豊饒の海

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豊饒の海
The Sea of Fertility
著者 三島由紀夫
イラスト 装幀:村上芳正(全巻共通)
カバー書:加屋霽堅(奔馬)
カバー画:三島瑤子(天人五衰)
発行日 1969年1月5日(春の雪)
1969年2月25日(奔馬)
1970年7月10日(暁の寺)
1971年2月25日(天人五衰)
発行元 新潮社
ジャンル 長編小説
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本 布装・貼函
ページ数 269(春の雪)、402(奔馬)、
341(暁の寺)、271(天人五衰)
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豊饒の海』(ほうじょうのうみ)は、三島由紀夫の最後の長編小説。『浜松中納言物語』を典拠とした転生の物語で[1]、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の全4巻から成る。最後に三島が目指した「世界解釈の小説」「究極の小説」である[1][2]。最終巻の入稿日に三島は、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地割腹自殺した(三島事件)。

第一巻は貴族の世界を舞台にした恋愛、第二巻は右翼的青年の行動、第三巻は唯識論を突き詰めようとする初老の男とタイ王室の官能的美女との係わり、第四巻は認識に憑かれた少年と老人の対立が描かれている。構成は、20歳で死ぬ若者が、次の巻の主人公に輪廻転生してゆくという流れとなり、仏教唯識思想、神道一霊四魂説、の「シテ」「ワキ」、春夏秋冬などの東洋伝統を踏まえた作品世界となっている。また様々な「仄めかし」が散見され、読み方によって多様な解釈可能な、に満ちた作品でもある[3]

〈豊饒の海〉とは、月の海の一つである「Mare Foecunditatis」(ラテン語名)の日本語訳で、〈月修寺〉のモデルとなった寺院は奈良市の「圓照寺」である。なお、最終巻の末尾と、三島の初刊行小説『花ざかりの森』の終り方との類似性がよく指摘されている[4][5]

発表経過[編集]

文芸雑誌新潮』に、先ず1965年(昭和40年)9月号から1967年(昭和42年)1月号にかけて『春の雪』が連載され、同年2月号から1968年(昭和43年)8月号にかけては『奔馬』、同年9月号から1970年(昭和45年)4月号にかけては『暁の寺』、同年7月号から1971年(昭和46年)1月号にかけては『天人五衰』が連載された。

単行本は、1969年(昭和44年)1月5日に『春の雪(豊饒の海・第一巻)』、同年2月25日に『奔馬(豊饒の海・第二巻)』、1970年(昭和45年)7月10日に『暁の寺(豊饒の海・第三巻)』、1971年(昭和46年)2月25日に『天人五衰(豊饒の海・第四巻)』が新潮社より刊行された。文庫版は各巻新潮文庫より刊行されている。翻訳版は、Michael Gallagher訳(英題:Spring Snow、Runaway Horses)、Cecilia Segawa Seigle、D.E. Saunders訳(英題:Temple of Dawn)、エドワード・G・サイデンステッカー訳(英題:The Decay of the Angel)をはじめ、世界各国で行われている。

作品成立・背景[編集]

執筆動機・構成[編集]

三島は1960年(昭和35年)頃から大長編を書きはじめなければならないと考え、19世紀以来の西欧の長編小説とは違う「全く別の存在理由のある大長編」、「世界解釈の小説」を目指して、『豊饒の海』を1965年(昭和40年)6月から書き始める[1]。壮途半ばで作家人生を病で終えた高見順の死も執筆に拍車をかけたとし[6]、その執筆動機を以下のように語っている[1]

私はやたらに時間を追つてつづく年代記的な長編には食傷してゐた。どこかで時間がジャンプし、個別の時間が個別の物語を形づくり、しかも全体が大きな円環をなすものがほしかつた。私は小説家になつて以来考へつづけてゐた「世界解釈の小説」を書きたかつたのである。幸ひにして私は日本人であり、幸ひにして輪廻の思想は身近にあつた。

三島由紀夫「『豊饒の海』について」[1]

そして、学習院時代の旧師の松尾聰の校注に成る『浜松中納言物語』に依拠した「転生がすべての筋を運ぶ小説」を四巻の構成にし[注釈 1]、「王朝風の恋愛小説」の第一巻は〈たわやめぶり(手弱女ぶり)〉あるいは〈和魂〉を、「激越な行動小説」の第二巻は〈ますらをぶり(益荒男ぶり)〉あるいは〈荒魂〉を、「エキゾチックな色彩的な心理小説」の第三巻は〈奇魂〉を、第四巻は「それの書かれるべき時点の事象をふんだんに取込んだ追跡小説」で〈幸魂〉へみちびかれてゆくものと三島は説明している[1]

ちなみに、1950年(昭和25年)の『禁色』の創作ノートにもすでに、「螺旋状の長さ、永劫回帰、輪廻の長さ、小説の反歴史性、転生譚」といった言葉が並び、『豊饒の海』を予告するような記載があり[1]、初期作品の『花ざかりの森』『中世』『煙草』などにも「前世」への言及が見られ、もともと三島には早くから転生への関心を抱いていた傾向が見られる[2]

〈豊饒の海〉の題は「月の海」の名のラテン語の訳語であるが、三島は、作品完成前に有人ロケット月面着陸が行わることに触れて、「人類がの荒涼たる実状に目ざめる時は、この小説の荒涼たる結末に接する時よりも早いにちがひない」と述べ[9]、題名は、「月のカラカラな嘘の海を暗示した題で、強ひていへば、宇宙的虚無感と豊かなのイメーヂとをダブらせたやうなもの」で、語の〈時は海なり〉の意味もあると説明している[10]

三島は、論理体系もない芸術宿命や限界に、大きな哲学の論理構造を持つ大乗仏教唯識の思想のような「人間を一歩一歩狂気に引きずりこむような、そういう哲学体系」を小説の中に反映させた長編を書き出したと述べ[11]、第二巻の連載中には、汎神論のような宗教の世界像のようなものを、「文学であれができたらなあ」という願望を示しながら以下のように語っている[12]

そういう世界包括的なものを文学で完全に図式化されちゃったら、だれも動かせないでしょう。日本だったら「源氏」がある意味でそうかもしれないし、宗教ではありませんけれども馬琴が一生懸命考えたことはそういうことじゃないか。仁義礼智忠信孝悌、ああいうものをもってきて、人間世界を完全にそういうふうに分類して、長い小説を書いて、そうして人間世界を全部解釈し尽くして死のうと思ったんでしょう。

三島由紀夫「対談・人間と文学」(中村光夫との対談)[12]

また、プルーストも『失われた時を求めて』を書くことで、「現実を終わらせようとした」とし、その理由を以下のように三島は述べている[12]

ことばというものは終わらせる機能しかない。はじめる機能などありはしない。表現されたときに何かが終わっちゃう。その覚悟がなかったら芸術家は表現しなければいい。一刻一刻に過ぎてゆくのをだれもとめることはできない。しかしことばが出たらとめられる。それが芸術作品でしょう。それをだんだん広めていけば、ああいうものをやりたいという意欲はわかる。現実を終わらせちゃうことですね。(中略)ことばというのは世界の安死術だと思いますね。鴎外の「高瀬舟」ではないけれども、ことばというのは安死術です。そうしなければ時が進行してゆくことに人間は耐えられない。

三島由紀夫「対談・人間と文学」(中村光夫との対談)[12]

こういった三島の創作動機を松本徹は、「小説」というものが出現して以来の、最長時間かつ国境を越えた広大な空間に展開させ、「この人間世界全体」を可能な限り覆い尽くし、その成り立ちと意味を解き明かして、「小説なるものの存立の意味を示す」という「究極の小説」を三島が目指し、さらに「日本語として全きもの」を企図したと解説している[2]

構想の変化[編集]

『豊饒の海』の「創作ノート」は23冊あるが、ごく初期の大まかな構想では「五巻」構成で、第一巻は〈夭折した天才の物語――芥川家モチーフ〉とあり、主人公を芥川龍之介のイメージにして、その長男次男らも想定に入れ、第二巻は〈行動家の物語――北一輝モチーフ、神兵隊事件のモチーフ〉、第三巻は〈女の物語――恋と官能―好色一代女〉、第四巻は〈外国の転生の物語〉、第五巻は〈転生と同時存在と二重人格ドッペルゲンゲルの物語――人類の普遍的相、人間性の相対主義、人間性の仮装舞踏会〉というものだった[13][14]

その後は「四巻」構成に変更され、第一巻『春の雪』は〈明治末年の西郷家と皇族の妃殿下候補との恋愛〉(実際にあったことではなく、三島の創作)で、西郷隆盛の実弟・西郷従道の一家が〈松枝家〉のモデルの一部となり、従道の次男・従徳の妻の実家である岩倉家(従道の息女・桜子の婚家でもある)が〈綾倉伯爵家〉のモデルの一部となる構想で固まり[13][14]、第二巻『奔馬』は血盟団事件が題材となる[13]。第三巻(五巻構成時の三巻と四巻の合体)は、〈タイの王室の女or戦後の女〉が死なずに生き延びて〈六十才になつた男と結婚し、子を生む〉とあり、その後の構想では、姫が〈聡子or第二巻の女とよく似た女とlesbian Love〉となり、本多は清顕の生まれ変わりの姫に恋するが〈レズビアン・ラブの失恋〉をするという流れに変化する[13][14]

また第三巻『暁の寺』執筆の期間、三島は「楯の会」と共に1969年(昭和44年)10月21日の国際反戦デーのデモの鎮圧のため、自衛隊治安出動直前の斬り込み隊として討死する可能性を見ていたため、第三巻は「未完」になるとも考えていた[15][14]。この時期に三島は川端康成宛てに、自分の身にもしものことがあった場合の「死後の家族の名誉」を護ってもらいたいという内容の手紙を送っている[16][17]。しかし自衛隊の治安出動はなされずに憲法9条改正の期待は潰え、「楯の会」の存在意義が見失われてしまった[18][14][19]。三島は、『暁の寺』を脱稿した時の気持ちを「いひしれぬ不快」と述べ、その完成によって「それまで浮遊してゐた二種の現実は確定せられ、一つの作品世界が完結し閉ぢられると共に、それまでの作品外の現実はすべてこの瞬間に紙屑になつた」とし、以下のように語っている[15]

私は本当のところ、それを紙屑にしたくなかつた。それは私にとつての貴重な現実であり人生であつた筈だ。しかしこの第三巻に携はつてゐた一年八ヶ月は、小休止と共に、二種の現実の対立・緊張の関係を失ひ、一方は作品に、一方は紙屑になつたのだつた。(中略)私はこの第三巻の終結部が嵐のやうに襲つて来たとき、ほとんど信じることができなかつた。それが完結することがないかもしれない、といふ現実のはうへ、私は賭けてゐたからである。(中略)しかしまだ一巻が残つてゐる。最終巻が残つてゐる。「この小説がすんだら」といふ言葉は、今の私にとつて最大のタブーだ。この小説が終つたあとの世界を、私は考へることができないからであり、その世界を想像することがイヤでもあり怖ろしいのである。

三島由紀夫「小説とは何か」[15]

第四巻『天人五衰』は、実際に発表された作品と、創作ノートで検討されていたものと大きな隔たりがあるが、これは事前に構成をはっきりと固めずに、終結部分を不確定の未来に委ねていたためで、何度も構想を練り直している[13][14]。一番初めの具体的な案は以下のようなものであった[13][14]

本多はすでに老境。その身辺に、いろいろ一、二、三巻の主人公らしき人物出没せるも、それらはすでに使命を終りたるものにて、贋物也。四巻を通じ、主人公を探索すれども見つからず。つひに七十八才で死せんとするとき、十八歳の少年現はれ、宛然、天使の如く、永遠青春に輝けり。(今までの主人公が解脱にいたつて、消失し、輪廻をのがれしとは考へられず。第三巻女主人公は悲惨なる死を遂げし也) この少年のしるしを見て本多はいたくよろこび、自己の解脱の契機をつかむ。思へば、この少年、この第一巻よりの少年はアラヤ識の権化、アラヤ識そのもの、本多の種子なるアラヤ識なりし也。本多死せんとして解脱に入る時、光明の空へ船出せんとする少年の姿、窓ごしに見ゆ。(バルタザールの死)[注釈 2]

三島由紀夫「『豊饒の海』創作ノート」[13]

これに関連する第四巻の構想では、本多が転生者を探すために新聞の人探し欄や私立探偵を使うなどし、聡子から手紙で「何を探してをられる?」と問われ、聡子を訪問した後に病に倒れて入院し、転生者の黒子がある若い〈電工の死〉(転落死)を窓越しに見て臨終を迎える大団円のプランが看取されている[13][14]。1968年(昭和43年)のインタビューでも、「ドス・パソスの有名な〈U・S・A〉みたいに、その時点の日本の現状にあるものをみなブチ込んで、アバンギャルド的なものにするつもりだ」と三島は述べている[7]。この〈若い電工〉という転生者の死が本多に救済をもたらすという構想は、第三巻の完成の「いひしれぬ不快」の後でも基本的には変わらなかったが、しかしその後第四巻の主題は〈の研究〉と変更され、〈天使の如く〉であった〈少年〉が、〈悪魔のやうな少年〉に変更されてゆく[13][14]

また当初、第四巻の完結は1971年(昭和46年)末になるであろうと三島は述べていたが[1]、実際の掲載終了は三島の自死三島事件)により当初の予定よりも約1年余り早まった。1970年(昭和45年)3月頃、三島は村松剛に、「『豊饒の海』第四巻の構想をすっかり変えなくてはならなくなった」と洩らしていたという[20]。なお、〈天人五衰〉の前に予定されていた第四巻の題名は〈月蝕〉だった[13]

主題・作品意義[編集]

最終巻の執筆が概ね出来上がっていた1970年(昭和45年)9月の時点で三島は、第三巻以降への流れについて、現世の人間が「これが極致だ」と思考したことが、第三巻で「空観、空」の方へ溶け込まされるとし[21]、その「残念無念」の感覚を設定するには、第一巻と第二巻を戦前に設定させて、第三巻で一度「空」が生じ、「それからあとはもう全部、現実世界というのはヒビが入ってしまう」流れとなり、それが次元は違うが、「現実世界の崩壊」を「戦後世界の空白」のメタファとなると解説し、以下のように語っている[21]

僕にとっても、戦後世界というのは、ほんとに信じられない、つまり、こんな空に近いものはないと思っているんです。ですから仏教の空の観念と、戦後に僕がもっている空の観念とがもしうまく適合すればいいんですけれどもね。小説としてはもう完全に下り坂になるわけです。そこからはもう「絶対」もなんにもない。

三島由紀夫「文学は空虚か」(武田泰淳との対談)[21]

そして三島は「空を支える情熱」は、信仰以外にはないとしつつ、信仰者や信仰になったら小説ではなくなるので、第四巻の主人公を「悪魔的」にしたとし、「空を支えるのが、空観という形で、悪魔の仕業のように考える」方法にしたと説明している[21]

また同時期に、「第四巻の幸魂は、甚だアイロニカルな幸魂で、(自意識の悪)が主題ですが、最後の本多の心境は、あるひは幸魂に近づいてゐるかもしれません。(中略)この全巻を外国の読者に読んでもらふとき、はじめて僕は一人の小説家とみとめられるであらうと、それだけがたのしみです」とドナルド・キーン宛てに三島は説明している[10]

自死の一週間前には、『豊饒の海』の主題と終局について三島は以下のように語っている。

絶対者に到達することを夢みて、夢みて、夢みるけれども、それはロマンティークであって、そこに到達できない。その到達不可能なものが芸術であり、到達可能なものが行動であるというふうに考えると、ちゃんと文武両道にまとまるんです。(中略)あの作品では絶対的一回的人生というものを、一人一人の主人公はおくっていくんですよね。それが最終的には唯識論哲学の大きな相対主義の中に溶かしこまれてしまって、いずれもニルヴァーナ涅槃)の中に入るという小説なんです。

三島由紀夫「三島由紀夫 最後の言葉」(古林尚との対談)[22]

ちなみに、恩師の清水文雄宛てへの最後の書簡では、「小生にとつては、これが終ることが世界の終りに他ならない」とし、以下のように述べている[23]

カンボジアバイヨン寺院のことを、かつて「癩王のテラス」といふ芝居に書きましたが、この小説こそ私にとつてのバイヨンでした。書いたあとで、一知半解の連中から、とやかく批評されることに小生は耐へられません。又、他の連中の好加減な小説と、一ト並べにされることにも耐へられません。いはば増上慢の限りでありませうが……。

三島由紀夫「清水文雄宛て書簡」(昭和45年11月17日付)[23]

第一巻・春の雪[編集]

執筆期間は1965年(昭和40年)6月から1966年(昭和41年)11月まで[24]

モデルとなる寺の取材のため、三島が初めて奈良県圓照寺に行った日は1965年(昭和40年)2月26日である[24]。松枝侯爵邸のモデル(環境および建築としての邸のモデル)は、西郷従道の邸宅で、この洋風建築は博物館明治村に保存されている[25]

三島は『春の雪』において、「会話のはしばしにまで、古い上流階級の言葉の再現」をしたとし、「あと十年もたてば、これらの言葉は全くの死語となるであらう」と述べ[25]、『春の雪』は、「『花ざかりの森』や『盗賊』の系列の延長線上にあるもの」としている[7]

あらすじ[編集]

時代は明治末から1914年(大正3年)早春まで。

勲功華族たる松枝侯爵の令息・松枝清顕は、出生時から貴族であることが約束され何不自由ない生活を送っていたが、流れるままの生活に何か蟠りを抱えていた。清顕は幼い頃に、堂上華族の綾倉家に預けられていた。本物の華族の優雅を身につけさせようという父の意向であった。
綾倉家の一人娘・綾倉聡子は清顕より2歳年上で何をやっても優れた優雅な令嬢である。そんな幼馴染の聡子は初恋のようでもあり、姉弟のように育てられた特別な存在であったが、自尊心の強い繊細な18歳の清顕にとって聡子は、うとましくも感じられる複雑な存在であった。聡子もいつからか清顕を恋い慕うようになっていたが、清顕は些細なことで聡子に子供扱いされたと思い、自尊心を傷つけられ、突き放したような態度をとるようになる。聡子は失望して洞院宮治典王殿下と婚約するが、清顕は、父が聡子の縁談話を話題にしても、早く嫁に行った方がよいという冷めた態度であった。しかし聡子は、清顕の想像を超えて清顕のことを深く愛していたのである。
いよいよ、洞院宮治典王殿下との婚姻の勅許が発せられた。清顕の中でにわかに聡子への恋情が高まってくる。皇族の婚約者となったことで聡子との恋が禁断と化したことから、日常生活からの脱却を夢見る清顕は、聡子付きの女中・蓼科を脅迫し、聡子と逢瀬を重ねることを要求し、聡子もこれを受け入れる。親友・本多繁邦の協力もあり密会は重ねられ、聡子は妊娠してしまう。中絶を聡子から拒否された蓼科が自殺未遂したことにより、清顕と聡子の関係が両家に知れ渡った。聡子は大阪の松枝侯爵の知り合いの医師の元で堕胎をさせられ、そのまま奈良門跡寺院「月修寺」で自ら髪を下ろし出家する。洞院宮治典王殿下との婚姻は聡子の精神疾患を理由に取り下げを願い出た。
清顕は聡子に一目会おうと春のの降る2月26日に月修寺に行くが門前払いで会えない。なおも清顕は聡子との面会を希望するが、聡子は拒絶する。そして、雪中で待ち続けたことが原因で肺炎をこじらせ、20歳の若さで亡くなる直前に、清顕は親友・本多繁邦に、「又、会ふぜ。きつと会ふ。滝の下で」と言い、転生しての再会を約束する。

登場人物[編集]

松枝清顕(18 - 20歳)
第一巻の主人公。松枝侯爵家の一人息子。祖父は明治維新の功臣。幼少期には堂上貴族の綾倉家に行儀見習いとして預けられていた。「又、会ふぜ。きつと会ふ。滝の下で」と本多に言い残し、20歳で夭折。
綾倉聡子(20 - 22歳)
羽林家綾倉伯爵家の一人娘。かつては清顕と姉弟のように育った。清顕より2歳年上。のちに月修寺に出家する。
本多繁邦(18 - 20歳)
清顕の親友。判事の父を持ち、法律の勉強をしている。清顕と聡子の逢引の手助けをする。全巻にわたって登場し、主人公の転生に居合わせる副主人公、あるいは主人公。このシリーズ全体のキーパーソン
松枝侯爵(41 - 43歳くらい)
清顕の父。新華族となり、由緒ある華族の綾倉家の雅にあこがれる。豪放な性格。
松枝侯爵夫人・都志子
清顕の母。現実的で鈍感な心性。
月修寺門跡(老年)
聡子の大伯母。松枝邸庭園の滝口で死んでいた黒犬を弔う。のちに出家を希望する聡子を迎え入れる。
松枝侯爵の母(老年)
清顕の祖母。邸内の離れに住んでいる。聡子を妊娠させた清顕に、宮様の許婚を孕ましたとは天晴れだね、さすが清顕はお祖父様の孫だ、と褒める。
みね
松枝家の女中。松枝侯爵のお手つき。尻軽で朗らかな娘。のちに暇を出され飯沼茂之と夫婦となる。
飯沼茂之(23 - 24歳)
松枝家の清顕付きの書生。清顕と蓼科に、女中・みねとの仲をとりもってもらったのと交換に、清顕の腹心となる。みねとの仲が侯爵に漏れ、松枝家を出てのちに女中・みねと夫婦となる。
蓼科(62 - 64歳)
綾倉家に仕える老女。聡子付き女中。清顕と聡子の逢引の手助けをする。過去に主人の綾倉伊文伯爵と関係を持ったことがある。
綾倉伊文伯爵
聡子の父。怪我や病気を極端に恐れる潔癖症。かつて松枝侯爵から無意識で言われたはずかしめに傷つき、松枝侯爵の紹介した縁組に聡子を処女で嫁がせるなと蓼科に命じていた。
綾倉伯爵夫人
聡子の母。
パッタナディド殿下(ジャオ・ピー)(18 - 19歳)
シャムの王子。ラーマ5世の息子。日本に留学し、学習院に遊学する。いとこのクリッサダ殿下(クリ)の妹・月光姫が恋人。姫の餞別のエメラルドの指輪を学習院寮で無くしてしまう。
クリッサダ殿下(クリ)(18 - 19歳)
パッタナディド殿下のいとこ。ラーマ4世の孫。同い年のパッタナディド殿下と一緒に日本に留学する。妹は月光姫。
洞院宮治典王(25 - 26歳)
皇族近衛騎兵大尉。勇武を好む。聡子と婚約し、婚姻の勅許が下りる。聡子より4歳年上。
新河男爵(34歳)
豪商。薩長政府と持ちつ持たれつの仲。日本の風習を嘲笑し、英国流を旨とする。
新河男爵夫人
新しもの好きで、夫に習い英国流の新しい思想を旨とするが思想的なことは何一つわからぬ夫人。

舞台化[編集]

テレビドラマ化[編集]

映画化[編集]

漫画化[編集]

おもな刊行本[編集]

  • 『春の雪(豊饒の海・第一巻)』(新潮社、1969年1月5日)
    • 装幀:村上芳正。布装(紫絹装)。貼函。金色帯。帯(裏)に川端康成北杜夫による作品評。
    • ※ 私家限定本(総革装。天金。見返しマーブル紙使用)4部あり。
    • ※ 奥付での印刷・発行日表記が、前年の「昭和43年10月25日印刷/昭和43年10月30日発行」となっているものが小部数あり。
  • 文庫版『春の雪(豊饒の海・第一巻)』(新潮文庫、1977年7月30日。改版2002年)
    • カバー装幀:池田浩彰。付録・解説:佐伯彰一
    • ※ 改版2002年より、カバー改装:新潮社装幀室。
  • 新装版『春の雪(豊饒の海〈一〉)』(新潮社、1990年9月10日)
  • 英文版『Spring Snow―The Sea of Fertility』(訳:Michael Gallagher)(タトル商会、1972年1月。他多数)

第二巻・奔馬[編集]

執筆期間は1966年(昭和41年)12月から1968年(昭和43年)6月まで[24]

『奔馬』の題材は、昭和初期に起こった血盟団事件をヒントにしている[13]。三島は取材のため1966年(昭和41年)8月に奈良県の大神神社と、熊本県新開皇大神宮桜山神社を訪れている[24]

作中で勲が愛読している『神風連史話』は、三島の作中作品で架空の歴史書であるが、福本日南の『清教徒神風連』や石原醜男の『神風連血涙史』などが元になっている[17]。『奔馬』について三島は、「『英霊の聲』や『』の集大成」だとし、「これを読めば本当の僕がわかってもらえるだろう」と語っている[7]

あらすじ[編集]

時代は1932年(昭和7年)6月から1933年(昭和8年)年末まで。

聡子と最後に会うことなく清顕が死んでから18年。彼の親友であった38歳の本多繁邦は、大阪控訴院高等裁判所に相当)判事になっていた。ある日、本多は頼まれて見に行った大神神社剣道試合で、竹刀の構えに乱れのない一人の若者に目がとまった。彼は飯沼勲という名で、かつて清顕付きの書生だった飯沼茂之の息子で18歳だった。試合後、本多は三輪山の三光の滝で勲に出くわし、彼の脇腹に清顕と同じく3つの黒子があるのを発見する。本多は死際の清顕の言葉を思い出し慄然とする。
本多は勲から、愛読しているという『神風連史話』を渡される。勲はその精神を以て有志達と「純粋な結社」を結成、決死の何事かを成し遂げようとしていた。勲は政界財界華族の腐敗を憤り、仲間と共にによってこの国を浄化しようと考えていたのだった。陸軍の堀中尉とも近づき、洞院宮治典王殿下にも謁見した。軍の協力に期待がもて仲間も増えるが、勲は、父の主宰する右翼塾「靖献塾」にいる佐和から、財界の蔵原武介だけはやめろと忠告される。塾が蔵原絡みの金で経営されているのをほのめかされ、勲は自分の純粋の行為の目的が汚されたと感じる。佐和は、蔵原は自分が退塾して刺すか、もし勲がやるならば自分も同志に入れてくれと言う。自分が加われば塾に傷がつかず上手くやれると言うが、勲は何も計画していないと嘘で切り抜ける。
本多は勲の父・飯沼に誘われ山梨県梁川での錬成会にやって来たが、そこで勲の荒魂を鎮めようとする白衣の男たちを見る。勲は、「お前は荒ぶる神だ。それにちがひない」と父に言われる。そして、その光景は清顕の夢日記に描かれていた光景そのものだった。本多は勲が清顕の生まれ変わりであるという確信を深める。
堀中尉が満州へ転属になり、勲の仲間は減るが、財界要人の刺殺計画は佐和を同志に加え秘密裡に練られていた。ところがどこからか計画は漏れ、勲たちは実行前に逮捕されてしまう。本多は急遽、判事を辞して弁護士となり勲を救う決意をする。本多の弁護により、勲たちは1年近い裁判の末、無罪となり釈放されるが、警察への密告を最終的にしたのは父だったと知った勲は茫然とする。酔った勲が、うわ言で「ずつと南だ。……南の国の薔薇の光の中で。……」と言うのを本多は聞く。
12月29日、勲は姿をくらまし、短刀を携えて伊豆山に向かう。そして、財政界の黒幕・蔵原武介の別荘に忍び込み殺害する。追手を逃れ、勲は夜のを前にしたで鮮烈な切腹自決を遂げる。

登場人物[編集]

飯沼勲(18 - 19歳)
第二巻の主人公。國學院大學予科学生。剣道3段。昭和の神風連たらんと行動をおこす。滝の下で本多と会う。清顕と同じく脇腹に3つの黒子がある。満20歳の年を目前に切腹する。
本多繁邦(38 - 39歳)
大阪控訴院判事となる。後に退職して勲のために弁護士になる。
本多梨枝
本多の妻。つつましい性格。夫婦に子供はいない。
飯沼茂之(43 - 44歳)
勲の父。松枝家を出た後、みねと夫婦になり、右翼団体「靖献塾」の塾長となっている。
飯沼みね
勲の母。中年肥りしている。6年前に塾生の一人と浮気し、夫に打たれ入院したことがある。
鬼頭謙輔
陸軍中将。名高い歌人。鬼頭家と飯沼家は家族ぐるみの付き合いがある。
鬼頭槇子(32、3歳)
鬼頭中将の娘で、当人も歌人。勲の恋人。離婚経験者。実在の歌人・斎藤史をモデルとする[要出典]
堀中尉(26、7歳くらい)
陸軍歩兵中尉。清顕と聡子が最初に密会した下宿屋・北崎に住んでいる。
洞院宮治典王(44 - 45歳)
山口で聯隊長としている。剛毅な宮様軍人。
佐和
靖献塾の年長塾員。世事に長けている。勲の理解者だが、一筋縄ではいかない人物。
井筒、相良(18 - 19歳)
勲の学友。要人刺殺計画の仲間。
蔵原武介
資本家。財界の黒幕。辺幅を飾らない人柄で愛嬌がある。伊豆山の蜜柑畑に別荘を持つ。
新河亨(新河男爵)(53 - 54歳)
軽井沢に広大な別荘を持つ豪商。日本の風習を嘲笑する。右翼に狙われブラックリストに載る。勲の暗殺計画にも名前が上がり、刺殺する担当は勲であった。
新河男爵夫人・訽子
自分たちを野蛮な国(日本)に滞在している白い肌の文明人と思い、ロンドンに「帰り」たがっている。
松枝侯爵(61歳くらい)
清顕の父。実権がなくなり、新河男爵家の別荘に集まる客の中で、唯一右翼に狙われない。

映画化[編集]

おもな刊行本[編集]

  • 『奔馬(豊饒の海・第二巻)』(新潮社、1969年2月25日)
  • 文庫版『奔馬(豊饒の海・第二巻)』(新潮文庫、1977年8月30日。改版2002年)
    • カバー装幀:池田浩彰。付録・解説:村松剛
    • ※ 改版2002年より、カバー改装:新潮社装幀室。
  • 新装版『奔馬(豊饒の海〈二〉)』(新潮社、1990年9月10日)
  • 英文版『Runaway Horses―The Sea of Fertility』(訳:Michael Gallagher)(タトル商会、1973年1月。他多数)

第三巻・暁の寺[編集]

執筆期間は第一部が1968年(昭和43年)7月から1969年(昭和44年)4月までで[14]、第二部は1970年(昭和45年)2月にまで[24]

『暁の寺』の取材のため、三島はインドバンコクに行くが、ガンジス川ベナレスを見て、「インドでは宗教が生きています。あれだけ宗教がナマナマしく生きてゐる国は見たことがありませんね」と語っている[26]

ジン・ジャンのモデルには、タイからの留学生で22歳の東大経済学部に学んでいたスワンチットという美人学生を留学生会館で小島千加子(雑誌『新潮』の三島担当編集者)の協力によって選び、一度三島邸で面会したものの、その後に一晩東京の街で会う約束をすっぽかされたまま、彼女が帰国してしまったために作品の内容もそれに沿ったものに変更されていったという[27]。また、ドイツ文学者・今西康のモデルは澁澤龍彦で、久松慶子のモデルは朝吹登水子白洲正子を足して二で割ったものだと三島は小島に語ったという[27][注釈 3]

あらすじ[編集]

第一部 - 時代は1941年(昭和16年)から終戦の1945年(昭和20年)まで。

47歳の本多は訴訟の仕事で、かつて清顕と親交のあったシャム(タイ)の王子と、そのいとこの故郷であるバンコクに来ていた。そこで彼は、日本人の生まれ変わりであると主張する7歳の王女・月光姫(ジン・ジャン)と出会う。月光姫は本多を見ると懐かしがり、黙って死んだお詫びがしたいと言った。彼女は勲が逮捕された日付も、清顕と松枝邸の庭園で門跡に会った日付も正確に答え、明らかに生まれ変わりを証明していたが、後日の姫とのピクニックでは、脇腹に黒子はなかった。それから本多はインドへ旅行し、そこで深遠な体験をする。そして、インドの土産を月光姫に献上し、本多にすがって泣く姫との別れを惜しみながら日本へ帰国する。帰国2、3日後、日本とアメリカとの戦争が始まる。
インドの体験と親友の生まれ変わりに触発され、仏教の輪廻転生唯識の世界にも足を踏み入れた本多は、戦争中、様々な宗教書を読みあさり研究に没頭する。ある日、仕事の用件のついでに松枝邸跡に足をのばしてみると、そこは焼跡になっていたが、偶然にも老いさらばえた蓼科に会う。本多は聡子に会いたいと思ったが戦局のきびしさでままならなかった。

第二部 - 時代は終戦後の1952年(昭和27年)と、15年後の1967年(昭和42年)。

58歳の本多は戦後、土地所有権を巡る裁判の弁護の成功報酬で多額の金を得て、富士の見える御殿場に土地を買い別荘を建てた。隣人には久松慶子という50歳前の有閑婦人がいて、本多の友人となる。別荘の客には他に、かつて勲と恋仲であり、勲の計画を父・飯沼へ密告した歌人・鬼頭槙子や、その弟子・椿原夫人、ドイツ文学者・今西康らがいた。しかし、本多が一番待ち望んでいた客は日本に留学して来た18歳のジン・ジャンであった。
5年前の1947年(昭和22年)に本多は、皇族の籍を失った洞院宮治典王が開業した骨董屋で、かつて学習院の寮でシャム(タイ)の王子・ジャオ・ピーが紛失した初代・月光姫の形見の指輪を発見して買い取り持っていた。これを日本に留学している二代目の月光姫(ジン・ジャン)に渡すため、本多は別荘に彼女を招くが、その日、姫は来ず、翌日会えることができた。幼い時、勲の生まれ変わりだと主張していたことを何も憶えていないとジン・ジャンは言う。美しく官能的に成長した姫に本多は魅了され、年齢不相応の恋心を抱く。そして、ジン・ジャンに執心し翻弄され、別荘に招いた彼女の部屋を覗き穴から覗くが、そこに見たものは、慶子と裸で抱き合う同性愛レズビアン)行為の最中の光景だった。そして、その脇腹には3つの黒子があった。驚いていたのもつかの間、やがて別荘が火事になってしまう。帰国したジン・ジャンもその後、音信がとだえ消息を絶ってしまった。
15年後の1967年(昭和42年)、73歳の本多は米国大使館に招かれ、その晩餐会の席上でジン・ジャンにそっくりの夫人に会う。その夫人はジン・ジャンの双子の姉であり、妹は20歳の時に庭でコブラに腿を噛まれ死んだと本多に告げる。

登場人物[編集]

第一部

本多繁邦(47 - 51歳)
第三巻・第一部の主人公。弁護士の仕事でバンコックに行き、薔薇宮で勲の生まれ変わりと思える幼いタイの王女と対面する。
ジャントラバー姫(ジン・ジャン)(7歳)
タイの王女・月光姫。パッタナディド殿下(ジャオ・ピー)の末娘。殿下は娘に、かつて死に別れた恋人の名を付けた。ジン・ジャンは勲の過去世を憶えている。
菱川
タイでの通訳兼案内人。芸術家崩れ。依頼人の五井物産の経費で贅沢な朝食やワインを飲み食いする。本多に嫌われる。
蓼科(95歳)
元・綾倉家の聡子付きの女中。旧松枝邸の焼跡の敷地で、本多と偶然会い、生卵をもらう。

第二部

本多繁邦(58歳。73歳)
第三巻・第二部の主人公。弁護の仕事で成功し、御殿場に別荘を建てる。ジン・ジャンの肉体見たさにプールや覗き穴を作る。
ジャントラバー姫(ジン・ジャン)(18歳)
成長と共に過去世の記憶がなくなる。美しく官能的になり本多を魅了する。脇腹に3つの黒子がある。
久松慶子(49歳)
本多の別荘の隣人で本多の友人となる。離婚経験のある有閑婦人。包容力のある性格で日本人離れした体格。のちに同性愛者とわかる。
本多梨枝
本多の妻。腎臓の持病がある。ジン・ジャンと夫との仲を疑い嫉妬するが、慶子には嫉妬しない。
鬼頭槇子(52、3歳)
歌人。かつて勲の計画を飯沼に密告した勲の恋人。自分の目の前で、椿原夫人と今西が性行為をするのを観察する。
椿原夫人(52、3歳)
鬼頭槇子の弟子。戦争で亡くした息子・曉雄のことばかり口にする。
今西康(40歳くらい)
ドイツ文学者。今西証券の次男坊で裕福な独身生活を送っている。蒼白な長身で神経質な顔立ち。小ばかにしていた椿原夫人と深い仲となり心中する。
新河元男爵(73歳)
老いてもパーティー好きだが、その皮肉に毒がなくなる。
新河夫人・訽子
老いてますます自分のことしか語ろうとしない。
飯沼茂之(63歳)
勲の父。終戦直後に自刃を試み失敗した傷を本多に見せに来る。生活に困窮し、2年前にみねと離婚する。
克己
慶子の甥。慶応大学生。本多がジン・ジャンの裸体見たさに、慶子に依頼し呼んだ手の早い軽薄な青年。

おもな刊行本[編集]

  • 『暁の寺(豊饒の海・第三巻)』(新潮社、1970年7月10日)
    • 装幀:村上芳正。布装(赤絹装)。貼函。紫色帯。帯(裏)に三島の『小説とは何か』より抜粋された「読者へ」と題した文章。
    • ※ 私家限定本(総革装。天金。見返しマーブル紙使用)4部あり。
  • 文庫版『暁の寺(豊饒の海・第三巻)』(新潮文庫、1977年10月30日。改版2002年)
    • カバー装幀:池田浩彰。付録・解説:森川達也
    • ※ 改版2002年より、カバー改装:新潮社装幀室。
  • 新装版『暁の寺(豊饒の海〈三〉)』(新潮社、1990年9月10日)
  • 英文版『Temple of Dawn―The Sea of Fertility』(訳:Cecilia Segawa Seigle、D.E. Saunders)(Knopf、1973年10月。他多数)

第四巻・天人五衰[編集]

執筆期間は1970年(昭和45年)5月から同年11月まで[24][注釈 4]

三島は最終巻の取材のため、1970年(昭和45年)5月に清水港駿河湾を訪れ、5月末頃に題名を〈天人五衰〉に決めた[24]

あらすじ[編集]

時代は1970年(昭和45年)から1975年(昭和50年)夏まで。

76歳となった本多はすでに妻を亡くし、67歳の久松慶子と気ままな旅をしたりして暮していた。本多は、天人伝説の伝わる三保の松原に行った折、ふと立ち寄った清水港の帝国信号通信所で、そこで働く聡明な16歳の少年・安永透に出会う。彼の左の脇腹には3つの黒子があった。本多は透を清顕の生まれ変わりでないかと考え、養子にする。そして英才教育や世間一般の実務マナーを施し、清顕や勲のような夭折者にならないように教育する。しかし本多は、透の自意識の構造が自分をそっくりなのを感じ、本物の転生者ではないような気もした。透は次第に悪魔的になっていき、養父・本多が決めた婚約者の百子を陥れて婚約破棄にする。東大に入学してからは80歳の本多にも危害を加えはじめるようになった。
透に虐待されるストレスから本多は、20年以上やっていなかった公園でのアベック覗き見を再びしてしまい、警察に取り押さえられ、その醜聞が週刊誌沙汰になる。これを機に透は、本多を準禁治産者にしようと追い込み、自分が本多家の新しい当主として君臨しようと企む。見かねた久松慶子が透を呼び出した。そして、本多が透を養子にした根拠の3つの黒子にまつわる転生の話をし、あなたは真っ赤な贋物だとなじる。慶子は、あなたがなれるのは陰気な相続人だけと透を喝破する。自尊心を激しく傷つけられた透は、本多から清顕の夢日記を借りて読んだ後、12月28日に服毒自殺を図り、未遂に終わったものの失明してしまう。21歳の誕生日の数か月前のことだった。
翌年の3月20日の21歳の誕生日を過ぎたが、透は点字を学んで穏やかに暮らしていた。性格は一変し、狂女・絹江と結婚して彼女のなすがままに、頭に花を飾って天人五衰のようになっていた。一方、本多は自分の死期を悟り、60年ぶりに奈良の月修寺へ、尼僧門跡となった聡子を訪ねるのであった。だが、門跡になった聡子は、清顕という人は知らないと言う。夏の日ざかりのしんとしたを前にし、本多は何もないところへ来てしまったと感じる。

登場人物[編集]

安永透(16 - 21歳)
第四巻の主人公。中学卒業後、清水港で通信員をしている。3つの黒子があるので、本多が、清顕、勲、ジン・ジャンの生まれ変わりだと信じて養子にする。20歳の時、自殺未遂し盲目となる。
本多繁邦(76 - 81歳)
妻に先立たれ、慶子と行った旅先で、転生者らしき透を見つけ養子にする。
久松慶子(67 - 72歳)
本多の友人。透に本多の秘密を教える。
古沢
透の家庭教師の東大生の一人。透に親切にしていたが、左翼思想を透に見抜かれ密告される。
浜中繁久(55歳)
東北の旧藩主出身。領地の地方銀行の頭取をしている。
浜中栲子
浜中繁久の妻。大名華族出で、太ってぞんざい。
浜中百子(18歳)
透と同じ歳の美しい娘。両親の勧めで透の許婚となるが、透に陥れられ婚約破棄にされる。
汀(25、6歳)
百子を傷つけるために透に利用された童貞喰いの女。
絹江
自分を美しいと思っている狂女。透が清水港で通信員をしている時からの知り合い。透が心を許している数少ない人物。のちに盲目となった透と結婚する。
月修寺門跡(綾倉聡子)(83歳)
本多が訪ねて来て昔話をしても、清顕を知らないと言う。

おもな刊行本[編集]

文壇の反響[編集]

『春の雪』『奔馬』の刊行後の反響については、否定的なものも多少混ざっているが、概ねは好意的なものが多い[5]。批判的なものとしては、森川達也が、作品が「荒唐無稽」だとし[29]北村耕は、作品に込められている「天皇崇拝思想」を批判している[30]

肯定的なものは、桶谷秀昭[31]福田宏年[32]奥野健男[33]佐伯彰一[34]阿川弘之[35]村上一郎[36]高橋英夫[37]、現代に対する挑戦、三島美学の集大成という受け止め方で[5]野口武彦は、『豊饒の海』を「三島由紀夫氏の『失われた時を求めて』である」と評し[38]、三島は日本文学の遺産である「物語」を選択したと解説している[39]

中でも澁澤龍彦は、「戦後文学最高の達成」とした上で、そこでは「行動認識をいかに一致させるかの問題」が作品構成の動機になって、本多は「行動という危険な領域に惹かれつつ、その一歩手前で踏みとどまる小説家の営為」を象徴的に体現している人物と説明し[40]、三島が中村光夫との対談で、〈自分の小説はソラリスムというか、太陽崇拝というのが主人公の行動を決定する、太陽崇拝はであり天照大神である。そこへ向っていつも最後に飛んでいくのですが、したがって、それを唆すのはいつも母的なものなんです〉[12]と述べていたことに触れながら、無意識の特性を持つ太陽)が男の「悪の芽を育て、悪を唆す」という存在でもある面を鑑みて、勲が死ぬ時に体内に太陽が入り込み、次回に女に転生するのは偶然ではなく、物語の論理的必然であると解説している[40]

『暁の寺』の刊行後には、文壇全般的な受け取られ方は芳しくはないが、佐伯彰一池田弘太郎は、認識者の世界攻略のドラマという主題を看取し[41][42]田中美代子磯田光一は、本多とジン・ジャンの関係性を「密通」「エロス弁証法」と見なすことにより、認識の孕む生の豊饒さへの回路について言及している[43][44]

三島の自死による『天人五衰』刊行後には、磯田光一や田中美代子が、『豊饒の海』の前半では心情の純化や生の極限が描かれ、後半は認識者・本多が主人公となり、その結末は三島の死と表裏の関係があるとし[45][46]粟津則雄は、死の主題への偏執や、個人を越えた全体への志向を指摘している[47]

澁澤龍彦や奥野健男は、『天人五衰』で、三島を襲ったニヒリズムの露呈を指摘している[48][49]。澁澤龍彦は、末尾のの日ざかりを終戦の日の風景だと指摘し、以下のように評している[48]

『天人五衰』のラストの夏は、輝かしい抒情の夏ではないけれども、それでもやはり終末の夏、しんとした、あらゆる物音の消え去った、そのまま劫初の沈黙と重ね合わせられるような、三島氏がどうしてもそこから離れられなかった、あの永遠の夏であることに変りはなかったのである。それは、いわば三島文学の終末の夏でもあって、私はそこに、否応なしに感動させられたのであった。

澁澤龍彦「ニヒリズムの凄惨な格闘」[48]

作品評価・解釈[編集]

謎の多い『豊饒の海』への論究は非常に膨大な数があり、様々な観点から研究論がなされている[5]。三島の他の作品との共通点を探る比較論的なもの、典拠となった『浜松中納言物語』との比較論や、作品世界の構造を論じたナラトロジー的なもの、『竹取物語』や『源氏物語』と重ねる研究論、個別の作中人物(本多、清顕、勲、ジン・ジャン、透、聡子、みね、蓼科、鬼頭慎子)の行動や内面を探ったもの、誰が贋物の転生者であるかを探ったもの、輪廻転生唯識論宗教論的な観点からのもの、結末部の解釈を巡っての解釈論、日本の近代史などの歴史や社会的な背景(神風連二・二六事件天皇)との相関関係から論じたもの等々、多岐にわたって論究されている[5]

奥野健男は、最終巻『天人五衰』の終り方が、三島の初刊行小説『花ざかりの森』の終結部で老婦人が、〈どこへ行つてしまひましたやら。あんなものずきなたのしい気分。……わたくしのどこかにでも、そんなものがのこつてゐるやうにおみえでせうか〉と言った後に、客人を庭に案内し、〈生がきはまつて独楽の澄むやうな静謐、いはば死に似た静謐ととなりあはせに。……〉という末尾と酷似していることを指摘している[4]。奥野は「三島由紀夫の文学の華やかで激しい三十年は、同じ空夢の幻影から空夢の幻影への夢のまた夢というであったのであろうか。それが真の文学というものなのかもしれない」と述べている[4]

井上隆史は、三島の自死の日が、『仮面の告白』の起筆日の日付と同じことに着目し、『仮面の告白』の執筆動機が、〈私が今までそこに住んでゐた死の領域〉を超克することで、〈飛込自殺映画にとつてフィルムを逆にまはすと、猛烈な速度で谷底からの上へ自殺者が飛び上つて生き返る〉ような〈生の回復術〉だと三島が位置づけていたことから、以下のように論考している[14]

三島が死の日付として、また『天人五衰』の擱筆日として11月25日を選んだのは、フィルムを逆回転する前の状態、つまり自殺者が谷底で死んでいる状態に戻るということを意味する象徴的行為ではないだろうか。すなわち、『天人五衰』において『春の雪』にまで遡ってすべてを虚無で覆い尽くそうとしたのと同様に、三島はその文学活動の最後に、自分の作家的アイデンティティを確立させた『仮面の告白』まで遡り、その後の創作活動のすべてを解体し、虚無へと導いたのである。

井上隆史「虚無の極北の小説」[14]

佐伯彰一は、三島が「純粋情念こそ歴史をふみこえ、時間をのりこえ得るという思念」に繰り返し心惹かれていた作家であったことを鑑みて、『豊饒の海』の「時間の流れ」自体の定着に三島の意図はなく、むしろ「時間から脱け出し、時間を超えること」に三島の的があり、「時間の超克、棄却」が目指されていたとし[50]、「近代小説の大前提と常識に向って正面切った反抗をくわだてた作品」で、「三島流の壮大な反・小説の試み」がなされていると解説している[50]

柴田勝二は、『金閣寺』や『憂国』『英霊の聲』など三島文学には、主人公を行動に駆り立てる「他者的な精神霊魂的な浸透」や、「別個の人間間で、その精神やが憑依する関係性」があるとし、『春の雪』の煮え切らなかった清顕が、聡子への強い恋情を自覚する「変身」も、「烈しい恋愛者の霊魂が入り込んだ」場面だと考察し[19]、その〈みやび〉の烈しさや荒々しさは、倭建命王朝貴族に底流し、〈非常の時には、「みやび」はテロリズムの形態をさへとつた〉[51]という三島が『文化防衛論』で言及している意識と同じだと解説している[19]

また、『サド侯爵夫人』にも見られるように[注釈 5]、三島が作中の年や日時にメッセージを込める傾向を鑑みながら、聡子と皇族の婚約の勅許が下るのが5月15日で、清顕が月修寺の聡子を訪れる日にが降り、2月26日だという、「五・一五事件」と「二・二六事件」との連携性を柴田は考察し[19]、転生する主人公たちの寿命が〈二十歳〉であるのは、伊勢神宮の式年遷宮が20年ごとに行われるという神道的な意味合いで、三島が『文化防衛論』で展開している、〈いつも新たに建てられた伊勢神宮がオリジナルなのであつて、オリジナルはその時点においてコピーにオリジナルの生命を託して滅びてゆき、コピー自体がオリジナルになる〉[51]という関係性がそこに反映されているとし、本多が勲を見て〈清顕がよみがへつた!〉と感銘するのは、清顕が勲に「再生」していることの表われだと柴田は解説している[19][注釈 6]

そして『天人五衰』の入稿日と自決の11月25日の意味については、「昭和天皇摂政に就任した日」という安藤武の考察と[52]松本健一の〈(三島が)じぶんだけの〈美しい天皇〉を抱きしめ、その〈美しい天皇〉の歌をもはや誰にも歌わせまいとして、一人あの世へと走り去ってしまったのではないか〉という考察[53]を敷衍しながら、「時代への抗議」と共に三島が、昭和天皇が事実上〈〉になった日に自決することで、人間天皇の代りに自らが「〈神〉の連続性」を掴んで、「神になる」行為であったとし[19]、自国の主体性がなくなった時代背景を基調に書かれた最終巻の意味について柴田は以下のように論考している[19]

『天人五衰』においては転生が受け継がれず、憑依も狂女の上に劇画的にしか現われない。それはとりもなおさず、転生者たちに秘かに託されていた「天皇霊」の継承を、主人公ではなく、三島自身が担おうとしたからであっただろう。作品の末尾に記された「昭和四十五年十一月二十五日」という、四部作の完結と決起の日を結びつける日付は、自身の最期の鍵がこの作品自体にあることの表明にほかならなかった。また藤原定家を主人公として、人間が「神になる」主題を追求する作品はついに書かれなかった[注釈 7]。それは三島自身が「神になる」行為を全うするゆえに、書く必要がなくなったからでもあったに違いないのである。

柴田勝二「〈神〉となるための決起――『天人五衰』と1970年11月25日」[19]

松本徹は『天人五衰』の最終場面について、生まれ変わりの連鎖にずっと立ち会い、それに囚われてその連鎖から脱け出せない本多と、輪廻の連鎖から逃れたところの解脱の立場にいる聡子が「向き合っている」ということが肝心だとし[2]、最後の〈何もない。記憶もなければ何もないところ〉は、「世界すべて消えるのではなく、輪廻の一つの輪が終わろうとしているところ」だと説明しながら、そこには「輪廻する生を根底で成り立たせているところのものが、露わになっている」と解説し、以下のように論じている[2]

冒頭の、透が望遠鏡で見た、なにも見えず、「いつもしたたかに存在の用意を蓄えてゐる」に照応する、阿頼耶識そのものが、露わになってに晒されているのです。さらに言えば、もろもろの存在を出現させるべく用意している存在の基底が、露出しているのです。唯識論に拠った「究極の小説」にふさわしい最後です。また、それだからこそ『豊饒の海』は、なにがなんでも完結させなくてはならなかったのです。この世なるもの、さらには小説なるものを出現させている、大本の大本が、ここには顔を覗かせているのです。

松本徹「究極の始まり『豊饒の海』(二)」[2]

佐藤秀明は、この松本の論を敷衍しながら、本多の自意識の〈〉(直接手を下さずに世界を〈虚無〉に陥れる)についても考察し、本多が聡子に再会しようとしたのは、聡子から世界を肯定されることで、「その時本多の自意識は、世界をに陥れようと図っていた」とし、以下のように論じている[3]

聡子によって世界が肯定され、本多の自意識がそれを無に移し変える、ただそれだけのことに老齢の本多は賭けたのである。本多の気配に異様なものを察知したのかどうか、門跡は唯識の立場で話をした。〈松枝さんといふ方は、存じませんな〉。世界は肯定されず、である。本多の最後の目的は潰えた。世界は空である。しかし、阿頼耶識は世界を存在させる。だから〈庭は夏の日ざかりの日を浴びて〉そこに存在するのである。

佐藤秀明「夢と転生。嘘と、精巧な贋物……」[3]

[編集]

『豊饒の海』は、多様な解釈を誘うような細部の仄めかしや、をつく人物がいたり、物語自体が本多の認識にすぎなかった、あるいは、転生者が贋物ではないか、など様々な読み方が可能で、謎に満ちている作品である[3][50]

例えば、勲の母・みねが息子の顔を見て、〈飯沼と似てゐるやうでもあり、似てゐないやうでもある〉と思う場面など、勲の実父が松枝侯爵でもある可能性が仄めかされていたり、ジン・ジャンの死亡日が明確でなく確認できなかったこと、安永透は天人の死を意味する〈天人五衰〉となっているため、本物の可能性もあると佐藤秀明は解説している[3]

安永透が贋者だと、作中では久松慶子が断定しているが、村松剛によると、作者の三島は、透が贋者か本物かは不明にしているとテレビで述べていたという[20]。また村松剛は、透が作中で過去世を2度見ていることと、透の手記で、ある雪の日に窓から外を眺めている中で、老人が落したの屍骸が〈女ののやうにも思はれ出した〉と書いてある描写に触れ、この光景は『春の雪』で剃られた、聡子の髪の幻(前世の記憶)を見たということだと解読している[20]。鴉の屍骸のようなものを落すこの老人は、話の筋と無関係に唐突に出てくるが、この黒いベレー帽の老人が、本多が公園で覗きをする箇所でも出てくることが指摘されている[20][54]

作中において、この黒いベレー帽の老人が誰で何を意味しているのかは不明であるが、柏倉浩造は、この人物は未来の三島本人であると憶測し、ヒッチコックのように登場させていると解釈している[54][注釈 8]。また柏倉は、本多の瞼から飛翔した三羽の黒い鳥や、三つの黒いほくろ、鬘のような黒い鴉の死骸、清顕や勲が猟銃で鳥を撃つ場面や、今西と椿原夫人が〈黒いレエスのブラジャー〉を拾って捨てる場面などを関連させて意味を考察している[54]

エピソード[編集]

三島が取材のために京都奈良尼寺を歴訪し、ある尼寺で高齢の門跡に会ったときに、『春の雪』がどんな筋かと聞かれて、「宮様許婚になった恋人を犯して妊娠させ、そのため恋人は剃髪遁世し、自分は病歿する青年の話」だと答えると、その尼僧が三島をじろじろと疑わしげに見つめて、「どこでそれをおききになりました?」と言い、逆に三島の方がびっくりし、自分の純然たる創作だと尼僧に言ったが信じてもらえなかったという[25]

単行本の『奔馬』のカバーには、神風連の副首領加屋霽堅の墨書を基としたものが使われているが、これは三島が捜して選んだものである[55]。三島は担当編集者の小島千加子に、『暁の寺』の刊行後、〈君は三巻までの装幀のうちでどれが一番好きかい? どれもいいね。……だけど僕は二巻が好きだねえ〉と言ったとされ[55]、神風連の志士が数多のこした書のなかから、三島が加屋の遺墨を選んだことに、この書と『奔馬』への愛着がうかがえる[55]荒木精之でさえその所在を知らない、その加屋の遺墨「長刀」を三島がどうやって入手したかは今なお謎だという[56]

原文は漢詩で、その読み下し文は
力を中原に致し、自ら習労す
此生、何ぞ惜しまん、鴻毛に附するを
雲霧を破除する、豈、日無からんや
磨励、霜は深し、偃月刀

三島の辞世の二首のうちの一首、〈益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐へて 今日の初霜〉は、加屋霽堅のこの漢詩の最終行をふまえていることが見てとれるという[56]。荒木精之は三島から贈られた『奔馬』のカバーを見て、「おやとおどろ」き、以下のように述べながら、売れる、売れない、といったことはどうでもよいという、「真剣な態度」がこのカバーから窺われるとし、それだけに三島が神風連にいかに傾倒しているかが伝わってくるように感じられたと語っている[56]

それにしてもこのような現代ばなれの、くすんだような、特殊な史家や漢詩人、骨董屋でもないかぎり何の魅力も関心もありそうにない、このような地味なカバーをえらんだところに三島氏の心がしのばれた。書店の店頭でみたら、これだけで若い人たちに敬遠されるような、そういう感じのこのカバーを用いたところに著者がこの書にうちこむあつい心にふれるような気がした。

荒木精之「初霜の記 三島由紀夫と神風連[56]

派生作品・その他[編集]

映画『地獄の黙示録』を監督したフランシス・フォード・コッポラは、撮影の際、しばしば『豊饒の海』を手に取り、作品の構想を膨らませたという[57]

島田雅彦は、自作『無限カノン三部作』(『彗星の住人』『美しい魂』『エトロフの恋』)を、『豊饒の海』を意識して書いたものと述べている[58]

実現には至らなかったが、晩年の市川雷蔵は『春の雪』の舞台主演を強く希望していた。病状悪化と逝去により叶わなかった[59]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 浜松中納言物語』は、美しい中納言が許されぬ悲恋に嘆いた末、亡父がの第三王子に生まれ変わっているとの夢を見て船出してゆくという「夢と転生」の王朝文学である[7]。その主題は、「もし夢が現実に先行するものならば、われわれが現実と呼ぶもののはうが不確定であり、恒久不変の現実といふものが存在しないならば、転生のはうが自然である」という考えが貫かれている[8]
  2. ^ この最後の〈バルタザールの死〉というのは、正確には「バルダサール」で、プルーストの短編『バルダサール・シルヴァンドの死』の主人公のことである。プルーストは、インドに向かう船を窓越しに眺めながら、村の鐘の音に過去の記憶を思い出し幸福な臨終を迎えるバルダサールを描いている[14]
  3. ^ 三島は今西康のことを、「あれは誰が見たって澁澤龍彦だってことが分っちゃうだろ。だから、わざと背を高く、たかーくしてあるんだよ」と言ったとされる[27]
  4. ^ 三島は、取材や想が熟さないところは後回しにして、書けるところから書く方法を取り、8月24日頃に最終回部分(第26-30章)を概ね書き上げ、原稿のコピーを新潮社の出版部長・新田敞に渡している[24][2]。また8月11日に下田東急ホテルに滞在中の三島を訪ねてきたドナルド・キーンに終結部の原稿を示したが、キーンは遠慮して読まなかったという[28]
  5. ^ 三島があえて〈十九年前〉と登場人物に言わせ、作品発表から遡った昭和天皇人間宣言の年を暗示させているともとれる箇所がある[19]
  6. ^ 三島は『文化防衛論』で、「日本文化は、本来オリジナルとコピーの弁別を持たぬ」と論じている[51]
  7. ^ 三島は『春の雪』執筆中の1966年(昭和41年)10月時点、「僕は人間がどうやって神になるかという小説を書こうと思っています。藤原定家のことです」と林房雄との対談で語っているため[11]
  8. ^ 時代設定は1974年(昭和49年)時点であるので、この60代の老人と、生きていればその時点で49歳の三島とは年齢的には符合していない。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 三島由紀夫「『豊饒の海』について」(毎日新聞 1969年2月26日に掲載)
  2. ^ a b c d e f g 松本徹『三島由紀夫を読み解く(NHKシリーズ NHKカルチャーラジオ・文学の世界)』(NHK出版、2010年)
  3. ^ a b c d e 佐藤秀明「夢と転生。嘘と、精巧な贋物……」(『別冊太陽 三島由紀夫』)(平凡社、2010年)
  4. ^ a b c 奥野健男「大団円『豊饒の海』」(『三島由紀夫伝説』)(新潮社、1993年。新潮文庫、2000年)
  5. ^ a b c d e 『三島由紀夫事典』(勉誠出版、2000年)
  6. ^ 三島由紀夫「私の近況――『春の雪』と『奔馬』の出版」(新刊ニュース 1968年11月15日号に掲載)
  7. ^ a b c d 三島由紀夫「数奇なドラマ展開―著者との対話」(名古屋タイムズ 1968年12月16日号に掲載)
  8. ^ 三島由紀夫「夢と人生」(『日本古典文学大系77 篁物語・平中物語・浜松中納言物語』月報)(岩波書店、1964年)
  9. ^ 三島由紀夫「『豊饒の海』について」(新潮社出版案内リーフレット 1969年4月)
  10. ^ a b 三島由紀夫「ドナルド・キーンへの書簡」(1970年10月3日付)
  11. ^ a b 三島由紀夫『対話・日本人論』(林房雄との対談)(番町書房、1966年)
  12. ^ a b c d e 三島由紀夫(中村光夫との対談)『対談・人間と文学』(講談社、1968年)
  13. ^ a b c d e f g h i j k 「『豊饒の海』創作ノート」(『決定版 三島由紀夫全集第14巻・長編14』)(新潮社、2002年)
  14. ^ a b c d e f g h i j k l m 井上隆史『三島由紀夫 幻の遺作を読む―もう一つの「豊饒の海」』(光文社、2010年)
  15. ^ a b c 三島由紀夫「小説とは何か」(波 1970年5・6月号に掲載)
  16. ^ 三島由紀夫「川端康成への書簡」(昭和44年8月4日付)
  17. ^ a b 佐藤秀明『日本の作家100人 三島由紀夫』(勉誠出版、2006年)
  18. ^ 三島由紀夫「」(市ヶ谷駐屯地 1970年11月25日)
  19. ^ a b c d e f g h i 柴田勝二『三島由紀夫―作品に隠された自決への道』(祥伝社、2012年)
  20. ^ a b c d 村松剛『三島由紀夫の世界』(新潮社、1990年)
  21. ^ a b c d 三島由紀夫(武田泰淳との対談)「文学は空虚か」(文藝 1970年11月号に掲載)
  22. ^ 三島由紀夫(古林尚との対談)「三島由紀夫 最後の言葉」(図書新聞 1970年12月12日、1971年1月1日掲載)。音声は『三島由紀夫 最後の言葉 新潮CD 講演』(新潮社、2002年)に収録(初刊は新潮カセットで1989年4月)。
  23. ^ a b 三島由紀夫「清水文雄宛て書簡」(昭和45年11月17日付)
  24. ^ a b c d e f g h 「年譜」(『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』)(新潮社、2005年)
  25. ^ a b c 三島由紀夫「『春の雪』について」(出版ニュース 1969年7月下旬号に掲載)
  26. ^ 三島由紀夫「インドの印象」(毎日新聞夕刊 1967年10月20・21日号に掲載)
  27. ^ a b c 小島千加子「幻の月光姫――『暁の寺』のくしび」(ポリタイア 1973年9月号に掲載)(『三島由紀夫と檀一雄』)(構想社、1980年。 ちくま文庫で再刊、1996年)
  28. ^ 徳岡孝夫・ドナルド・キーン『悼友紀行』(中央公論社、1973年)
  29. ^ 森川達也「書評」(図書新聞 1969年3月22日号に掲載)
  30. ^ 北村耕「三島由紀夫の小説世界」(赤旗新聞 1969年3月23日号に掲載)
  31. ^ 桶谷秀昭日本経済新聞 1969年1月12日号に掲載)
  32. ^ 福田宏年東京新聞 1969年1月23日号に掲載)
  33. ^ 奥野健男「文芸時評」(読売新聞夕刊 1969年1月29日号に掲載)
  34. ^ 佐伯彰一「文芸時評」(読売新聞夕刊 1969年1月29日号に掲載)
  35. ^ 阿川弘之「文芸時評」(毎日新聞 1969年2月9日号に掲載)
  36. ^ 村上一郎「書評」(週刊読書人 1969年3月24日号に掲載)。『浪曼者の魂魄』(冬樹社、1969年)所収。
  37. ^ 高橋英夫「『春の雪』」(中央公論 1969年5月号に掲載)。『群像 日本の作家18』(小学館、1990年)所収。
  38. ^ 野口武彦『三島由紀夫の世界』(講談社、1968年)
  39. ^ 野口武彦「ライフワークたる本面目を発揮」(群像 1969年4月号に掲載)
  40. ^ a b 澁澤龍彦「輪廻と転生のロマン」(波 1969年4月号に掲載)
  41. ^ 佐伯彰一「文芸時評」(読売新聞夕刊 1970年7月27日号に掲載)
  42. ^ 池田弘太郎「書評」(週刊読書人 1970年8月3日号に掲載)
  43. ^ 田中美代子「覗く者と覗かれる者の密通劇」(波 1970年7月8日号に掲載)。『ロマン主義者は悪党か』(新潮社、1971年)所収。
  44. ^ 磯田光一「“見えすぎる眼”の情欲」(群像 1970年10月号に掲載)。『磯田光一著作集1』(小沢書店、1990年)所収。
  45. ^ 磯田光一「『豊饒の海』四部作を読む」(新潮 1971年1月号に掲載)。『磯田光一著作集1』(小沢書店、1990年)所収。
  46. ^ 田中美代子「書評」(週刊読書人 1971年3月15日号に掲載)。『日本文学研究資料叢書 三島由紀夫』(有精堂、1972年)所収。
  47. ^ 粟津則雄「『豊饒の海』論」(日本読書新聞 1971年5月31日-6月21日号に掲載)
  48. ^ a b c 澁澤龍彦「ニヒリズムの凄惨な格闘」(文藝 1971年5月号に掲載)
  49. ^ 奥野健男「死との凄絶で孤独な闘い」(朝日ジャーナル 1971年5月号に掲載)
  50. ^ a b c 佐伯彰一「解説」(文庫版『春の雪(豊饒の海・第一巻)』)(新潮文庫、1977年)
  51. ^ a b c 三島由紀夫『文化防衛論』(中央公論 1968年7月号に掲載)。『文化防衛論』(新潮社、1969年)
  52. ^ 安藤武『三島由紀夫の生涯』(夏目書房、1998年)
  53. ^ 松本健一『三島由紀夫 亡命伝説』(河出書房新社、1987年)
  54. ^ a b c 柏倉浩造『かくも永き片恋の物語 三島由紀夫のフラクタル宇宙』(未知谷、2000年)
  55. ^ a b c 小島千加子「作中人物への傾倒――『奔馬』の頃」(ポリタイア 1973年10月号に掲載)(『三島由紀夫と檀一雄』)(構想社、1980年。 ちくま文庫で再刊、1996年)
  56. ^ a b c d 荒木精之『初霜の記 三島由紀夫と神風連』(日本談義社、1971年)
  57. ^ エレノア・コッポラ『ノーツ コッポラの黙示録』(原田真人ほか訳、マガジンハウス、1992年 ISBN 4838703945)、新訳版『「地獄の黙示録」撮影全記録』(岡山徹訳、小学館文庫 2002年、ISBN 4094025669
  58. ^ 島田雅彦「『みやび』なアナーキスト」(中条省平編・監修『続・三島由紀夫が死んだ日―あの日は、どうしていまも生々しいのか』)(実業之日本社、2005年)
  59. ^ 市川雷蔵『雷蔵、雷蔵を語る』(あとがき:藤井浩明)(飛鳥新社、1995年。朝日文庫、2003年)、

参考文献[編集]

  • 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第13巻・長編13』(新潮社、2001年)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第14巻・長編14』(新潮社、2002年)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第33巻・評論8』(新潮社、2003年)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第34巻・評論9』(新潮社、2003年)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第35巻・評論10』(新潮社、2003年)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第36巻・評論11』(新潮社、2003年)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第38巻・書簡』(新潮社、2004年)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第39巻・対談1』(新潮社、2004年)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第40巻・対談2』(新潮社、2004年)
  • 『新潮日本文学アルバム20 三島由紀夫』(新潮社、1983年)
  • 『別冊太陽 三島由紀夫』(平凡社、2010年)
  • 『三島由紀夫事典』(勉誠出版、2000年)
  • 『三島由紀夫事典』(明治書院、1976年)
  • 『三島由紀夫論集I 三島由紀夫の時代』(勉誠出版、2001年)
  • 井上隆史『三島由紀夫 幻の遺作を読む―もう一つの「豊饒の海」』(光文社、2010年)
  • 奥野健男『三島由紀夫伝説』(新潮社、1993年。新潮文庫、2000年)
  • 小島千加子『三島由紀夫と檀一雄』(構想社、1980年。ちくま文庫、1996年)
唯識』 を 精神医学 の立場から解き明かした著。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]