閉伊郡

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明治初期の閉伊郡の範囲

閉伊郡(へいぐん)は陸奥国、後陸中国に置かれたで現在の上閉伊郡下閉伊郡にあたる。岩手県にあり、の産地として知られた。1878年に5郡に分割されて廃止になった。

[編集] 沿革

5分割された閉伊郡の範囲(南:青、北:濃緑、中:茶色、東:ピンク、西:紺)

続日本紀715年霊亀元年)の記事に見られる「閇村」、日本後紀811年弘仁2年)の記事に見られる「幣伊村」が後の閉伊郡につながるものとされる。

後年に成立した文献(奥南落穂集)ではあるが、12世紀後半になると藤原秀衡配下の人間として閉伊何某の人名が見られ、奥州合戦後は鎌倉御家人閉伊氏の勢力下となる。

江戸時代になると盛岡藩の記録に石高や属する名が見られる(元禄南部郡村高帳等)。

1871年明治4年)の廃藩置県の際には盛岡県の一部となった。1872年(明治5年)には盛岡県の改称に伴い岩手県閉伊郡となる。1878年(明治11年)に、東閉伊郡西閉伊郡南閉伊郡北閉伊郡中閉伊郡の5郡に分割された。後にその範囲は上閉伊郡下閉伊郡の2郡に統合された。

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