らせた、美しい薔薇の彫刻とルビーをはめ込んだものだった。「薔薇の短剣」の威力を恐れる帝一は、額間に逆らうことができなかった。帝一は仕方なく楓邸をあとにし、阿里子は帝一との別れを惜しみつつ、各地の子供たちへの童話講演の旅に出るため家を出た。
阿里子には重政という45歳の夫がいた。しかしこの結婚は恋愛結婚ではなかった。20年前の夏の夜、重政とその弟・重巳は、当時女学生だった阿里子を公園の裏山に誘い、重政が無理矢理に強姦したのだった。翌日、犯行現場を見に行った重政は、その公園のベンチで彼が来るのを待っている幽霊のような阿里子を見て驚いた。しかし重政は今まで見たことがないほどの、その聖らかな女の顔を見て、阿里子に恋をしたのだった。純潔を失った阿里子は、自分の純潔の絶対の誇りを守るために、重政と結婚した。そして結婚当夜、阿里子はきっぱりと重政を拒み、その後もずっと二人の間には肉体関係がなかった。娘の千恵子は、ただ一度だけ重政に犯された時にできた子であった。阿里子は、ひたすら童話の創作に情熱を傾け、重政が何人も女を作ろうと全く意に介さない様子だった。そして重政は、何の嫉妬羞恥軽蔑も示さないそんな阿里子を聖女として崇め、愛していたのだった。

第2幕 - 楓邸の居間。

額間をまいた帝一は東京駅にいた阿里子にしがみつき、再び楓邸に戻って来た。逆らったため額間に殺されると怯える帝一を放っておけない阿里子は彼を匿った。千恵子は、帝一が「薔薇の短剣」を持てば帰るだろうと思い、額間から色仕掛けで短剣を奪い取り、帝一に渡してやった。しかし帝一は、この家にずっと住むと言い、阿里子もそれを許可した。二人は意気投合し、お互いに愛情を抱き恋人同士のようになっていた。帝一は夢中で王国に向けての冒険の話をし、希望に燃えた。しかし重巳が帝一の寝ている隙に薔薇の短剣を奪うと、帝一は再び額間におびえ出した。みんな敵だ、海賊だと言う帝一に、阿里子は、「勇気を出して」と彼を励ました。しかし帝一は、「僕は一つだけ嘘をついてたんだよ。王国なんてなかったんだよ」と言う。

第3幕 - 楓邸の同じ部屋での大食卓。

食事中にも阿里子は帝一を励まし、短剣を奪う勇気を与えようとした。なかなか短剣を奪えないでいる時、阿里子の童話ファンで楓邸の庭掃除などの奉仕をしていた老人・勘次と定代の幽霊が現われた。彼らは帝一の加勢をし、薔薇の短剣が帝一の手に戻った。額間や重政らをみんな追い出した帝一と阿里子は、勘次と定代の幽霊に薔薇の宝石の冠をかぶせられ結婚式をあげた。童話の世界の犬のマフマフや本物のニッケル姫も現われ、二人を祝福した。「僕たちはを見ているんじゃないだろうね」と言う帝一の問いかけに対し、阿里子は、「大丈夫よ。私に委せておおきなさい。たとえあなたの見ているものが夢だとしても」と言い、きっぱりと、「私は決して夢なんぞ見たことはありません」と宣言する。

作品評価・解釈

『薔薇と海賊』は週刊読売新劇賞を受賞しているが、他の三島の戯曲に比べると相対的に論究自体が少ない作品である。

奥野健男は、「の創造者」が「美そのものになり得るか」というテーマが、場違いなところで「ひとりよがり」に出されていると辛口の評価をし[13]山本健吉は、童話の世界と現実の世界の「大時代的な会話」が交錯するレトリックを生み出す三島の機智が、「夜空の花火のように」ひらめいていると讃辞している[14]

埴谷雄高は、「さながら原子核のごとき微小な現実の一点をとらえて凸レンズの彼方にこれ程拡大して見せた鮮やかな新しさを敢えて祝したい」と述べている[15]。日下令光は、「目覚めた人間楓の幕切れのセリフは三島ドラマのすごみをきかせてたのしい」と評し[16]、(川)の著名のある日本経済新聞評は、「肉体性を奪われることでしか純潔な愛は成り立たないかと問うような作者の主題がドキッとさせるような鋭さで浮かび上がってくる」と論評している[17]

おもな舞台公演

おもな刊行本

  • 『薔薇と海賊』(新潮社、1958年5月30日)
    • 装幀:藤野一友。紙装。黄色帯。帯に「文学座七月公演」とある。
  • 文庫版『熱帯樹』(新潮文庫、1986年2月25日)
    • カバー装幀:司修。付録・自作解題:三島由紀夫
    • 収録作品:「熱帯樹」「薔薇と海賊」「白蟻の巣

脚注

注釈

  1. ^ 同時受賞は、花田清輝『泥棒論語』であった[6]

出典

  1. ^ a b c 「『薔薇と海賊』について」(文学座プログラム 1958年7月)。文庫 & 1986-02, pp. 301–302、30巻 & 2003-05, pp. 320–321
  2. ^ 井上隆史「作品目録」(42巻 & 2005-08, pp. 377–462)
  3. ^ 山中剛史「著書目録――目次」(42巻 & 2005-08, pp. 540–561)
  4. ^ 山中剛史「上演作品目録」(42巻 & 2005-08, pp. 731–858)
  5. ^ 鈴木晴夫「薔薇と海賊」(旧事典 & 1976-01, pp. 323–324)
  6. ^ 「年譜 昭和33年12月11日」(42巻 & 2005-08, p. 225)
  7. ^ みなもとごろう「薔薇と海賊」(事典 & 2000-11, pp. 293–295)
  8. ^ 中山仁「三島戯曲を演じる」(研究8 & 2010-02)、同時代 & 2011-05
  9. ^ a b c 「夏のある日」(英子 & 2007-10, pp. 112–123)
  10. ^ 「第六章」(梓 & 1996-11, pp. 206–232)
  11. ^ 「あとがき」(『薔薇と海賊』新潮社、1958年5月)。文庫 & 1986-02, pp. 299–301、30巻 & 2003-05, pp. 248–249
  12. ^ 「薔薇と海賊について」(毎日マンスリー 1958年4月号)。文庫 & 1986-02, pp. 298–299、30巻 & 2003-05, pp. 246–247
  13. ^ 奥野健男「新劇評・薔薇と海賊」(新劇 1958年9月号)。旧事典 & 1976-01, p. 324、事典 & 2000-11, p. 294
  14. ^ 山本健吉「劇評・薔薇と海賊」(芸術新潮 1958年9月号)。事典 & 2000-11, p. 295
  15. ^ 埴谷雄高「現実と観念の対照」(東京新聞夕刊 1958年4月26日号)。事典 & 2000-11, p. 294
  16. ^ 日下令光「成功したロマン劇」(毎日新聞 1958年7月14日号)。事典 & 2000-11, p. 294
  17. ^ (川)の著名の「劇評」(日本経済新聞夕刊 1958年7月15日号)。事典 & 2000-11, p. 294

参考文献

  • 『決定版 三島由紀夫全集23巻 戯曲3』新潮社、2002年10月。ISBN 978-4106425639 
  • 『決定版 三島由紀夫全集30巻 評論5』新潮社、2003年5月。ISBN 978-4106425707 
  • 『決定版 三島由紀夫全集42巻 年譜・書誌』新潮社、2005年8月。ISBN 978-4106425820 
  • 三島由紀夫『熱帯樹新潮文庫、1986年2月。ISBN 978-4101050362 
  • 井上隆史; 佐藤秀明; 松本徹 編『三島由紀夫事典』勉誠出版、2000年11月。ISBN 978-4585060185 
  • 井上隆史; 佐藤秀明; 松本徹 編『三島由紀夫・英霊の聲』鼎書房〈三島由紀夫研究8〉、2010年2月。ISBN 978-4907846640 
  • 井上隆史; 佐藤秀明; 松本徹 編『同時代の証言三島由紀夫』鼎書房、2011年5月。ISBN 978-4907846770 
  • 長谷川泉; 武田勝彦 編『三島由紀夫事典』明治書院、1976年1月。NCID BN01686605 
  • 平岡梓『伜・三島由紀夫』文春文庫、1996年11月。ISBN 978-4167162047  - ハードカバー版は1972年5月 NCID BN04224118。雑誌『諸君!』1971年12月号-1972年4月号に連載されたもの。
  • 村松英子『三島由紀夫 追想のうた ――女優として育てられて』阪急コミュニケーションズ、2007年10月。ISBN 978-4484072050