市場

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ポルトガルの市場

市場(いちば、しじょう)、マーケット(英語:market)、(いち)は、「市庭」とも表し、定期的に人が集まり商いを行う場所、あるいは、この市場(いちば)における取引機構に類似した社会機構の概念を指す。

概要

市場(いちば)は商人が仕切りを設置し、買い手が商品を求める広場をいう。この種の市場は非常に古く、無数の市場が世界中で運営されている。

主に野菜果物魚介類などの生鮮食品や、株式債券など証券為替などの金融取引の場を指すことが多い。証券・為替など金融関係では「しじょう」と読まれる。また、施設の名称も「しじょう」となっているところも多い。

語源

日本語における「市」あるいは「市場」という語は、中国の『易経』繋辞下伝にある「日中為市、致天下之民、聚天下之財、交易而退、各得其所」に由来するとも言われている。古代中国では、官庁のある都市の特定の区域以外での商売は禁じられており、そこを「市」と称した。

市場の形態

日本国内の市場は、通常農産物・水産物の販売を主とし、畜産物の販売を行う市場は沖縄県内(および沖縄県人によって運営されるそれ以外の地域の市場)を除き少ない。よって、日本国外の市場での畜産物の販売が多くの日本人によって強く印象付けられる傾向にある。

地元や近隣地の市場の他に、旅行者が遠隔地(国内・国外を問わず)の市場での商品の購入を楽しむ例も多い。紀行文・紀行番組などで多く取り上げられる。市場は、しばしばその地の食文化や商業文化を端的に示す場とされる。

日本国内では、特に10月~12月つまり秋の農産物・水産物の収穫期・漁獲期~正月用品の購入時期に、市場が特に活況を示す傾向にある。しかし、旬の農産物・水産物の販売で年中活況を示す場でもある。

日本の小売市場(明石市魚の棚商店街
卸売市場

卸売業者によって、生産者と小売業者の仲立ちをする市場を卸売市場(おろしうりしじょう)といい、日本では卸売市場法によって規定されている。同法により、都市部には中央卸売市場が置かれ、地方には地方卸売市場または卸売市場が開設できるとされている。

小売市場、公設市場

卸売市場で小売業者が仕入れた商品を、一般消費者に販売する小売店の集合体を小売市場と呼ぶこともある。地方自治体(あるいは第三セクター)が小売市場を開設することもあり、それを公設市場(準公設市場)と呼ぶことが多い。

人工市場

コンピュータネットワークの発明後の現代では、市場は必ずしも物理的な空間に位置するとは限らない。そのような人工市場の代表例は国際通貨市場である。

闇市

非合法の物資を扱う市を闇市という。

市場の歴史

起源

グリァスン沈黙交易の研究を通して、市場の成立について以下のような類型を示唆した[1]

  1. 姿を見せぬ交易(インヴィジブル・トレード)
  2. 姿を見せる交易(ヴィジブル・トレード)
  3. 客人の招請(ゲスト・フレンドシップ)
  4. 姿を見せる仲介者づきの交易(ミドルマン・トレード)
  5. 集積所(デポ)
  6. 中立的な交易
  7. 武装市場(アームド・マーケット)
  8. 定市場(レギュラー・マーケット)

グリァスンは、人間集団が平和に交流できる中立的な場所として市場を定義した。また、市場の存在によって特定の場所に平和が保存され、それが市場への路や人物にも広がることで、さらに平和の範囲が進展すると述べた[2]

カール・ポランニーは、市場制度が発達する起源として、対外市場と地域市場(対内市場)の二つをあげる。対外市場は交易など共同体の外部からの財の獲得に関係し、地域市場は共同体での食糧の分配に関係する。地域市場は、さらに二つの形態に分かれる。第1は物資を中央に集めて分配する形態で、灌漑型の国家に顕著に見られる。第2は地域の食料を販売する形態で、古代ギリシアの小農経済や叢林型経済に顕著なものとなる[3]

古代メソポタミア・西アジア

シュメールバビロニアでは食物をはじめとする必需品を貯蔵し、宮殿や都市の門において分配した。またバザールでは手工業品の販売を行なった。やがて灌漑型国家の分配制度が衰え、イスラーム世界の商業が浸透すると、バザールは地域の食糧市場も兼ねるようになった。地域市場とは別に対外用の交易が行なわれていたが、バビロニアにおいては対外市場はまだ存在しなかった。のちのキュロス2世は、ギリシア人の市場制度を理解せず、非難した[3]

古代ギリシア・ヘレニズム

古代ギリシアポリスにおいては、アゴラが市場としても用いられた。地域市場と対外市場が分かれており、地域市場にはアゴラ、対外市場にはエンポリウムが存在した。アゴラではカペーロスという小売人がおり、エンポリウムではエンポロスという者が対外交易を行なった。また、遠征した兵士のための市場があり、軍隊への補給と戦利品の処分を行なっていた。価格が変動する初の国際市場として、アレクサンドロス3世の家臣であるナウクラティスのクレオメネスが運営した穀物市場が存在したが、この制度は古代ローマには受け継がれなかった[3]

日本

日本では7世紀には、飛鳥の海石榴市(つばいち)や軽市、河内の餌香市(えがのいち)や阿斗桑市(あとのくわのいち)などに一種の統制市場があったことが『日本書紀』の記述からわかる。また、『風土記』からは、常陸国高浜出雲国促戸渡のような漁民や農民が往来する場所や交通の要所で貨幣発行以前から市が成立していたことがわかる。

古代国家においては、中国の制度を参考にしつつ、大宝律令の関市令によって市制を整備した。の東西に市が設置されて市司という監督官庁が置かれ、藤原京平城京難波京長岡京平安京などに官営の東西市が運営されていた。この統制市場は正午に開き、日没に閉じ、品物の価格は市司が決定した。また商業施設としての機能だけではなく、功のある者を表彰したり、罪を犯した者を公開で罰する場所としても使用された。

当初は官庁の指定した特定区域以外での商業は禁じられていたが、律令制の弛緩とともに交通の要所など人が集まる場所には月の決まった日に市が立つ定期市が形成されるようになった。近畿地方を中心として荘園では地方市場が生まれ、行商人が活動した。市の立つ日(市日)としては「八の日」が多く、「三斎市」(さんさいいち)が多い。市日が「八の日」であれば、8・18・28日に市が立つ。市を開く時間(開市)は、「朝市」、「夕市」は朝から夕方までである。夜店は夜見世・夜市・夕市などと書かれた。15-6世紀には、月6回の「六斎市」が生まれる。

官製の東西市は律令国家とともに衰退し、都市には定住の市人の中から卸売商を行なう者が現われ、問屋集合による卸売市場が生まれる。これはを形成したが、16世紀以降の楽市・楽座によって座は解体され、城下町の中央市場と、各地の住民のための在郷市場町における小売市場に分かれてゆく。中央市場に問屋が集まる一方、小売市場では、振売り野市出売り立売りなどが見られた。近世においては問屋商人による卸売市場が栄え、特に領主に後押しされた御用市場において排他的独占が生じた。これにより在方や町方の市場は禁圧を受ける一方、御用市場のための納付(納魚、納菜)は仲買や一般の買手である住民の負担となった。

古い市としては、五城目(秋田県南秋田郡)、横手(秋田県横手市)、温海(あつみ、山形県西田川郡)、陸前高田(岩手県陸前高田市)、大多喜(千葉県いすみ市)、勝浦(千葉県勝浦市)、高山(岐阜県高山市)、輪島(石川県輪島市)、珠洲(すず、石川県珠洲市)越前大野(福井県大野市)などが江戸時代まで遡る。また、三重県四日や旧・滋賀県八日市(現東近江市)、広島県廿日市市、旧・千葉県八日市場(現匝瑳市)などの名称に昔の名残がみえる。

経済学における市場

市場(しじょう)は人々が交換を可能にするメカニズムで、通常は需給に関する理論によって支配されている。単一の商品が交換される特定化された市場と抽象的な市場との両方が存在する。つまり、前述の青果などの卸売市場のように物理的に場が存在し、実際に競り人が需要者と供給者のあいだを取り持つ場合と、一般的な財、サービスの価格決定のように競り人が存在せず、市場が物理的に存在しない場合がある。経済学的には後者のような場合も抽象的に市場が存在しているものとして捉える。

市場が物理的に存在していなくても、それを市場と呼ぶのは、それぞれの交換取引が他の交換取引と関係しているからである。例えば、チョコレートを買う際にある店が安くてそちらに客が行くと、客が来なくなった店は安くしなくては売れない。このように物理的に連携していなくても、経済的に影響し同調する状況は市場と呼べる。この意味ではマーケットという場合も多い。

影響しあう範囲を切り分けるので、「日本の自動車市場」とか「中国の大豆市場」と呼ばれる。各国の国民経済の連携が強まっている昨今は「世界市場」や「全球市場(中国語より)」というような使われ方もある。

多くの興味を持つ売り手をひとつの場所に置くことで市場が働いて、それらを予期される買い手に有利に評決しやすくなる。資源を割り付けるために主に買い手と売り手の間の相互作用に依存する経済は、市場経済として知られており、統制経済や贈物に基づく非市場経済とは対照的であるとされる。

経済学における市場発生の要因

市場(いちば)が発生するのは商品取引におけるリスクが背景にある。例えば、ミカンが余っている者がいて、リンゴと交換したいと考える。このときに、リンゴが余っている者を見つけることができる確率はそれなりに高い。しかし、リンゴが余っている者がミカンを欲しがる確率はかなり低い。このように条件が二重に一致することは困難であるため、貨幣が生まれた。貨幣に置き換えることでリンゴとミカンを取引することが可能となる。

しかし、これだけではまだ解消されない問題がある。リンゴが余っているものからリンゴを買い貨幣を支払う場所と、ミカンを売って貨幣を手に入れる場所が地理的に離れている場合、あらかじめ多くの貨幣を持ったり、移動のコスト・リスクを負わなくてはならなくなる。

このため取引が集中する場所が必要になる。取引は通常、地域内の各所に均等に存在するわけではない。このため、地域内で比較的取引が多いところは販売や購入が容易に出来る場所となる。こうした場所には取引を目的に商品や人が集中するようになり、市場が形成されることになる。

脚注

  1. ^ 中村勝 「市場史研究の人類学的方向—H・グリァスンに学ぶ—」(『沈黙交易』収録)
  2. ^ グリァスン 『沈黙交易』 第40項
  3. ^ a b c ポランニー 『人間の経済2』

参考文献

関連項目