善通寺駐屯地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。カテキン (会話 | 投稿記録) による 2016年3月28日 (月) 13:14個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎沿革)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

善通寺駐屯地
第2営舎地区(第2キャンプ)内にある旧陸軍第十一師団兵器庫跡
第2営舎地区(第2キャンプ)内にある旧陸軍第十一師団兵器庫跡
位置
地図
所在地 香川県善通寺市南町二丁目1番1号
座標 北緯34度13分18秒 東経133度46分45秒 / 北緯34.22167度 東経133.77917度 / 34.22167; 133.77917 座標: 座標オプションが認識できません
{{#coordinates:}} 関数に無効な引数が渡されました
概要
駐屯地司令 第14旅団副旅団長
主要部隊 第14旅団司令部
第15普通科連隊
第14後方支援隊
第14偵察隊
第14通信中隊
第14音楽隊

開設年 1898年
テンプレートを表示

善通寺駐屯地(ぜんつうじちゅうとんち、JGSDF Camp Zentsuji)は、香川県善通寺市南町二丁目1番1号に所在し、第14旅団司令部等が駐屯する陸上自衛隊駐屯地。隊区内の演習場は、国分台演習場、高屋射撃場(射場)、大池訓練場、大野原演習場、小野演習場、高知訓練場。隊区外では日本原演習場、饗庭野演習場など。駐屯地司令は、第14旅団副旅団長が兼務。

概要

戦前は陸軍第11師団などがおかれ、戦後は四国地区の防衛警備等を担任する第14旅団司令部及びその主力部隊、主に新隊員の教育を担任する第110教育大隊、業務隊などが置かれており、旧軍時代から四国地方における最大・最重要駐屯地である。特に戦前は、同駐屯地を中心に善通寺は軍都として栄えた。

駐屯地内には、ベトナム独立戦争に参加し、戦死した石井卓雄(元陸軍少佐)を顕彰する石碑がある。

駐屯地内にある旧陸軍第11団師兵器庫跡3棟は、それぞれ1909年(明治42年)、1911年(明治44年)、1921年(大正10年)に完成した歴史的建造物である。これらはいずれも2階建ての赤レンガ造りで、明治期の2棟は幅14m×奥63m、大正期の1棟は幅14m×奥90mの大規模な建造物群である。具体的な設計者は不明だがドイツ人技師の設計といわれている[1]。屋上の○型と△型のモニュメントは、それぞれ銃の「照門」と「照星」を表している。

駐屯地内にある駐屯地資料館は、元は陸軍第11師団の司令部隊舎で、戦後陸上自衛隊第2教育団、第2混成団や第14旅団の本部・司令部隊舎として使われた。現在、資料館として一般開放されているほか、第14音楽隊が隊舎として使用している。

2006年(平成18年)に「第2混成団」から改編された第14旅団司令部が置かれ、第14旅団の中心となる。

2006年 - 2010年間には、2個普通科連隊を抱えていた為、隊舎、営内舎や倉庫等が飽和状態になった。そのため営庭には50普連用の仮設のプレハブ建築物が設置されていた(50普連の高知駐屯地移駐に伴い、撤去)。

国旗掲揚(課業開始)前に、初音ミクの歌う各駐屯部隊歌が放送されていて、インターネット掲示板などで話題となったが現在は中止されている。

近い将来発生が予想される南海トラフ大地震や、旅団の機動旅団化を受けて、施設の近代化や、拠点としての機能拡大を行う予定。

ギャラリー

駐屯部隊

第14旅団隷下部隊

中部方面総監隷下部隊

防衛大臣直轄部隊

沿革

最寄の幹線交通

重要施設

関連項目

脚注

  1. ^ 四国新聞・21世紀へ残したい香川
  2. ^ 四国新聞・陸上自衛隊駐屯地に初のコンビニ-善通寺
  3. ^ 第14旅団新編等のお知らせ 第14旅団
  4. ^ 高知駐屯地第1営舎地区 自衛隊高知地方協力本部
  5. ^ 第2混成団創設から徳島駐屯地開庁までの間、四国所在の基地通信部隊は第13旅団司令部(海田市)のある第312基地通信中隊に隷属する派遣隊であった

外部リンク