園田博之
衆議院議員 園田 博之 | |
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生年月日 | 1942年2月19日(82歳) |
出身地 | 熊本県河浦町(現天草市) |
出身校 | 日本大学経済学部 |
学位・資格 | 経済学士 |
前職 | 会社員 |
所属委員会 | 経済産業委員会 |
世襲 |
2世 父・園田直 |
選出選挙区 | 熊本4区 |
当選回数 | 8回 |
所属党派 |
(無所属→) (自由民主党→) (新党さきがけ→) (無所属→) (自由民主党→) たちあがれ日本 |
党役職 | 幹事長 |
会館部屋番号 | 衆議院第2議員会館213号室 |
ウェブサイト | 園田博之オフィシャルサイト |
園田 博之(そのだ ひろゆき、昭和17年(1942年)2月19日 - )は、日本の政治家。たちあがれ日本所属の衆議院議員(8期)。たちあがれ日本幹事長。
内閣官房長官、外務大臣、厚生大臣を務めた園田直は父。アニメーション監督の山崎理は甥。
来歴
熊本県天草郡河浦町(現天草市)出身。習志野市立習志野高等学校卒業を経て、1964年に日本大学経済学部を卒業。日魯漁業(現マルハニチロ食品)の資材部に入社した(当時の部下に作家の荒俣宏がいた)。サラリーマン時代は労働組合委員長も経験し、1983年に退社する。
1986年7月、父・直が腎不全により急死したため、第38回衆議院議員総選挙に父が所属していた福田派の支援を受け、無所属で出馬。中曽根派の支援を受け、同じく無所属で出馬した義母・園田天光光を相手に骨肉の争いを繰り広げた末、初当選を果たした。
1993年6月、宮澤内閣の不信任決議案に反対票を投じた。内閣不信任決議が可決された直後に自民党を離党し、新党さきがけの結党に参加した。
自社さ連立政権が成立すると村山内閣で内閣官房副長官に就任。1998年10月のさきがけ解党後は、無所属を経て1999年12月に自民党に復党した。
2004年10月、自由民主党郵政改革合同部会座長に就任し、郵政国会では郵政民営化法案の上程に尽力する。政治家の年金未納問題が注目された際に年金の未納が発覚している。
2007年7月の第21回参議院議員通常選挙での惨敗後、退陣を拒否して続投を表明した安倍晋三首相に対し、強硬に退陣を迫った(安倍は9月に病気辞任)。
2007年12月、北朝鮮との国交正常化実現を目指す議員連盟「自民党朝鮮半島問題小委員会」を立ち上げ、副委員長に就任した。
2008年、麻生太郎総裁の下で政調会長代理に就任した。園田は麻生内閣の与謝野馨経済財政政策担当相に接近し、財政再建派の正しいことを考え実行する会の中核メンバーとして、中川秀直元幹事長ら上げ潮派と激しく対立した。また民主党にも前原誠司、枝野幸男、玄葉光一郎、古川元久ら知己が多く、一時は政界再編のキーマンにも目されていた。当選回数が多いにもかかわらず閣僚経験がないことについて、かつての離党経験や加藤の乱に連座したことが尾を引いているという指摘がなされた一方[1]、園田自身が政界再編の日にむけてしがらみを作りたくないという思いがあると言われていた[2]。
自民党内ではリベラル派に属するが、さきがけ結党に参加する前に自民党内の政策集団である自由革新連盟及び黎明の会に所属していたため、亀井静香や平沼赳夫とはその当時から付き合いがあり、平沼との関係が後年、たちあがれ日本の結党にも繋がった。
2009年8月、第45回衆議院議員総選挙に熊本4区から自民党公認で出馬し、自民党に猛烈な逆風が吹き荒れる中、小選挙区で8回目の当選を果たした。10月には谷垣禎一総裁の下で幹事長代理に就任したが、執行部批判を強める与謝野馨に同調し、2010年3月に幹事長代理を辞任した。4月3日には「新党を作る場合は…」と仮定の話とした上で「自民党から多くの仲間を連れて行き、党を分裂させてケンカをしようという話ではない。民主党に反対したい人たちを自民党だけで吸収できないのであれば、別の党を作ってなるべく多くの人を吸収し、左右から挟み撃ちにして民主党をやっつければいい[3]」「今の自民党では民主党を嫌った人を吸収出来ない。政策が駄目なわけではないが、ゼロからスタートしなければ信用を得られない」とし、同じ熊本県選出の議員については「自民の分裂とは言われたくない。県内の兄弟分は誘えない」と述べ、新党は反自民ではないとしつつ、離党し新党を結成することを示唆[4]し、4月5日には、平沼・与謝野が中心に結党を進めるたちあがれ日本に合流するため、大島理森幹事長に離党届を出した。提出後「参院選で与党を少数に追い込まないと何のチャンスも生まれない。政策変更さえしないだろう。憤りを感じて新党に参加する」「民主党が国民のためにそこそこのことをしていたら、僕らも政権奪還をゆっくりやる。(しかし)民主党は国民の歓心を買うことだけにいよいよ邁進している」と述べ、改めて反自民ではなく反民主の新党であるとの認識を示した[5]。離党届は4月27日の自民党党紀委員会で了承された。たちあがれ日本では党幹事長に就任。
所属議員連盟・関連団体
脚注
関連項目
ウェブサイト
議会 | ||
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先代 保利耕輔 |
衆議院法務委員長 2002年 |
次代 山本有二 |
公職 | ||
先代 北村直人 |
内閣官房副長官(政務担当) 1994年 - 1995年 |
次代 渡辺嘉蔵 |
党職 | ||
先代 結成 |
たちあがれ日本幹事長 初代 : 2010年 - |
次代 現職 |
先代 名称変更 |
新党さきがけ幹事長 初代 : 1996年 |
次代 奥村展三 |
先代 結成 鳩山由紀夫 |
新党さきがけ代表幹事 初代 : 1993年 - 1994年 第3代 : 1996年 |
次代 鳩山由紀夫 名称変更 |