土浦ニューウェイ

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土浦ニューウェイ(土浦高架道)の高架上からみた沿線風景

土浦ニューウェイ(つちうらニューウェイ)、土浦高架道(つちうらこうかどう)とは、茨城県土浦市港町一丁目(土浦駅東口)から田中三丁目(学園大橋)までを結ぶ無料の高架道路である。全長約3km。

概要

田中町入口

都市計画道路名は、「土浦阿見都市計画道路 3・2・30号 土浦駅東・学園線」である[1]。経路は、土浦市港町一丁目 - 有明町 - 川口一・二丁目 - 中央一丁目 - 桜町三・四丁目 - 大町 - 大手町 - 千束町 - 生田町 - 文京町 - 田中一・二・三丁目 - 大字佐野子までの土浦中心市街地内の各町を結ぶ。

国際科学技術博覧会(科学万博)の開催に際して土浦駅東口から筑波研究学園都市まで結ぶシャトルバスなどが通行する高架街路として1985年昭和60年)に開通した。

その後、学園大橋付近を打ち上げ会場とする土浦全国花火競技大会開催日には、会場と土浦駅東口を結ぶシャトルバスの運行経路に利用されている。この時は、一般車両は通行止めとなる。また、冬季(主に1月・2月)には路面凍結がたびたび発生し、全面通行止となることがある。

上下線合わせて2車線の自動車専用の道路で交差点信号はなく、3ケ所のバスストップが設けられている[2]。通行できる車両は、普通乗用車や普通貨物自動車、大型を含むバスに限られ、大型貨物車自動二輪車自転車歩行者の通行禁止規制のほか[2]最高速度は40 - 50km/hに制限されている。オートバイやバイク、大型車を除いたのは、商店街、人家が密集する土浦市の中心市街地に高架街路があるためで、歩道が無いので人も通行できない[3]

茨城県道24号土浦境線の上部を通っている部分は、県道バイパス扱いとなっており[4]、それ以外の部分は土浦市の管理となっている。

歴史

県道土浦境線上に架かる土浦ニューウェイ(土浦高架道)。Y字型橋脚の様子が見て取れる。
土浦市千束町(2013年11月)

土浦ニューウェイは、1985年国際科学技術博覧会(科学万博 - つくば '85)開催に合わせ建設された高架街路で、1985年(昭和60年)3月2日に開通した[5][2]。この開通で土浦市は、地方都市の中心市街地に高架街路を導入した全国初の自治体となった[2]

科学万博を開催するため鉄道と道路両面によるインフラ整備計画が国機関や茨城県が一体となり連携して進められている最中、当初は、建設省街路課(当時)から茨城県土木部へ常磐線仮設駅(万博中央駅)から博覧会会場へアクセスする立体街路建設計画案の話を持ち掛けられていた[6]。 これを受けて建設省に対し、仮設駅はあくまで臨時のものあって撤去されてしまうことなどから、当時茨城県南地区の商業中心地であった土浦市の市街地交通混雑解消と[3]、筑波研究学園都市との連携を強化するため、土浦駅東口広場から市街地を抜けるまでの3kmの場所に高架街路を建設する計画とし、博覧会会場までバス輸送に使用すればサブシステムとしても有効との理由で申し入れし、土浦市の賛同を得て1982年(昭和57年)12月にその構想が明かにされた[3][6][注釈 1]。 総事業費132億円(当時)の大事業で、立体街路事業の延長別では土浦市が1.26km、茨城県が1.73km分を受け持った[9]。博覧会開催まで約3年を切っていたが、用地買収や補併交渉など土浦市が全庁を挙げてこれにあたり、茨城県土木部の出先機関である土浦土木事務所が事業を執行し、1983年(昭和58年)11月の着工から実質1年3ケ月余りの突貫工事で完成させた[6][9]。当時設計にあたり、市街地を通る高架道のため美観を重視され、Y字型のスレンダーな橋脚とした構造設計に、上部構造物も一体感を持たせた構造にされた[6]

つくば万博開催期間中は、土浦駅東口広場から立体街路(土浦高架道)を使って、国鉄や茨城県内の民間バス会社が50人乗りの普通バスで連絡輸送にあたり、輸送にはまったくトラブルがなく、万博客の輸送に貢献した道路施設となった[6]

年表

  • 1982年昭和57年)12月14日:土浦市が土浦高架街路の構想を発表[3]
  • 1983年(昭和58年)3月31日:都市計画決定について建設大臣認可[3]
  • 1983年(昭和58年)4月14日:都市計画決定(土浦阿見都市計画道路 3・2・30号 土浦駅東・学園線)[1]
  • 1983年(昭和58年)6月2日:土浦市有明町 - 桜町四丁目・大手町(土浦市事業区間)の都市計画事業認可[10]
  • 1983年(昭和58年)6月27日:土浦市桜町四丁目・大手町 - 佐野子(県事業区間)の事業認可[3]
  • 1983年(昭和58年)11月25日:県、市とも下部工事に着手[3]
  • 1985年(昭和60年)2月18日:茨城県施工区間を県道土浦境線に指定[4]
  • 1985年(昭和60年)3月2日:開通[5]
  • 1985年(昭和60年)3月17日:国際科学技術博覧会開幕( - 9月16日まで開催)

バス路線

川口町バス停の様子 上の画像がバス停、下の画像がバス停下にあるエスカレーターと階段部分。

土浦ニューウェイには歩道がなく、途中のバス停留所はその部分のみに歩行者部を設け、地上からの連絡階段によって旅客が利用できるようになっており、埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)の高架駅の構造に酷似している。

本道路内にあるバス停留所は、川口町桜町四丁目田中町の上下線に3つある[3]。これら高架バス停留所は、停車本数もごく少なく、地上の道路を通るバスの本数が多いことなどからあまり利用されていない。また、下記の運行系統[18]は、つくば花室トンネル内にある停留所にも停車することから、地上・高架・地下に停留所がある特徴的なバスとなっている。

関東鉄道
  • [18]土浦駅東口 - つくばテクノパーク大穂
  • 【高速バス】土浦駅・つくばセンター - TDR・東京テレポート駅
関鉄観光バス

その他、「エアポートライナーNATT'S」、「よかっぺ号」も通行するが、乗降扱いはない。また、土浦全国花火競技大会開催時には、臨時シャトルバスが多数運行されるが、それも高架部には停車しない。

脚注

注釈

  1. ^ 土浦市が土浦駅東口広場を新設整備することが決まっていたので[7]万博客の輸送経路として、都市計画道路荒川沖木田余線を経て、国道125号阿見美浦バイパス国道6号まで延伸し、主要地方道土浦野田線(現国道354号)を学園西大通りまで拡幅整備する計画が検討されたが、財団法人国際科学技術博覧会協会から異議をとなられたことにより取りやめになった[8]

出典

  1. ^ a b 都市計画道路の変更(昭和58年4月14日 茨城県告示第648号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 号外第107号: p.2, (1983年4月14日) 
  2. ^ a b c d “「高架街路」開通 「モール505」オープン 市街地活性化へ弾み”. いはらき (水戸市: 茨城新聞社): p. 1. (1985年3月3日) 
  3. ^ a b c d e f g h “ニュー土浦へパワーアップ 「土浦高架街路」完成”. いはらき (水戸市: 茨城新聞社): p. 10. (1985年3月1日) 
  4. ^ a b 道路の区域変更(昭和60年2月18日 茨城県告示第237号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 第7322号: p.2, (1985年2月18日) 
  5. ^ a b 道路の供用開始(昭和60年2月28日 茨城県告示第308号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 第7325号: pp.8-9, (1985年2月28日) 
  6. ^ a b c d e いばらき建設技術研究会;立原信永 (2002, p. 11)
  7. ^ 都市計画道路の変更 3.3.11 荒川沖・木田余線(昭和56年6月11日 茨城県告示第937号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 号外第157号: p.2, (1981年6月11日) 
  8. ^ いばらき建設技術研究会;立原信永 (2002, p. 10)
  9. ^ a b “いばらき新時代-13-「土浦高架街路」頭上に未完の大器”. いはらき (水戸市: 茨城新聞社): p. 1. (1985年1月15日) 
  10. ^ 都市計画事業の認可(昭和58年6月2日 茨城県告示第863号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 第7147号: p.4, (1983年6月2日) 

参考文献

  • いばらき建設技術研究会;立原信永、2002、「茨城の道路づくり (PDF) 」 、『いばらきの建設文化を語る懇談会 -現場における建設技術の継承を目指して-』、公益社団法人土木学会関東支部茨城会
  • 茨城県土木部都市施設課長;田沢大、1985、「土浦高架街路 (PDF) 」 、『都市と交通 1985・2・No6』、社団法人日本交通計画協会

関連項目

外部リンク