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ルンペンプロレタリアート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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ルンペンプロレタリアート:Lumpenproletariat)とは、日雇いなど種々雑多の最下層の労働者階級の蔑称を指す。略して「ルンプロ」ともいう。またこの言葉より派生して日本で浮浪者を指してルンペンと称することもある。

歴史

カール・マルクスは、『共産党宣言』や『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』において、無産階級労働者階級の中でも革命意欲を失った極貧層を「ルンペンプロレタリアート」と定義した。中でも『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』でルイ・ボナパルト(後のナポレオン3世)の支持組織「12月10日会」の背景と構成を説明するくだりで、「ルンペンプロレタリアート」の「職業」を以下のように述べている。

なんで生計を立てているのかも、どんな素性の人間かもはっきりしない、おちぶれた放蕩者とか、ぐれて冒険的な生活を送っているブルジョアの子弟とかのほかに、浮浪人、兵隊くずれ、前科者、逃亡した漕役囚、ぺてん師香具師ラッツァローニ[1]すり手品師ばくち打ちぜげん、女郎屋の亭主、荷かつぎ人夫、文士、風琴ひき、くず屋、鋏とぎ屋、鋳かけ屋、こじき、要するに、はっきりしない、ばらばらになった、浮草のようにただよっている大衆、フランス人がラ・ボエムと呼んでいる連中 — 『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(大月文庫版)p.89~90

こうしたルンペンプロレタリアートは「信用ならない」「反革命の温床になる」と『共産党宣言』にて位置づけられ、共産主義運動から退けた。

この背景にはルイ・ボナパルトのクーデターフランス第二共和政を崩壊させてしまったことから来るマルクスの憤りが含まれている。ルイ・ボナパルトの支持者にはマルクスが「ルンペンプロレタリアート」と呼ぶ者が多く含まれていた[2]し、フランス第二帝政をルンペンプロレタリアートによって支えられた体制として捉えていた。

これに対し、ルンペンプロレタリアートを革命の基盤として評価したのが、ミハイル・バクーニンである。バクーニンは、ルンペンプロレタリアートは貧困に苦しむ「下層の人々」であるが故に「ブルジョワ文明による汚染をほとんど受けておらず」、だからこそ「社会革命の火蓋を切り、勝利へと導く」存在でと捉えた[3]

関連項目

注・出典

  1. ^ 岩波文庫版では「立ちん坊」、大月文庫版では「イタリア語で乞食」とある。
  2. ^ 同上p.57~58
  3. ^ On the International Workingmen's Association and Karl Marx, Mikhail Bakunin, 1872.