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岩手郡

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岩手郡、県内位置図
1.雫石町、2.葛巻町、3.岩手町、(4.西根町)、5.滝沢村、(6.松尾村)、(7.玉山村)、(8.安代町)

岩手郡(いわてぐん)は、岩手県北西部に位置する令制国下では陸奥国(のち陸中国)に属す。

人口構文エラー: 認識できない区切り文字「」です。人、面積構文エラー: 認識できない区切り文字「」です。km²、人口密度構文エラー: 予期しない演算子 < です。人/km²。(2024年5月1日、推計人口

以下の3町・1村を含む。

盛岡都市圏の北部を占める。滝沢村以外は人口が減少している。

由来

岩出の森」に由来という説がある。文献に表れるのは、平城天皇の御代に陸奥国磐手の郡から献上された鷹を愛で、帝がつけた名前「磐手(いはて)」(大和物語第152段)が最初という。大納言はこの鷹を取り逃がしてしまい、奏じるのを躊躇っていたがついに口にすると、これを嘆いた帝は何も言わなかった。なぜ何もおっしゃらないのかと問うと、「いはて思ふぞ言ふにまされる」(言わないことこそが言うことよりも思いは勝るのだ/言わぬ程に磐手を深く思っている)と鷹の名に掛けて詠じたという。この歌は、古今和歌集本歌取りで、源氏物語でも引用されている。同音である「岩手=言わで」「口無し=梔子」の連想から、「言いたくても言えない切なさ」を表す歌枕となり、平安文学の世界では、梔子染めの山吹色が「岩手の里」の情景を示す言葉となった。

  • 心には 下行く水のわきかへり 言はで思ふぞ 言ふにまされる - 古今和歌集六帖
  • くちなしの 色とぞみゆる 陸奥の いはての里の 山吹の花  - 夫木和歌抄

沿革

南北分割以前

明治12年から明治29年までの沿革については、南岩手郡・北岩手郡の項を参照のこと

南北合併以後

  • 明治29年(1896年)3月29日 - 南岩手郡と北岩手郡が合併し、岩手郡が再発足。(1町24村)
  • 昭和3年(1928年)4月1日 - 米内村を盛岡市に編入。(1町23村)
  • 昭和15年(1940年)1月1日 - 厨川村を盛岡市に編入。(1町22村)
  • 昭和15年(1940年)12月23日 - 雫石村が町制施行し、雫石町となる。(2町21村)
  • 昭和16年(1941年)4月10日 - 浅岸村・中野村・本宮村を盛岡市に編入。(2町18村)
  • 昭和23年(1948年)7月1日 - 九戸郡より葛巻町江刈村を移管。(3町19村)
  • 昭和29年(1954年)4月1日 - 玉山村・渋民村・藪川村が合併し、新制の玉山村が発足。(3町17村)
  • 昭和30年(1955年)2月1日 - 簗川村を盛岡市に編入。(3町16村)
  • 昭和30年(1955年)4月1日 - (3町12村)
    • 太田村を盛岡市に編入。
    • 雫石町・御明神村・御所村・西山村が合併し、新制の雫石町が発足。
  • 昭和30年(1955年)6月1日 - 巻堀村を玉山村に編入。(3町11村)
  • 昭和30年(1955年)7月15日 - 葛巻町・江刈村と二戸郡田部村が合併し、新制の葛巻町が発足。(3町10村)
  • 昭和30年(1955年)7月21日 - 沼宮内町・一方井村・川口村が合併し、岩手町が発足。(3町7村)
  • 昭和31年(1956年)9月30日 - 大更村・平舘村・田頭村・寺田村が合併し、西根村が発足。(3町4村)
  • 昭和36年(1961年)11月1日 - 西根村が町制施行し、西根町となる。(4町3村)
  • 平成14年(2002年)4月1日 - 二戸郡より安代町を移管。(5町3村)
  • 平成17年(2005年)9月1日 - 安代町・西根町・松尾村が合併し、八幡平市が発足、郡より離脱。(3町2村)
  • 平成18年(2006年)1月10日 - 玉山村を盛岡市に編入(玉山村は盛岡市の地域自治区玉山区となる)。郡より離脱。(3町1村)

変遷表