小川和久

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小川 和久
(おがわ かずひさ)
生誕 小川 和久(おがわ かずひさ)
(1945-12-16) 1945年12月16日(78歳)
日本の旗 熊本県葦北郡
(現八代市
国籍 日本の旗 日本
民族 日本の旗 日本
教育 陸上自衛隊生徒教育隊・航空学校修了
同志社大学神学部除籍
職業 軍事アナリスト
活動期間 1971年 -
肩書き 国際変動研究所理事長
静岡県立大学
グローバル地域センター
特任教授
公式サイト http://www.sriic.org/chairman/
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小川 和久(おがわ かずひさ、昭和20年(1945年12月16日 - )は、日本軍事アナリスト特定非営利活動法人国際変動研究所理事長[1]静岡県立大学グローバル地域センター特任教授

概要

熊本県葦北郡(現八代市)生まれ[2]

中学卒業後、第7期自衛隊生徒として陸上自衛隊生徒教育隊に入隊[2]。続いて、陸上自衛隊航空学校、同・霞ケ浦分校で航空機整備を学ぶ[2]。この時期、神奈川県立湘南高等学校通信制で併学する[2]陸上自衛隊生徒教育隊・航空学校修了[3]同志社大学神学部除籍[4]

地方新聞記者、週刊誌記者などを経て、日本初の軍事アナリストとして独立[3]。外交・安全保障・危機管理(防災、テロ対策、重要インフラ防護など)の分野で政府の政策立案に関わり、国家安全保障に関する官邸機能強化会議議員、日本紛争予防センター理事、総務省消防庁消防審議会委員、内閣官房危機管理研究会主査などを歴任[3]。小渕内閣では野中広務官房長官とドクターヘリを実現させた[3]

また、専門分野に関する出演に限らず、一般テレビ番組のコメンテーターとしても活動している。民間人であるが「新ガイドライン」「テロ対策特別措置法」「イラク特措法」「有事法制」など、近年活発化した安全保障に関連する国会論議では、参考人として招致された。

経歴

人物

熊本県葦北郡(現八代市)生まれ[2]。中学校3年まで外交官になるつもりでいた[4]

ある国立高校に合格したが、中学卒業と同時に親が病気になり、実家が破産した[4]ため、15歳で自衛隊に入り[4]通信教育により高校を卒業した[4]。その頃、最も関心のあったキリスト教の精神世界について勉強し、将来教授になりたいと思った[4]同志社大学神学部に入ったものの、すぐ教授会とけんかして授業料を払わず、除籍になった[4]

除籍と時を同じくして、『日本海新聞』の記者となる[4]。その後、同紙が倒産し、「新しい経営者と相容れないだろう」ということで1975年に上京[4]講談社の「週刊現代」の記者として、足掛け9年、政治問題と社会問題を担当した後、1984年に独立した[4]

普天間基地問題に対する姿勢

1996年4月、橋本龍太郎首相が普天間飛行場返還を政治主導で決着させた際の当事者の1人である。当時、日本政府は普天間返還を米国に拒絶されたことから、同年4月16日の日米首脳会談においても共同声明に「(普天間問題の解決に向けて)継続的に協議する」との文言を盛り込むのが精一杯との認識だったが、小川は自民党の委員の1人として「第1ラウンドでダウンを喫したからといって、それで試合終了ではない」と山崎拓政調会長に進言、政治主導による仕切り直しによって普天間返還が合意に至った。その経緯と爾後の展開について、小川は2008年2月号の『中央公論』に詳述している。

2010年春には、鳩山由紀夫首相から首相補佐官就任を要請され、普天間飛行場移設問題についてワシントンで米国政府と協議を進めたが、鳩山首相の退陣で成果を具体化することができなかった。ワシントンにおける小川の言動は日本政府の公電で報告されている。小川は機会を見て経緯と詳細を公表するとしている。普天間飛行場問題については、小川は1999年7月、野中広務官房長官からやはり首相補佐官就任含みで沖縄振興開発審議会専門委員として解決を図るよう指示され、北部自治体首長や反対派リーダーと協議、解決の道筋が見えたが、野中長官の中止命令で作業を中断。これも先述の「中央公論」で触れられている。

普天間基地移設問題においては嘉手納飛行場統合案、グアム移転案、海上ヘリポート案のいずれにも否定的であり、普天間返還合意直後の1996年6月からキャンプ・ハンセン移転案を主張している[5]。2005年には『地域政策』誌での対談などで披露し[6]、2010年には『この1冊ですべてがわかる 普天間問題』の中で、一例として持論を紹介している。

いずれも内容はキャンプ・ハンセン内に海兵隊専用飛行場を新設するもの。小川のキャンプ・ハンセン陸上案は、海兵隊隊舎群の地下にある旧米軍「チム飛行場」(滑走路1600メートル)跡に普天間飛行場に近い2500メートル級滑走路を建設しようとするもので、これであれば海兵隊の訓練に支障が出ることはない。日米両政府が「検討した」とする「キャンプ・ハンセン陸上案」は、小川案とはまったく異なるもので、訓練場の空き地に滑走路を建設することを前提としており、訓練に支障が出ることを理由に米国側から否定された。小川は、日本政府が実行すべき第一は普天間飛行場の即時閉鎖による危険性の除去だとして、キャンプ・シュワブにヘリ部隊のための仮の移駐先を建設し、一時的な移駐を行えば普天間飛行場における危険除去は遅くとも1か月以内に済むとしている。この一時的な移駐であれば、海兵隊の航空部隊と地上部隊の訓練は支障なく行うことができるし、有事への即応能力は損なわれない。なお、小川案では最終的に嘉手納飛行場を沖縄の経済的自立の柱とする目的でアジアのハブ空港化する構想も提示されている。小川はキャンプ・シュワブ沖を埋め立てる辺野古移設案に反対しているが、理由として守屋が中央公論2010年1月号に寄稿した記事などと同様、地元建設業者の利権と海の環境問題を挙げている。小川は県内移設を日本と沖縄の安全保障上の必要条件とみなし、日米安保に依存しない場合、国防費が数倍に跳ね上がり、沖縄における日本の軍事基地も相当増強しなければならない旨を主張している。

略歴

肩書・役職

肩書き
  • 軍事アナリスト
役職
  • 静岡県立大学グローバル地域センター特任教授
  • 特定非営利活動法人国際変動研究所理事長

社会的活動

委員等:

  • 総務省消防庁大規模イベント開催時のテロ対策等に関する研究会委員(2014年〜)
  • 総務省消防庁消防審議会専門委員(2014年〜)
  • 静岡県”富士(ふじ)の国(くに)”づくり国民の会 有識者委員会委員(2013年〜)
  • 国土交通省東京圏の中枢機能のバックアップに関する検討会検討委員(2011年~)
  • 総務省消防庁東日本大震災を踏まえた大規模災害時における消防団活動のあり方等に関する検討会委員(2011年~)
  • 静岡県知事リーディング・アドバイザー(2011年〜)
  • 総務省消防庁地域防災計画検討委員(2011年〜)
  • 財団法人自治体衛星通信機構・公募幹部職員審査委員(2010年〜)
  • 総務省消防庁・航空消防防災体制のあり方に関する研究会委員(2009年〜)
  • 防衛省「事件・事故の再発防止・抜本的対策検討会議」(議長・防衛大臣)臨時議員(2008年〜)
  • 総務省消防庁・消防防災ヘリコプターの効果的な活用に関する検討会委員(2007年〜2009年)
  • 国家安全保障に関する官邸機能強化会議(議長・内閣総理大臣)民間議員(2006年〜2007年)
  • 外務省・「世界の中の日本・30人委員会」委員(2006年)
  • 総務省・宇宙開発の今後の在り方に関する研究会委員(2005年〜2006年)
  • (特定非営利活動法人)日本紛争予防センター理事(2005年〜)
  • 熊本県「くまもと誘友大使」(2004年〜)
  • 国土交通省・海上保安庁海上テロ対策研究会委員(2003年〜2004年)
  • 総務省消防庁・消防審議会委員(2003年〜2011年)
  • 宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構)・三菱総研「アジアの動向調査研究会」委員(2002年〜2005年)
  • 宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構)・東海大学「宇宙システムによる社会安全のための調査研究委員会」委員(2002年〜2005年)
  • 総務省・プライバシー保護研究会主査(2002年〜)
  • 国土交通省・海上保安庁政策懇談会委員(2002年〜)
  • 総務省・住民基本台帳ネットワークシステム検討委員(2002年〜)
  • 総務省消防庁・常備消防体制検討委員会委員(2002年)
  • 総務省消防庁・防災・危機管理教育のあり方に関する調査懇談会委員(2002年)
  • (財)日本消防設備安全センター・消防防災IT未来懇談会主査(2002年)
  • 内閣官房・危機管理研究会主査(2001年〜2003年)
  • 防災情報機構・防災士制度推進委員会委員(2001年〜2003年)
  • (財)日本国際政治学会評議員(2000年〜)
  • 内閣府・沖縄振興開発審議会専門委員(1999年〜2001年)
  • 内閣府・ドクターヘリ調査検討委員会委員(1999年〜2000年)
  • 郵政省・科学技術庁・三菱総研「危機管理衛星研究会」委員(1997年〜1998年)
  • 沖縄県・沖縄国際平和研究所基本計画検討委員(1996年〜1997年)
  • (財)国際協力推進協会参与(外務省所管、1992年〜2000年) 
  • 自由民主党総合政策研究所委員(外交・安全保障)(1990年〜) ほか

講師等:

  • 大韓民国政府上級職国家公務員研修講師(人事院所管、日本の安全保障政策)
  • 人事院上級職国家公務員研修講師(安全保障)
  • 防衛省統合幕僚学校研修講師(国際政治)
  • 陸上自衛隊幹部学校研修講師(幹部高級課程、危機管理)
  • 航空自衛隊幹部学校研修講師(幹部高級課程、危機管理)
  • 時事通信社・内外情勢調査会講師
  • 共同通信社・政経懇話会講師ほか

著作

  • 『原潜回廊 第三次世界大戦は日本海から始まる』1984年 講談社 『原潜回廊 日本周辺海域における米ソ秘密戦の実態』文庫
  • 『在日米軍 軍事占領40年目の戦慄』1985年3月 講談社 のち文庫 
  • 『図説・陸の自衛隊』1986年11月 講談社
  • 『図説・海の自衛隊』1986年11月 講談社
  • 『図説・空の自衛隊』1986年11月 講談社
  • 『リーダーのいない経済大国 防大任官拒否にみる日本の弱点』1987年3月 太陽企画出版
  • 『戦艦ミズーリの長い影 検証・自衛隊の欠陥兵器』1987年 文藝春秋
  • 『仮想敵国ニッポン アメリカの対日戦略シフト』1989年5月 講談社 のち文庫 
  • 『小川和久のまんが新・防衛白書』ほずみ大画 1989年 山海堂
  • 『情報フィールドノート 激動の世界を読む』1990年 講談社文庫 
  • 『「湾岸危機」の教訓 戦略なき日本の敗北』1991年 PHP研究所
  • 『情報の魔性 世界を読む基本スタンス』1991年 世界文化社
  • 『情報フィールドノートPart2 激動世界の読み方』1992年3月 講談社文庫 
  • 『「頭脳なき国家」の悲劇』1993年 講談社
  • 『日本の価値』1993年 同文書院
  • 『新・北朝鮮と日本 朝鮮半島の有事と日本の危機管理』1994年 東洋経済新報社 
  • 『LA危機管理マニュアル』1995年 集英社
  • ヤマトンチュの大罪 日米安保の死角を撃つ』1996年 小学館
  • 『ニュースを疑え!』1996年 近代文藝社
  • 『ヘリはなぜ飛ばなかったか 阪神大震災の教訓』1998年 文藝春秋
  • 『危機と戦う テロ・災害・戦争にどう立ち向かうか』2001年 新潮社
  • 『日本は「国境」を守れるか』2002年 青春出版社プレイブックスインテリジェンス 
  • 『北朝鮮軍事情勢に関する最近の動向分析』ラヂオプレス 2006
  • 『14歳からのリアル防衛論』2010年 PHP研究所
  • 『この1冊ですべてがわかる普天間基地問題』2010年 ビジネス社
  • 『それで、どうする!日本の領土 これが答えだ!』2012年 アスコム
  • 『日本人が知らない集団的自衛権』2014年 文春新書 
  • 『危機管理の死角 狙われる企業、安全な企業』東洋経済新報社 2015

共著

翻訳

  • 米国テンペスト社編著『生物化学兵器』監訳,西恭之訳 啓正社 2000
  • スティーヴン・F.トマイチク『アメリカの対テロ部隊』監訳,西恭之訳 2002年 並木書房
  • トルーマン財団国家安全保障プロジェクト編『アメリカ民主党候補者用安全保障政策テキスト〜トルーマン安全保障ブリーフィング・ブック〜候補者に欠かせない安全保障・外交政策の背景情報、表現方法、政策の選択肢』監訳 2013年6月 国際変動研究所

出演番組

他多数

その他

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 教員情報詳細:静岡県立大学教員データベース
  2. ^ a b c d e f 講師のご紹介
  3. ^ a b c d 特定非営利活動法人・国際変動研究所略歴
  4. ^ a b c d e f g h i j 季報 エネルギー総合工学 Vol24 No.4(2002. 1)
  5. ^ 小川和久第3章 沖縄米軍基地問題解決へのシナリオ 日本側が備えるべきカードHuman Security創刊号(1996年度) 東海大学平和戦略国際研究所
  6. ^ 【沖縄の自治と米軍基地】『地域政策』2005年秋季号
  7. ^ [1]

外部リンク