毛野

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毛野国毛国(けのくに)は、律令制以前の日本の文化圏の一つである。単に毛野(けの)とも。

律令制下では上野国下野国が置かれ、合わせて、あるいはどちらかを毛州(もうしゅう)と呼ぶ。合わせて両毛(りょうもう)とも言うが、現代ではこの語は上野と下野の境界付近の狭い地域を指すことが多い。

沿革

古墳時代香取海に注ぐ毛野川流域一帯には出雲神を祀る一大豪族(豊城入彦命を祖とする)が、一つの文化圏・毛野王国を形成しヤマト王権においても強大な発言力を有していたと考えられていたが、これは文化圏の一つであり、最近の研究によると群馬鏑川流域や井野川流域など幅広い範囲で独自の文化が形成されていることが判明している。

毛野国の名称の由来は諸説ある。主なものを以下に挙げる。

  • かつてヤマト王権から毛人の住む地として毛の国、二字表記にして毛野の字が当てられた。
  • 毛は二毛作の毛、即ち禾本科の穀物を指す。昔この地域が穀物の産地であったことから毛野の名をなす。

この地は豪族毛野氏(けぬし)が治めていた。毛野氏は豊城入彦命の後裔とされる。吉備氏筑紫氏と並ぶ大豪族だった[1]

毛野国は後に上毛野国造(かみつけぬのくにのみやつこ)の領域(後の上野国)と下毛野国造(しもつけぬのくにのみやつこ)の領域(後の下野国)に分けられたとされる。分けられた時期は不明。六国史など史料上では既に上毛野・下毛野と分かれた状態で記載され、両国が元は毛野国で1つであったと伝わるのみで「毛野」としての登場が無いためである。

脚注

  1. ^ 武光誠『県民性の日本地図』文藝春秋〈文春新書〉、2001年、p.78頁。ISBN 4-16-660166-0 

関連項目