憂国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
憂国 映画版
Patriotism(film)
著者 三島由紀夫
発行日 1966年4月10日
発行元 新潮社
ジャンル 小説、撮影台本スチール写真
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本 クロス装 ビニールカバー
ページ数 138
Portal.svg ウィキポータル 文学

Portal.svg ウィキポータル 映画

Portal.svg ウィキポータル 舞台芸術
テンプレートを表示

憂国』(ゆうこく)は、三島由紀夫短編小説1961年(昭和36年)1月、雑誌「小説中央公論」3号・冬季号に掲載され、同年1月30日に新潮社より、短編集『スタア』に収録され刊行された。二・二六事件の外伝的作品である。

のちに本作は、1966年(昭和41年)6月に河出書房新社より刊行された『英霊の聲』にも収録され、戯曲『十日の菊』と共に二・二六事件三部作として纏められた。現行版は河出文庫で重版されている。また、1968年(昭和43年)9月には新潮文庫の『花ざかりの森・憂国』も刊行され、現在まで重版され続けている。

1965年(昭和40年)4月には、自身が製作・監督主演・脚色・美術を務めた映画『憂国』が製作され、翌年1966年(昭和41年)1月、ツール国際短編映画祭劇映画部門第2位となる。日本での一般公開は同年4月からなされ、話題を呼びヒットした。また同時に映画の製作過程・写真などを収録した『憂国 映画版』も新潮社より刊行された。

目次

あらすじ [編集]

昭和11年2月28日、二・二六事件で決起をした親友たちを叛乱軍として勅命によって討たざるをえない状況に立たされた近衛歩兵一聯隊勤務の武山信二中尉は懊悩の末、自死を選びことを新婚の妻・麗子に伝える。すでに、どんなことになろうと夫の跡を追う覚悟ができていた麗子はたじろがず、共に死を選ぶことを決意する。そして死までの短い間、夫と共に濃密な最期の営みの時を過ごす。そして、二人で身支度を整え遺書を書いた後、夫の切腹に立会い、自らも咽喉を切り跡を追う。

登場人物 [編集]

武山信二
30歳。近衛歩兵一聯隊勤務の中尉。凛々しい顔立ちで、濃い眉の美男。四谷区青葉町6に新婚の妻と居住。
麗子
23歳。信二の妻。やさしい眉の下のつぶらな目、ほっそりとした形のよい鼻、ふくよかな唇。艶やかさと高貴とがある美女。

作品評価・解説 [編集]

洗練された構成と、「大きな鉢に満々と湛(たた)へられた乳のやうで」といった、肌の白さ(妻の肌の美しさ)を表す表現などの優れた描写により、短編ながら完成度の高い作品となっている。三島自身も、「もし、忙しい人が、三島の小説の中から一編だけ、三島のよいところ悪いところすべてを凝縮したエキスのやうな小説を読みたいと求めたら、『憂国』の一編をよんでもらえばよい」[1]と述べている。

本作のねらいについて三島は、「日本人のエロースが死といかにして結びつくか、しかも一定の追ひ詰められた政治的状況において、正義に、あるひはその政治的状況に殉じるために、エロースがいかに最高度の形をとるか、そこに主眼があつた」と述べている。また、青年将校や、その妻については、「彼はただ軍人、ただ大義に殉ずるもの、ただモラルのために献身するもの、ただ純粋無垢な軍人精神の権化でなければならなかつた」、「彼女こそ、まさに昭和十年代の平凡な陸軍中尉が自分の妻こそは世界一の美人だと思ふやうな、素朴であり、女らしく、しかも情熱をうちに秘めた女性でなければならなかつた」[2][3]と述べている。

『憂国』は60年安保の翌年の1961年(昭和36年)に発表され、この作品で三島は、「戦後精神に対する拒絶の姿勢をはっきり表に出したのである。それまでは嫌々ながらも、戦後の日常生活との“軽薄な交際”をつづけ、否定しながらそこから何らかの利得をえて暮してきた。しかし、(『憂国』以降は)反時代的情熱を顕わに示す一連の作品が次々を発表される。そこではしばしば、思想に殉じて死ぬ人間の至上の美しさが主題となる」と伊藤勝彦は述べている。そして、本作は思想そのものを扱った作品というより、「“死にいたるまでの生の称揚”(バタイユ)としてのエロティシズムの美が描かれている」[4]と述べている。

江藤淳は、「この短編はおそらく三島氏の数ある作品のなかでも秀作のひとつに数えられるものであろう。(中略)“帝国陸軍叛乱という政治的非常時の頂点を、“政治”の側面からではなく、“エロティシズム”の側面からとらえたという、三島氏のアイロニイ構成の意図は、ここで見事に成功している」[5]と述べている。

磯田光一は、「鴎外以来、“義”のための殉教をこれだけの密度をもって描き出した作品はないだろう」[6]と述べ、「死のリアリティの問題を、第三者の心への反応としてではなく、直接に死を選ぶ者の内側に入って描いた」作品として評価し、バタイユへの共鳴があることを指摘している[7]

鎌田広巳は、三島が『憂国』執筆前に書いたバタイユ著「エロティシズム」の書評[8]に触れながら『憂国』との関係を論じ、「ここで三島は、生殖=連続性=死をこの思想の核心をして捉えているばかりではなく、非連続性な生および生活の解体という、そのラディカルな作用の可能性に着目している。三島がバタイユに“共感”を寄せる、大きな理由の一つは、この思想の核心に、“われわれの生”の限定性(三島によれば、それは同時に非連続性を超えることができない主知主義の限界でもあるのだが)を打ち破る、新たな原理的な可能性を見いだしていることにある」[9]と述べている。

佐々木幸綱は、武山中尉の家の1階には日常があり、2階には非日常があると分析し、「反発する両極を引き寄せる何か、それは“絶対”的な力を持った何かでなければならない。三島はその“絶対”的な力を持つ何かとして片恋を想定した。天皇への片恋、妻への片恋、さらには状況への片恋。強烈な意志的な片恋の前には極という“絶対”も相対化されるのである。片恋を貫き通すことさえできるならば、そこでは、生も死も、男も女も、肉体も精神も、永遠の瞬間も、政治も性も、公も私も、非日常も日常も、清潔も猥せつも、静も動も、炎も雪も、主観的に重ね合わせることが可能である」[10]と論考している。

映画化 [編集]

『憂国』(東宝日本ATG) 1966年(昭和41年)4月12日封切。モノクロ 28分。

※ 1966年(昭和41年)1月、ツール国際短編映画祭出品。劇映画部門第2位受賞。
※ 東宝+日本ATG共同配給は6月15日より。
※ 写真集・撮影台本:『憂国 映画版』(新潮社、1966年4月10日)-古書値は非常に高価。

キャスト [編集]

スタッフ [編集]

映画評価 [編集]

  • 「ヌーヴェル・レプブリック」紙のベルナアル・アーメルは、「これは悲劇、それは真実な、短い、兇暴な悲劇である。そしてこの作品は、近代化された『能』形式の下に、ギリシア悲劇の持つ或るものを、永遠の詩を、すなわち愛と死をその中にはらんでいるのである。(中略)(伴奏の)ワグナー(『トリスタンとイゾルデ』)はこの日本の影像(イメージ)に最も深く調和している。そしてこの日本の影像の持つ、肉惑的であると同時に宗教的なリズムは、西洋のこれまでに創り得たもっとも美しい至福の歌の持つ旋律構成に、すこぶる密接に癒着しているのである」と評価し、『憂国』はツール国際短編映画祭劇映画部門第2位となった[2][3]
  • また、フランスの一般の観客から、「良人が切腹している間、妻がいうにいわれない悲痛な表情でそれを見守りながら、しかも、その良人のはげしい苦痛を自分がわかつことができないという悲しみにひしがれている姿が最も感動的であった」と言われ、三島は感動したと述べている[2][3]
  • 澁澤龍彦は、「三島氏はこの映画で、日本人の集合的無意識の奥底によどんでいるどろどろした欲望に、映像として明確な形をあたえ、人間の肉のけいれんとしてのオルガスムを、エロティシズムと死の両面から二重写しに描き出した」[13]と評価している。
  • 安部公房は、小説『憂国』を支えていた精緻な均衡とくらべ、映画のほうは、なにかひどく安定に欠けたところがあったが、むしろその不安定さのもつ緊張感にひきつけられたと述べ、「その不安定さは、もしかすると、作者が映画を完全には信じていないところからくるものだったかもしれない。信じていないからこそ作者があれほど前面に押し出されて来てしまったのだろう。作者が主役を演じているというようなことではなく、あの作品全体が、まさに作者自身の分身なのだ。自己の作品化をするのが、私小説作家だとすれば、三島由紀夫は逆に作品に、自己を転位させようとしたのかもしれない。むろんそんなことは不可能だ。作者と作品とは、もともとポジネガの関係にあり、両方を完全に一致させてしまえば、相互に打ち消しあって、無がのこるだけである。そんなことを三島由紀夫が知らないわけがない。知っていながらあえてその不可能に挑戦したのだろう。なんという傲慢な、そして逆説的な挑戦であることか。ぼくに、羨望に近い共感を感じさせたのも、恐らくその不敵な野望のせいだったに違いない。いずれにしても、単なる作品評などでは片付けてしまえない、大きな問題をはらんでいる。作家の姿勢として、ともかくぼくは脱帽を惜しまない」[14]と述べている。

エピソード [編集]

  • 2005年(平成17年)8月、それまで現存しないと言われた『憂国』のネガフィルムが、三島の自宅(現在は長男平岡威一郎邸)で発見されたことが報じられ、話題を呼んだ。映画『憂国』は、後の自決を予感させるような切腹シーンがあるため、瑤子夫人は同作品を忌避し、三島の死の後の1971年(昭和46年)に、瑤子夫人の要請により上映用フィルムは焼却処分されたものの、共同製作者・藤井浩明の「ネガフィルムだけはどうか残しておいてほしい」という要望で、瑤子夫人が自宅に密かに保存していたものであった。茶箱の中に、ネガフィルムのほか、映画『憂国』に関するすべての資料が数個のケースにきちんと分類され収められていた。ネガフィルムの存在を半ば諦めていた藤井浩明はそれを発見したとき、「そこには御主人(三島)に対する愛情と尊敬がこめられていた。ふるえるほどの感動に私は立ちつくしていた」[15]と語った。これらネガフィルムや資料は1995年(平成7年)に夫人が死去した数年後に発見されたという。映画DVDは2006年(平成18年)4月に東宝で販売された。また同時期に、新潮社の『決定版 三島由紀夫全集別巻・映画「憂国」』にも、DVDと写真解説が所収された。
  • 三島が有名な作家であることから、周りの映画評論家たちが賛辞ばかりを贈るなか、『薔薇族』の表紙絵を描いていた大川辰次が率直な感想を雑誌に書いたところ、三島から面会を求められ、意気投合。付き合いを重ねるうち、三島が大川のことを「親父」と呼ぶまでの仲になったという(『薔薇族』編集長伊藤文学談)[16]

舞台化 [編集]

おもな刊行年 [編集]

脚注 [編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 自選短編集『花ざかりの森・憂国』付録解説(新潮文庫、1968年。改版1992年)
  2. ^ a b c 三島由紀夫「製作意図及び経過」(『憂国 映画版』)(新潮社、1966年)
  3. ^ a b c 『決定版 三島由紀夫全集第34巻・評論9』(新潮社、2003年)に所収。
  4. ^ 伊藤勝彦『最後のロマンティーク 三島由紀夫』(新曜社、2006年)
  5. ^ 江藤淳「エロスと政治の作品」(『文芸時評・下』)(朝日新聞 1960年12月20日に掲載)。江藤淳『全文芸時評』上巻(新潮社、1989年)に所収。
  6. ^ 磯田光一『殉教の美学』(文學界 1964年2-4月号に掲載)。磯田光一『殉教の美学―三島由紀夫論』(冬樹社、1964年)で刊行。
  7. ^ 磯田光一「解説」(『日本文学全集27・三島由紀夫』)(河出書房、1967年)
  8. ^ 三島由紀夫『「エロチシズム」―ジョルジュ・バタイユ室淳介訳』(声 1960年4月号に掲載)
  9. ^ 鎌田広巳『「憂国」およびその自評について―エロティシズムのゆくえ―』(国文学研究ノート第22号、1988年)。佐藤秀明編『三島由紀夫・美とエロスの論理』(有精堂、1991年)に所収。
  10. ^ 佐々木幸綱『在る筈のない〈絶対〉へ―「憂国」について』(ユリイカ 1976年10月号に掲載)
  11. ^ 市川雷蔵の仕事仲間でもあった。
  12. ^ 著書に『回想 回転扉の三島由紀夫』(文春新書、2005年11月)がある。
  13. ^ 澁澤龍彦『戦りつすべき映画の詩』(東京新聞・夕刊 1966年3月22日に掲載)
  14. ^ 安部公房『“三島美学”の傲慢な挑戦―映画「憂国」のはらむ問題は何か』(週刊読書人 1966年5月2日号に掲載)
  15. ^ 藤井浩明「映画『憂国』の歩んだ道」(『決定版 三島由紀夫全集別巻・映画「憂国」』ブックレット内)(新潮社、2006年)
  16. ^ http://www.youtube.com/watch?v=YQS_sjVKXzU

参考文献 [編集]

  • 自選短編集『花ざかりの森・憂国』付録解説(新潮文庫、1968年。改版1992年)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第20巻・短編6』(新潮社、2002年)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第24巻・戯曲4』(新潮社、2002年) - 撮影台本「憂国」(『憂国 映画版』)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第34巻・評論9』(新潮社、2003年) - 「製作意図及び経過」(『憂国 映画版』)
  • 『決定版 三島由紀夫全集別巻・映画「憂国」』(新潮社、2006年) - DVDとブックレット(写真解説などを収む)
  • 『三島由紀夫論集II 三島由紀夫の表現』)(勉誠出版、2001年)

関連項目 [編集]