仮面の告白

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仮面の告白
Confessions of a Mask
著者 三島由紀夫
イラスト 猪熊弦一郎
発行日 1949年7月5日
発行元 河出書房
ジャンル 小説
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本 紙装
ページ数 279
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仮面の告白』(かめんのこくはく)は、三島由紀夫の2作目の長編小説。三島の自伝的作品で、輝かしい成功をおさめた代表的作品の一つである[1]1949年(昭和24年)7月5日に初の書き下ろしとして河出書房より刊行された。なお、この時の担当編集者は坂本龍一の父・坂本一亀である。

刊行同年12月26日付の読売新聞の「1949年読売ベスト・スリー」に、選考員10名中、平野謙川端康成福田恆存伊藤整青野季吉丹羽文雄ら6名の推薦を受けて選ばれた。翌年1950年(昭和25年)7月には、福田恒存の解説を入れた文庫本(三島作品最初の文庫版)が新潮文庫より刊行され、以来半世紀を越え、数度の改版を経て絶えず重刷されている。また、1996年(平成8年)6月には、初版本完全復刻版『仮面の告白』も河出書房新社より刊行された。翻訳版は1958年(昭和33年)のメレディス・ウェザビー訳(英題:Confessions of a Mask)をはじめ、世界各国で行われている。

概要[編集]

作者その人を主人公とし、「私」による一人称告白体の形式による告白小説の体裁をとった作品で、「私」の生まれたときから23歳までの青年期の「ヰタ・セクスアリスラテン語で性欲的生活を意味するvita sexualis)」が描かれている。前半は自己分析による性的倒錯の研究に費やされ、後半は『アルマンス』的恋愛の告白と永い悔恨の叙述に宛てられている[2]。なお、『アルマンス』とは性的不能者の絶望的な恋愛を描いたスタンダールの小説である。

時代は、1925年(大正14年)から、敗戦をはさんで1948年(昭和23年)までの間で、「私」の生い立ち、祖母を中心とした家族との関わり、粗野な学友に対するに同性愛的思慕、友人の妹との恋愛と結婚への逡巡などの出来事が、第二次世界大戦期、戦後期の時代背景の中に描かれ、通常の人とは異なる「私」の性的傾向を赤裸々に告白し、そのために悩み傷つき苦しむ自分を、冷静に分析し論理的な文章で綴った小説である。当時、同性愛というテーマを扱ったことはセンセーショナルな話題を呼び、この作品により三島由紀夫は一躍、20代半ばで著名作家となった。

三島は自作について次のように述べている。

「仮面の告白」といふ一見矛盾した題名は、私といふ一人物にとつては仮面は肉つきの面であり、さういふ肉つきの仮面の告白にまして真実な告白はありえないといふ逆説からである。人は決して告白をなしうるものではない。ただ稀に、肉に深く喰ひ入つた仮面だけがそれを成就する。

作者の言葉[2]

なお、エピグラフでは、ドストエフスキの『カラマーゾフの兄弟』第3編・第3の「熱烈なる心の懺悔 ― 詩」の文章を引用している。

作品背景[編集]

作中に登場するの「草野園子」のモデルは、三島の友人の三谷信の妹・三谷邦子で、実際の初恋の相手である。三島は知人に送った手紙の中で、「彼女のことを書かないでゐたら、生きてゐられなかつた」[3]と書き綴っている。また、「近江」のモデルは、三島のクラスに落第してきた4、5歳年上の不良少年で皆から「ブラ」という渾名で呼ばれ、三島はその少年を英雄視し、粗野なふるまいの中に優しさや美を見出していた[4]

冒頭で言及される「出生の記憶」も、学習院初等科から同級生であった三谷信によると、三島は入学間もない頃、クラスメートに、「産まれた時のことを覚えている」と話し、それを聞いた子と三谷が驚き合ったという[5]

あらすじ[編集]

特殊な育ち方をした「私」には、いくつもの幼年時代の奇妙なエピソードがある。「私」は生まれた時の光景を憶えていた。午後9時に生まれたにもかかわらず、産湯ののふちに射していた日光を憶えている。小さな赤ん坊のうちに、祖母は若い母から「私」を取り上げ、坐骨神経痛で病む部屋で我がままに溺愛して育てた。外で遊ぶことを禁じ、男の子の玩具や動き回る遊びも禁じた。

幼年時に見た異様な光景の記憶を「私」は反復する。その一つは坂道を下りて来る血色のよい美しい頬の汚穢屋(糞尿汲取人)の若者である。「私」は彼に惹かれ、「私が彼になりたい」と切実に思った。二つ目は、絵本で見たジャンヌ・ダルクに惹かれた。しかし「彼」が女だと知って落胆した。もう一つは、家の前を通る兵士の汗の匂いである。それは私を駆り立て、憧れをそそり、私を支配した。それら官能的な感覚をそそるものは、何か「悲劇的」なものを帯びていた。「私」は殺される王子を愛し、殺される自分を想像すると恍惚とした気分になった。クレオパトラ松旭斎天勝の扮装も「私」を魅した。

13歳の時、グイド・レーニの「聖セバスチャン」の絵に強い衝撃を受け、初めての「ejaclatio」(射精)を体験する。「悪習」の始まりだった。間もなく、逞しい級友の近江に恋をする。鉄棒で懸垂をする近江の脇に茂る豊饒な体毛に圧倒されるのだが、なぜか、この恋を諦めざるをえない嫉妬の感情も同時に覚える。「私」には愛する相手に似たいという強い願望があったのである。そして血を流し死んでゆく与太者水夫兵士漁夫に「私」の愛は向かっていた。そういう嗜好が友人たちとは大きく隔たっていることに気づき、「私」は苦悩する。

大学生になった「私」は、友人の草野の家で、下手なピアノの音を聞いた。それは草野の妹が弾くピアノだった。やがて、「私」は召集令状を受け取るが、軍医の誤診で即日帰郷となった。特別幹部候補生で入隊した友人の草野の面会に行くことになり、駅で草野の家族を待っていると、彼の妹の園子がプラットフォームに下りて来るのを見て、その清楚な美しさに、かつてないほどに胸が高鳴った。彼女は肉体としての女ではなかった。この一泊の小旅行で「私」は園子を、肉の欲望をもたずに愛していることだけは強く感じた。本を貸し借りする付き合いが始まり、園子も「私」に好意を持ち始める。

学徒動員海軍工廠にいる「私」と、空襲の危険を避けて一家で疎開した園子との手紙のやり取りが続いた。距離が隔たっていることと、空襲の危機とで、「私」は無理なく「正常」な恋人の気分になれた。園子の家からの誘いに応じて、疎開先を訪れた「私」は、以前からの懸念であった接吻を試みる。しかし「私」には何の快感もない。すべてが分かったという気持ちになり、「私」はやはり異常なのだと深く傷つく。彼女に相応しくない「私」は園子から逃げなければと思った。その後、草野の家から結婚の申し出の手紙が来て、「私」は婉曲な断りの返事を出してしまう。「私」はただ生まれ変わりたいと願っていた。そして終戦が来る。

間もなく園子は他の男と結婚した。私は自分に向かってはしゃいでみせた。彼女が「私」を捨てたのではなく、「私」が彼女を捨てた当然の結果だと。「私」は友人に誘われ娼家に行ってみたものの、不可能が確定するだけだった。「お前は人間ではないのだ。お前は人交わりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生物だ」という苦しみが訪れる。あるとき偶然、他家に嫁いだ園子に出会ってしまい、以来、また度々二人だけで逢うようになる。彼女への肉慾はないのに、「逢いたい」という欲求はどういうものか「私」は訝る。肉の欲求にまったく根ざさぬ恋などというものがありえようか? それは明々白々な背理(論理に反すること)ではなかろうか。しかしまた「私」は思うのである。人間の情熱があらゆる背理の上に立つ力をもつとすれば、情熱それ自身の背理の上にだって、立つ力がないとは言い切れまいと。

プラトニックな関係のまま、人妻の園子と何度か逢い引き(密会)を重ねる。クリスチャンの家に育った園子の気持ちは揺れ始めていた。二人は真昼のダンスホールの中庭に出た。そして「私」の視線は、ある粗野な美しい肉体の刺青の若者に釘付けとなる。「私」は、彼が与太者仲間と乱闘になり、匕首に刺され血まみれになる姿を夢想した。しばし園子の存在を忘れて見入っていたとき、「あと5分だわ」という園子の哀切な声を聞いた。その瞬間、「私」のなかで何かが残酷な力で二つに引裂かれた。「私」という存在が何か一種のおそろしい「不在」に入れかわる刹那を見た。もう一度、若者のいる方へ視線を向けると、そこにはもう空っぽの椅子と、卓の上にこぼれた飲物が、ぎらぎらと凄まじい反射をあげていた。

文壇での反響[編集]

当時の反響は概ね良好で、瀬沼茂樹は、「自己苛虐的な自己嫌悪を漂わせながら逆に自己を誇示してみせるところに、凡庸でない才能がひらめいている」[6]と評し、神西清は、「聖セバスチャン」の場面について触れ、「ひろく世界文学を通じても珍らしい男性文学(あるひは一そう端的に牡の文学といつてもいい)の絶品」[7]と高い評価をしている。

北原武夫林房雄中野好夫らも、批判点を挙げつつも、「このくらいになると面白い」[8]と総評し、本多秋五は、『物語戦後文学史』で、「三島は、戦後文学の第四年目に『仮面の告白』を発表するにおよんで、はじめて否定できぬ特異な才能として文壇の評価をえたのである」[9]と記している。

その中でも特に高評価をしている花田清輝は、新人の三島について、「かれは、全然、あたらしいのだ。そうして、ここから、ようやく、文学の領域において、半世紀遅れ、日本の二十世紀がはじまるのである」[10]と述べ、「透明な論理的抒情」と、本作を絶賛し、「仮面は懺悔聴聞僧(confessor)を眼中におき、おのれの顔をかくすためにとりあげられているのではなく、逆におのれの顔をあきらかにするために――ほとんど他人の視線など問題にせず、いわば、仮説としてとりあげられているのである」と解説し、そこでは、きれいに肉体が喪失されており、「仮面は、かれの肉体を探がしだすための道具になっている」[10]と述べている。

また何かと異端視される性的倒錯については、発表当時から、「同性愛サディズムの世界を書くつもりでいながらあくまで健康である」[11]と評する声もあり、荒正人は、「倒錯心理などみんながそれぞれもっているもので、異常心理でもなんでもなくむしろ生理的な現象なのでしょうが、温室で育った故か、雨風にいためつけられず、二十歳すぎまで保存されていたというだけのこと」[12]と述べ、青野季吉は、「この才能ある作家が解剖してみせるインポテンツの青年の心理には、正常な人間にも思ひ当る屈折が含まれてゐる」[13]と述べている。

作品評価・解説[編集]

田坂昮は、主人公が惹かれる「悲劇的なもの」に着目し、「『悲劇的なもの』への呼び声は、糞尿がその象徴であるところの、あの大地からの呼びかけであった。『根の母の悪意ある愛』が呼びかけたものであった」[14]と概略し、ニーチェが『悲劇の誕生』で説いた、“悲劇論”(ギリシア悲劇の根源にすえた“ディオニュソス的なもの”の世界)を想起させられたとし、とりわけ第1章の終りに描かれている夏祭の神輿の場面に、「最も濃厚な写し絵がみいだされる」[14]と述べている。そして作中の、「かれらの目は地上のものを見てゐるとも思はれなかつた」という部分の、かれら(神輿かつぎの若衆たち)の状態を、日常の現実界から断ち切られた“ディオニュソス的状態の狂喜”であるとし、「自然からの家出息子である人間」が「存在の母」への道に帰りゆくとき成就されるのは、このような「個体の破壊と根源存在との合一」であると解説している[14]

そして田坂昮は、三島がエピグラフで採用したドストエフスキーの句の主題との関連に言及し[14]、「理性の目と感情の目の全き対立。悪行(ソドム)の中の美。それはあの『根の母の悪意ある愛』の叫び声のなかに顕現する美ではないのか」と述べ、もし、「汚穢と神聖とが一身同体であるところの美」であるならば、その美は「悲劇的なもの」に住まうものであり、もっと強い意味では、美とは「悲劇的なもの」そのもののことになると解説し、そのような「美」と「悲劇的なもの」との同一性、「大地」「自然」からの叫び声による「悲劇的なもの」への誘いは、こうして「美」への誘いとなると論じている[14]。そして、ニーチェの言葉である、「世界の存在は美的現象としてのみ是認される」を引いて、「その根源にあるものは、あの“ディオニュソス的なもの”なのである。このことは、三島氏の美学の根源がニーチェ的悲劇論となにか共通するものにゆきつくことを意味している」[14]と解説し、『仮面の告白』をこのようにして読み解くと、「性的な意味を越えて存在論的意味がうかびあがってくる」[14]、「作品をつらぬく背骨は一個の存在の形而上学といえるだろう」[14]と述べている。

伊藤勝彦は、神西清が『仮面の告白』について、「前半はerectioejaculatioに満ちていて、男性的なみずみずしさに満ちているのに反し、後半、『私』が女の世界へ出ていってからは、作品としての無力と衰弱を示している」[7]と評していることに対し、この半ば定説化している神西論のこの部分は間違った解釈だと意義を唱え、「前半の昂揚があり、後半の沈静があるからこそ、この作品全体のバランスというか調和が成りたっている」とし、「ぼくには後半が実に興味深く思えるのだ。だからこそ、『仮面の告白』こそが三島の最高の傑作だと思うのである」[15]と評している。

杉本和弘は、これまであまり言及されてこなかった作品後半について、第三章の時日の記述が他の章よりも、日付や曜日まで明確になっている点や、イニシャルの地名が類推可能な点に触れ、他の前半の章の「朧化された時間の流れと場所」の中に置かれている第三章は、他の章に比べ、時間的にも場所的にも、明確な輪郭をもって浮かび上がってくると述べ[16]、第三章は、大部分を占める園子との物語も含めての戦時下の幸福だった“私”の物語としても読めるとし[16]、「夢想がそのまま現実であるような一種の高揚した気分の中で、戦時下という時代とともに生きていた、いわば、“私の人生”を生きていた“私”の物語とも言い得るのである」[16]と解説し、第三章が長い理由の一つはそこに起因しているかもしれないとしている[16]

そして杉本は、「第四章における、園子との交際の復活とその結果についての叙述は、第三章での園子との交際の物語は何であったのかと問い直しを迫るようなところがある」[16]とし、第四章では、女性への不能という確証を得てしまった悲痛と、その慰藉の欲求を語る中、園子に似た女性を見た後、園子との再会と交際の復活が叙述され、その物語は、第三章において、園子の体の女性的部分に欲望的とも言える視線を示す記述があったことから、「戦時下の“私”が非日常的、夢想的な気分の中にあったとされながらも、園子との交際が異様に熱を帯びたものとして叙述されていたことを、改めて浮かび上がらせてしまうところがある」[16]と述べ、慰藉として求められた第四章における園子との交際の物語は、「第三章に描かれた園子との交際が、ある意味で非常に幸福なものであったことを逆照射するのである」[16]と解説している。そして『仮面の告白』は、一面において、「園子との交際に代表される戦時下の時代を幸福な時代として追懐し、愛惜する物語にもなっている」[16]と論じている。

映画化[編集]

おもな刊行本[編集]

  • 『仮面の告白』(河出書房、1949年7月5日)
    カバー装幀:猪熊弦一郎。紙装。クリーム色帯。月報に三島の「仮面の告白」ノート。
  • 文庫版『仮面の告白』(新潮文庫、1950年6月25日。改版1967年、1987年、2003年)
    付録・解説:福田恆存
    ※ 改版1987年より、付録に佐伯彰一「人と文学」、注解(田中美代子)、年譜を付加。
    ※ 改版2003年より、カバーをギリシャ彫刻少年像に改装。
  • 初版本完全復刻版『仮面の告白』(河出書房新社、1996年6月25日)
    カバー装幀:猪熊弦一郎。紙装。機械函外函。
    ※ 奥付・カバー・表紙・ドビラ・月報・帯のすべてを復刻(ただし、用紙についてはできるだけ近い用紙を使用)。
    ※ 付録(無綴二つ折り8頁、写真2葉)として新たに、三島由紀夫「作者の言葉」、坂本一亀「『仮面の告白』のころ」、同時代評・神西清「仮面の告白と―三島由紀夫氏の近作」を付加。
  • 英文版『Confessions of a Mask』(訳:メレディス・ウェザビー)(New Directions、1958年6月。HarperCollins Publishers Ltd、1972年2月。他多数)

派生作品[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 松本徹『三島由紀夫を読み解く(NHKシリーズ NHKカルチャーラジオ・文学の世界)』(NHK出版、2010年)
  2. ^ a b 三島由紀夫『作者の言葉(「仮面の告白」)』(1949年1月13日付)(復刻版『仮面の告白』付録)(河出書房新社、1996年)
  3. ^ 三島由紀夫「蜷川親善への書簡」(1949年)。安藤武『三島由紀夫「日録」』(未知谷、1996年)120頁
  4. ^ 三島由紀夫『扮装狂』(1944年の回覧学芸冊子「曼荼羅」創刊号掲載予定だった随筆)(新潮臨時増刊「三島由紀夫没後30年」2000年11月号に掲載)
  5. ^ 三谷信『級友 三島由紀夫』(笠間書院、1985年。中公文庫、1999年)
  6. ^ 瀬沼茂樹『油がのつた四人の作家』(日本読書新聞 1949年11月30日号に掲載)
  7. ^ a b 神西清『仮面と告白と―三島由紀夫氏の近作』(人間 1949年10月号に掲載)
  8. ^ 北原武夫林房雄中野好夫「創作合評」(群像 1949年11月号に掲載)
  9. ^ 本多秋五『物語戦後文学史』(新潮社、1960年。岩波現代文庫、2005年)
  10. ^ a b 花田清輝聖セバスチャンの顔』(文藝 1950年1月号に掲載)
  11. ^ 無著名(図書新聞 1949年7月23日に掲載)
  12. ^ 荒正人『異常心理でない』(図書新聞 1949年7月23日に掲載)
  13. ^ 青野季吉『現代史としての文学』(中央公論 1950年1月号に掲載)
  14. ^ a b c d e f g h 田坂昮『増補 三島由紀夫論』(風濤社、1977年)
  15. ^ 伊藤勝彦『最後のロマンティーク 三島由紀夫』(新曜社、2006年)
  16. ^ a b c d e f g h 杉本和弘『「仮面の告白」論―園子との物語をめぐって―』(『三島由紀夫論集II 三島由紀夫の表現』)(勉誠出版、2001年)

参考文献[編集]

関連項目[編集]