宮﨑祐樹
オリックス・バファローズ #24 | |
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2016年3月20日 阪神鳴尾浜球場にて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 佐賀県唐津市 |
生年月日 | 1986年11月29日(37歳) |
身長 体重 |
177 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2010年 ドラフト3位 |
初出場 | 2012年5月4日 |
年俸 | 1,580万円(2016年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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宮﨑 祐樹(みやざき ゆうき、1986年11月29日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(外野手)。愛称は「タイソン[1]」。
経歴
長崎日大高時代は捕手を務め、2年時の夏に1番捕手として甲子園出場を果たす。2安打1打点と活躍は見せたが1回戦で敗退。3年時の夏は長崎県大会ベスト4で敗退。
亜細亜大学へ進学するも、度重なる故障に苦しみ1部リーグ通算11試合出場で僅か5打数1安打に終わる。
大学卒業後は、セガサミーに入社。捕手としての入部だったが、同期に捕手が2名入部したこともあって外野手に転向すると、打力を買われて春から指名打者としてスタメン起用されるようになり、3番・センターとして定位置を確保した。
2年目は静岡大会では打率.421の活躍で優勝に貢献、続く京都大会では打率5割をマークし首位打者を獲得した。
2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議にてオリックス・バファローズから3位指名を受けた[2]。
2011年は一軍出場は無く、二軍で96試合に出場したが打率.222、0本塁打と持ち前のパワーを発揮することは出来なかった。7月にはフレッシュオールスターゲームに出場した。
2012年は二軍でプロ初本塁打を記録するなど打撃で結果を残し、5月4日に一軍登録されたものの、4試合で9打席無安打、5三振と結果を残せず、5月10日に登録抹消された。その後、9月29日に一軍登録され、同日の千葉ロッテマリーンズ戦で1番・センターで出場すると、1回表にプレーボールの球を左翼席に叩き込み、プロ初安打初本塁打を初球先頭打者本塁打で飾った[3]。この試合では3安打3打点で初の猛打賞、更には初盗塁も記録し、試合後に初のヒーローインタビューも受けた。なお、「1回表にプレーボールで初本塁打」を放った史上初の選手となった [4]。また、同僚の川端崇義がこの年に初本塁打を満塁本塁打で記録していたことで、先頭打者本塁打と満塁本塁打により初本塁打を記録した選手が同一年に揃ったのは、史上3例目となっている。その後も公式戦最終戦まで出場し続け、昇格後の7試合で打率.308(26打数8安打)、2本塁打6打点と結果を残した。
2013年は4月10日の福岡ソフトバンクホークス戦で決勝適時打を放つが[5] 、その後は調子を落とし2軍に降格[6] 。6月12日に再昇格すると[7]、対読売ジャイアンツ戦で即日スタメン起用される。ところが5回裏の打席でスクイズのサインを間違えた為[8] [9]に、三塁走者を狭殺されチャンスを潰してしまった。翌日には2軍降格となったが[10]、6月28日には再び1軍に昇格した[11]。1軍と2軍の往復を繰り返したが、自己最多の53試合に出場した。
2014年はBs Fan-Festa 2014にて帰国済みのチームメイトであるヘルマンのものまねを披露した。
2015年、福良淳一が監督代行に就任後起用機会が増え6,7月の出場試合27試合のうち25試合で出塁するなど活躍。最終的に45試合に出場し自己新の33安打14打点を記録。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2012 | オリックス | 11 | 37 | 35 | 3 | 8 | 2 | 0 | 2 | 16 | 6 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 13 | 0 | .229 | .270 | .457 | .727 |
2013 | 53 | 146 | 121 | 11 | 27 | 3 | 0 | 1 | 33 | 6 | 0 | 2 | 4 | 1 | 19 | 0 | 1 | 39 | 2 | .223 | .331 | .273 | .604 | |
2014 | 4 | 8 | 5 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | .200 | .500 | .200 | .700 | |
2015 | 43 | 148 | 131 | 13 | 33 | 4 | 1 | 0 | 39 | 14 | 3 | 4 | 3 | 0 | 13 | 0 | 1 | 25 | 3 | .252 | .324 | .298 | .622 | |
NPB:4年 | 111 | 339 | 292 | 27 | 69 | 9 | 1 | 3 | 89 | 26 | 4 | 8 | 7 | 1 | 37 | 0 | 2 | 79 | 5 | .236 | .325 | .305 | .631 |
- 2015年度シーズン終了時
年度別守備成績
年 | 外野手 | |||||
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試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
2012 | 10 | 24 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
2013 | 41 | 47 | 0 | 1 | 0 | .979 |
2014 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
通算 | 53 | 74 | 0 | 1 | 0 | .987 |
- 2014年度シーズン終了時
記録
- 初出場:2012年5月4日、対北海道日本ハムファイターズ7回戦(札幌ドーム)、8回表に日高剛の代打として出場
- 初打席:同上、8回表に乾真大から空振り三振
- 初先発出場:2012年5月6日、対北海道日本ハムファイターズ9回戦(札幌ドーム)、7番・右翼手として先発出場
- 初安打・初本塁打・初打点:2012年9月29日、対千葉ロッテマリーンズ23回戦(QVCマリンフィールド)、1回表に藤岡貴裕から左越先頭打者初球本塁打 ※史上30人目の初本塁打が初回先頭打者本塁打(1回表初球での達成は史上初)
- 初盗塁:同上、8回表に二盗(投手:吉見祐治、捕手:里崎智也)
背番号
- 24 (2011年 - )
脚注
- ^ “タイソン宮崎KO弾でJR東日本逆転発進”. スポニチアネックス. (2010年8月30日) 2012年9月28日閲覧。
- ^ オリックス・バファローズ 2010年度ドラフト会議 契約交渉権獲得選手
- ^ プロ初安打が先頭打者本塁打だったのは、1952年の種田訓久(南海)以来60年ぶりの快挙だった。また後述だが、初球先頭打者本塁打だったのは史上初だった。
- ^ “2年目・宮崎が史上初快挙 初安打のプロ1号がプレーボール弾”. スポニチアネックス. (2012年9月30日) 2012年9月30日閲覧。
- ^ “【オリックス】T岡田の代打、宮崎がV打”. ニッカンスポーツ・コム. (2013年4月10日) 2014年5月19日閲覧。
- ^ “【オリックス】平野恵らを登録”. ニッカンスポーツ・コム. (2013年5月2日) 2014年5月19日閲覧。
- ^ “【オリックス】小島、宮崎を登録”. ニッカンスポーツ・コム. (2013年6月12日) 2014年5月19日閲覧。
- ^ “オリ宮崎 サイン見落とし2軍降格”. ニッカンスポーツ・コム. (2013年6月13日) 2014年5月19日閲覧。
- ^ 3塁コーチからのサインに打席を外して確認しておきながら、次投球ではスクイズの構えすらせず見逃していた。
- ^ “【オリックス】野中を登録、宮崎を抹消”. ニッカンスポーツ・コム. (2013年6月13日) 2014年5月19日閲覧。
- ^ “【オリックス】T岡田ら登録、川端ら抹消”. ニッカンスポーツ・コム. (2013年6月28日) 2014年5月19日閲覧。