国鉄マニ30形客車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。KNR5800 (会話 | 投稿記録) による 2014年11月7日 (金) 13:10個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎マニ30形存在秘匿にまつわる逸話)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

マニ30 2012 (小樽市総合博物館・2005年11月撮影)前位妻面にはテールライトのみ設置される

国鉄マニ30形客車(こくてつマニ30がたきゃくしゃ)は、運輸省鉄道総局及び日本国有鉄道(国鉄)に車籍を有した荷物車の一形式である。

概要

太平洋戦争後のインフレーションの影響で発行量・流通量が著しく増大した紙幣日本銀行券)を日本銀行各支店に円滑かつ確実に輸送する目的で製造された。国鉄に車籍を置くが所有者は日本銀行で、権利関係は他の私有車両と同様である[1]

新製当初より荷物列車客車列車などに連結され、「銀河」「ニセコ」などの急行列車に併結する運用もあった。1986年11月1日国鉄ダイヤ改正での荷物列車全廃以降はコンテナ車等の高速貨物列車に併結され、翌1987年4月の国鉄分割民営化では6両全車の車籍を日本貨物鉄道(JR貨物)が継承した。JR移行後も引き続き高速貨物列車に併結されて使用されたが、2003年の日銀券鉄道輸送終了に伴い用途がなくなり、2004年までに在籍6両全てが除籍された。

輸送品目の性質上、本車の運用や存在は公開されることや鉄道雑誌で取り扱われることはなく、国鉄在籍車両の一覧である「輛数表」にも掲載されなかった。(後述も参照)

なお、現金輸送中は必ず機関車の次位に連結される運用であった。また、荷役時には荷物扉周囲を天幕で覆い、鉄道公安職員警察官を配置するなど万全の警備対策がとられていた。

構造

1948年マニ34形として製造された6両(マニ34 1 - 6 → マニ34 2001 - 2006 → マニ30 2001 - 2006)と、これの老朽代替用に1978年から1979年にかけて製造された6両(マニ30 2007 - 2012)の2種が存在する。両者は車内の構成や設備等は概ね共通であるものの、外観的には全く異なる。

車体

いずれの車両とも、前位から順に荷物室・警備員(=鉄道公安職員鉄道警察隊員)添乗室・荷物室・車掌室が配置される。 中央に警備員添乗室を設け、その前後に荷物室を配置する。この配置は一般の荷物車より護送便郵便車の室内配置に類似する。

出入台・妻面貫通路は車掌室のある後位のみに設けられる。前後の荷物室部分には窓がなく、このため前位の妻面は後部標識灯以外なにも設置されない特異な形態である。

車内設備

車両中央の警備員添乗室には各種監視設備・寝台設備・洗面所を設けるほか、添乗する警備員の長時間任務[2]に対応し小規模な台所と食事用テーブルを併設する。添乗室の側窓には 18 mm 厚の防弾ガラスを用い、銃器などを使用した襲撃に備える。車内監視カメラの映像は、本車のみならず編成中の他車車掌室からも確認が可能である[3]

両側の荷物室は一般の荷物車と異なり、保安上の理由から荷物扉を含め窓を一切設けていない。同様の理由から、車掌室と荷物室の間仕切りには通路がなく、相互の行き来はできない。床面は積載品目の関係上、一般の荷物車が用いる簀子張りを廃し、平板とされた。


形式別概説

マニ34形(1 - 6 → 2001 - 2006)
1948年に日本車輌製造帝國車輛工業で6両が製造された。オハ35形後期形に類似の半切妻(折妻)形の車体形状で、荷物扉は1,000mm幅の電車用プレスドアを、窓を鋼板で塞いだうえで流用した。警備員添乗室には3段式寝台を設置する。荷重は 14t、外部塗色はぶどう色1号、台車はTR23Aである[4]
1954年、大船工場で警備員添乗室の3段寝台をリクライニングシートに改造した。
1962年、荷物扉を2,000mm幅の両開き式に改造し、外観が大きく変化する。
1964年、大船工場で冷房化改造と近代化改造を施工した。冷房装置AU21とディーゼル発電機を床下に設置、自重増加のため荷重は 11t に減少した。
その後全車に電気暖房を設置し 2001 - 2006 に改番されたが、1970年にマニ30 2001 - 2006 に改番され形式消滅した。
マニ30形(2001 - 2006)
1970年にマニ34形を改番した車両で、積載荷重は 13t に変更されている。老朽化のため後継の 2007 - 2012 に置き換えられ、1981年までに廃車された。
マニ30形(2007 - 2012)
マニ30 2011 車掌室側から見る
マニ30 2001 - 2006の 置換用として、1978年 - 1979年に日本車輌製造で6両が製造された。車両番号は在来車の続番ではあるが、車体形状は50系客車に準じた構造に一新され、外観は全く異なる。車体長がマニ50形より1300mm伸びたため、軽量化の観点から車体は50系客車の鋼製とは異なり耐食アルミ合金とされた。
室内配置はマニ30 2001 - 2006と同様、前位から順に荷物室・警備員添乗室・荷物室・車掌室が配置される。
車掌室側妻面はオハフ50形類似の折妻形である。窓のない2000mm幅両開きの荷物扉、貫通路も窓もない前位側妻面などは共通の特徴である。
警備員添乗室はオロネ14形に準じる自動昇降装置付きのプルマン式2段寝台が設置される。
添乗員室部分の屋根上には分散形冷房装置 AU13AN を2台設置し、床下のディーゼル発電機で駆動する。荷重は 14t、外部塗色は青15号、台車は50系客車と同様の TR230B を使用する。
荷物列車の全廃後も引き続き使用され、JR貨物への継承後も高速貨物列車に併結されていたが、2003年の鉄道輸送終了により用途がなくなり、2004年に全車廃車され形式消滅した。

保存車

マニ30形存在秘匿にまつわる逸話

本形式の存在は新製当初から秘匿されていたわけではない。次の書籍および会誌には本形式が掲載されている[5]

1978年(昭和53年)になると国鉄は『客車形式図』(国鉄発行)から本形式の掲載をしなくなった。名取紀之が本形式の鉄道模型を自作し、名取が編集長をしている『レイルマガジン』に掲載したところ、国鉄から抗議されたという。『とれいん』の編集長も国鉄関係者から本形式について掲載しないように要請されたという。国鉄部内でも本形式の運行について知っている職員は、ごく少数であった[6]

また、「鉄道ジャーナル」1978年8月号の「列車追跡」で急行荷物列車が取り上げられ、取材時の編成にマニ30 2001が組み込まれていたが、ごく簡単な記述があっただけであった。

その後1979年に刊行された『コロタン文庫51 鉄道時刻表全百科』(鉄道友の会東京支部編。小学館)では、郵政省所有の郵便車が存在することに関連して、簡単に「日本銀行所有の現金輸送車が存在する」事実がある旨が紹介されるにとどまり、具体的な形式名や写真の記述はなかった。

脚注

  1. ^ 意味合いとしては、自動車の現金輸送車警備会社が所有)の鉄道版といえる
  2. ^ 「勤務」と「任務」では定義が異なる。「任務」の場合は仕事上、を伴うことも前提とされている。例えば、軍隊などでの仕事は「任務」にあたる。[要出典]
  3. ^ 封印された鉄道史』(p12, p13)
  4. ^ 新製時の形式図では台枠はマニ32形(35以降)に採用されたUF116とされているが、帝車製のマニ34 4 - 6のうち2両については戦災車の台枠(UF30)を転用した可能性が指摘されている。また台車はTR40形とされているが、当時はころ軸受けの信頼性が低かったため郵便車に準じて平軸受けのTR23Aを採用している。
  5. ^ 封印された鉄道史』(p13, p14)
  6. ^ 封印された鉄道史』(p14, p15)

参考文献

  • 西橋雅之・石橋一郎『荷物車・郵便車の世界 昭和50年代のマニ・オユの記録』(クリエイティブ・モア、2003年) p80 - p81
  • ネコ・パブリッシング『Rail Magazine』1988年3月号 No.51 p88 - p89
  • プレス・アイゼンバーン『とれいん』2004年8月号 No.356 p44 - p51・p118 - p119
  • 交友社 『鉄道ファン』2004年9月号 No.521 p120 -124
  • 小川裕夫『封印された鉄道史』(第1刷)彩図社、2010年6月18日。ISBN 978-4883927425 

関連項目

外部リンク